「嫌です。絶対に私は戻りませんから」
「……なまえ、俺はまだ何も言っていないぞ?」
「言わずとも分かります。そして、兄上がこれから私に言わんとしている事も」
「む、」
「何故戻らなければならないのです? どうせ戻ったところで先方に謝罪し、場を仕切り直されるに決まっています。兄上はそれで良いとお思いですか!? 幾ら名家の御子息だからと言って、初対面で尻を撫でるような下衆男の元へ嫁げと!?」
「いや、流石に……そうとまでは言っていない」
「似たようなものです!! 兎に角、私は絶対に見合いをする気も、何処の馬の骨ともしれない男の元へと嫁ぐ気も毛頭御座いませんので、そのようにお伝えください。近々また千寿郎から文が届く頃でしょうから。自ら赴きもしない父上の話など、聞くつもりは全く御座いませんと、付け足しておいてくださいね。では、行って参ります」

ピシャンと勢いよく締まった玄関の戸は、まるで彼女の機嫌をそのまま表すかのようだった。
嗚呼、あれは随分と虫の居所が悪いと見える。
兄として、そして煉獄家の長男として、この家族内で起きた揉め事をどうにか丸く収められればと苦心する俺の魂胆など、なまえには手に取るように分かっていたらしかった。

玄関の引戸を閉めて、長く艶やかな黒髪を靡かせ、我が妹は颯爽と任務へ達ってしまった。
今日も、説得する事は叶わなかったのだ。
兄として忸怩たる思いであるが、如何せんアレにはそれはそれは一本太い芯が通っており、確乎不抜の信念を持っているばかりに、ちょっとやそっとの説得では事態を収める事など不可能である。
ましてや、今回のあらましを聞く限りでは、到底彼女を説得する事が出来るとは思えない。
聞いていただろう?一を言えば十……否、二十も三十も返してくる妹だ。
一体誰に似てしまったのか……あの気の強さは。

俺が鬼殺隊の炎柱に就任した際、父上に報告をする為に帰省した折に顔を合わせたきりであったが、相変わらずの気の強さであった。
じゃじゃ馬では収まりきらない跳ね返りっぷりを遺憾なく発揮する妹を見て、その健在ぶりに思わず言い負かされてしまった。
もはや、なまえを諭す事が叶うのは、亡き母だけであろう。

せめて、二週間前のように行方が知れなくなっては困るので、この炎柱邸にてなまえを住まわせているが、もはやそんなものはただの焼け石に水に過ぎない。
あの様子では近い将来此処を出て行ってしましそうでならないのが、不安であるが……。
さて、一体どうしたものか。

その全ての発端は二週間ほど前に遡る。

***

「よもや!!」

“前略”に始まり“草々不一”で締め括られた急を要した弟からの手紙には、その行儀の良い文章とは打って変わって驚くべき内容が記されていて、茶屋で休憩中であったにも関わらず、その場で思わず茶を吹き出し、声を上げてしまう程のそれは衝撃であったのだ。

これは、由々しき事態である。
何分、千寿郎から届いた手紙に認められた情報量が多すぎて、何をどう捌けばいいのか混乱してしまう。

落ち着け煉獄杏寿郎。俺は炎柱だ。弟から届いた手紙一つでこうも動揺してどうする。

混乱している自分を心の中で叱咤し、深呼吸を挟んで一度閉じた手紙を再度開き、今度は幾分か気持ちを落ち着けて文面に目を通す。
そこに記されていた内容は大まかにざっくりと五点である。

一つ、妹が見合いをした事。
二つ、その見合い中に憤慨した妹が見合い相手の顔面を拳で殴打し、前歯を二本折った事。
三つ、そのせいで父上と揉めて家を飛び出した事。
四つ、その際、屋敷に保管してあった日輪刀も共に消えていた事。
五つ、それ以来、なまえの行方が知れないと言う事。

もう、ここまでくれば予想はつくと思うが、つまり総括すると妹は見合いをぶち壊し、脱走して、まさかの最終選別へと向かったらしかった。

これを知って、何故冷静でいられようか。茶も噴き出す。
しかしながら、なまえならやりかねないと妙に納得してしまうのが複雑なところだ。

彼女は、俺と二つしか歳が離れていない事もあって、幼い頃から共に父から剣術を教わっていた経緯がある。
まさか――と、思ったが、稽古中によく父がなまえはとても筋がいいと、女にしておくのは勿体無いとその剣才を褒めていた事を思い出して、妙に納得してしまった。
幼い頃から花を摘んだり、絵を描いたりなどと女子が好むような遊びには目もくれず、木の棒を振り回し、駆け回っていたような妹だった。
千寿郎を揶揄う男児を年上年下関係なく尽くのしていた事を思えば、見合いよりも最終選別へ向かうという選択をしたなまえの行動も、至極普通の事のように思える。

そして俺は、今でも彼女が刀を握った時、それはそれは燃え盛るような美しい真紅に刃が染まった様を鮮烈に覚えていた。
その持ち前の才を生かして、刀を握ったら満更でもない結果が出てしまったのだろう。

なまえの少々複雑な生い立ちを知るのは、父と俺と、そして今は亡き母だけ。
千寿郎も彼女本人も知らない事実が存在している。
そのせいか、父は彼女を蝶よ花よと幼い頃から手塩にかけて可愛がり育ててきたが、まさかそれがこの最終選別に踏み切るきっかけとして生かされてしまおうとは気の毒で仕方がない。

「しかし、一体どうしたものか……」

行方が知れない以上、本当に選別を受けてしまったのなら、最悪の事態も考えなければならないのだ。
選別が始まれば一週間は藤襲山からは出られない。生死においても選別が終わるまで知る事が叶わない。
もっと早くその事実を知り得ていたならば、俺は全力で彼女を引き止めに行けていた。
それが叶わなかった事が、酷く悔やまれる。

いてもたってもいられない状況であるが、しかし、無闇矢鱈に行動を起こしたからと言って、なまえを見つける事は出来ないだろう。
俺は一旦、炎柱邸へと戻る事にした。
柱である以上、行方不明のなまえを探す事だけに注力する事は出来ないが、任務の合間をそれに当てる事は出来る。
その旨を伝える為に屋敷へ戻り、千寿郎へと手紙を書く事にしたのだ。

それが功を奏したのか、ただの虫の知らせであったのかは知れないが、果たして、屋敷に戻った時、真新しい隊服に身を包んだ妹の姿がそこにはあったのだ。

「兄上! ご無沙汰しております!」なんて、しっかりと日輪刀まで帯刀した紛れもない立派な鬼殺隊の隊士として彼女はどっしりと構えて其処に居た。

***

選別を無事に突破できたから良かったものの、勿論俺はなまえが鬼殺隊の隊士として危険な任務につかなくてはならないこれからの事を思うと、とてもじゃ無いが、納得も彼女の行いに賛同も賛辞も理解も許容すらも何一つとして肯定的には受け入れてやれなかったのだ。
己が身を置いているからこそ、その危険性を重々理解している。
そんな場所へ大切な妹をどうしておいそれと送り込む事ができようか?

その旨を伝えたところ、冒頭の言い争いへと発展してしまい、まんまと言い負かされてしまったのだ。
今日も説得する事がわなかった。
しかし、どんなにじゃじゃ馬であろうと、跳ね返りであろうと彼女は大切な俺の妹。愛おしい、俺の妹。
何としてでも、守り抜かねば。

それを知れば、また憤慨する姿が目に浮かぶが、それだけは是が非でも譲れないのでな。
荒々しく閉まった戸を眺めて、俺は小さく息をついた。

20200702


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