任務がここまで長引くとは思っておらず、屋敷に残してきた最愛の妹を思いながら急いで戻ったというのに――。

屋敷に戻ってみればもぬけの殻で、なまえの姿もなければ荷物もなく、痕跡という痕跡を何一つ残すこと無く彼女は姿を消していた。

いや、痕跡はあった。
たった一枚、置き手紙が文机に残されていたのだったか。

彼女らしい流麗な文字で認められたその置き手紙は、皮肉にも妹から貰った初めての手紙であったのだが、初めてにしては実に味気ないものだった。

今まで迷惑をかけて申し訳なかった、と。
これ以上の事は何も望まないので、だからどうか今回の事は兄上も気の迷いであったと考え直して下さい。
そのような内容が認められていたような気がする。

「はは、」と乾いた笑いを一つ溢し、今し方戻ったばかりであるのに玄関へ向かい再び草履を履く。

「我が妹ながら、やってくれる」

この想いを、置き手紙一つで断ち切れる程度のお粗末なものだと軽んじてもらっては困る。

ああ、そういえば置き手紙の内容を“気がする”だなんてどこか曖昧な物言いになってしまった理由を知りたいか?
そんなことは至極単純だ。

あの日のなまえよろしく“怒りに任せ、丸めて屑籠へ”放ってしまったからだとも。

***

「お、音柱様……! 宇髄さんなら、お願いすれば四人目の奥さんにしてくれないかな!?」

なまえを追って久しぶりの生家――煉獄家に戻るや否や、聞き捨てならない言葉が耳に入ってくる。

普段であれば冗談として軽く聞き流せそうな内容であっても、今の俺にとってはその何もかもが看過出来なかった。
いつだったか宇髄との会話を思い出す。
確かあの時も、それは冗談にしては笑えないと思ったものだった。
もしかすると、その頃から如何ともし難いこの感情は既に片鱗を示していたのかもしれない。

「……それは随分と笑えない冗談だな、なまえ」
「へ?」

笑えないと一蹴するなり、美しい着物姿で寝そべるなまえに声をかけると、大仰にその身を跳ねらせる。
腕を組み、開け放たれた障子に肩を凭れさせながらその様を窺うも、彼女は一向にこちらを見ようとしない。

――否、ただ単に見れないのだろう。
言いつけを破り、たった一枚の置き手紙を残し出ていったのだから。
さぞ、俺に対して後ろめたい事ばかりなのだろう。

意地でも振り向かないというのなら、回り込めばいいだけの事。
開けっぱなしだった襖を閉めてなまえの前まで回り込むと、片膝を立ててその場にしゃがんだ。

「あ、兄上……」
「先程、ここへ来る前に千寿郎から聞いたが、随分と見合いに精を出しているそうだな」
「それは……その」
「俺は、見合いをしてほしくないと言った筈だか? それとも、なまえ……お前がそんなに躍起になって見合いばかりしているのは俺のせいだろうか?」
「……っ、」

罰が悪そうに、なまえは視線を外す。
それでも俺は、ただただ真っ直ぐに彼女を見つめていた。
そんなにも綺麗に着飾って、相手の男に気に入られる為に嫣然と微笑む姿を想像しただけで、やりようのない感情が腹の底で茹だるようだった。

「今日は、兄として妹を叱ろうと此処へ来たわけじゃない。一人の男として、なまえを迎えに来た。言っただろう? 俺は、お前を誰にもやるつもりは無いと」
「! 兄上、それは……」
「ままならないものだ。置き手紙一つで居ても立ってもいられなくなって、こうして駆けつけてしまった」

自分でも呆れてしまうくらい、俺の中は彼女で溢れている。
そっとなまえの手の上に自分の手を重ねると、掌で包んだ小さな手がピクリと震えた。

「……まだ、誰のものにもなっていないな?」
「は、い」

掻き消えそうなほど小さな声で、彼女は肯定した。
その返事に安堵し、眉を八の字に下げて笑みを浮かべると、なまえは緩やかに首を左右に振る。
そして、逸らされていた瞳が俺を捉え、やっと互いの視線が交わった。

「今日も……駄目でした」
「ん?」
「兄上と比べてしまうんです。兄上ならきっとこう言ってくれるだろうとか、こんな風に私に触れて、優しく微笑んでくれるんだろうなって、考えてしまうんです」
「なまえ……」
「終いには、どの殿方もじゃが芋に見えてしまう始末です……!」
「……じゃが芋?」

はて?と思わず小首を傾げてしまった。
たまに彼女は突拍子のないことを口にする節があるので。

それから、一呼吸置いたのち「兄上のせいですよ」と、彼女は観念したように言った。

「なまえ、俺は自惚れてもいいのだろうか?」

どうかその問いに頷いてほしいと願わずにはいられない。
暫しの沈黙を経た後、なまえはぎこちなく頷く。

「兄上以上の人なんて、何処にもいません……こんな私でも、まだ、兄上のお傍に置いてもらえますか?」
「ああ、勿論だ。一等大切にする」

昔も、今も、そして――これから先も。何があっても。

どちらともなく交わした口付けは俺達を兄妹ではなく男女として、この瞬間に確かな関係へと変わったのだと証明した。

「よし! では早速、父上に報告するとしよう!」
「え!? それは些か早急ではありませんか?」

困惑するなまえに構わず、手を取って部屋を出た。
前を向いたまま、背になまえの戸惑う声を受けながら、廊下を進む。

「そんな事はないぞ。それに、こういった事は早い方がいいと俺は思う」
「何故ですか?」
「これ以上見合い話を持ちかけられても困るからな! 美しく着飾ったなまえをこれ以上他の男に見せてやるつもりもない」

ズンズンと廊下を歩いて父上の自室へ向かう最中、その話題ついでに一つ、ふと思い立つ。
突然足を止めたからか、なまえは勢い余って背中に顔をぶつけてしまった。

「――うぶ、……あ、兄上? 一体どうされたのですか?」
「時になまえ、俺の与り知らぬ所で何度見合いをしたか知らないが、気安く触らせていないだろうな?」
「え? ああ、そういえば……またもや尻を触られました。でも、大丈夫です。差し歯を折ってやりましたから」
「よもや!」

それは、初めての見合いで顔面を殴ったと手紙に認められていた男性の事に違いない。
そういえば、再度見合いの席を設けたとあったが、彼はとんだ命知らずだったようだ。

逞しく着物の袖を捲って力こぶを作って見せるなまえは、愛らしい笑みを湛え溌剌と答えた。

嗚呼、やはり俺の妹はそうで無くては。
気が強く、跳ね返りのじゃじゃ馬で、一を言えば十も二十も……いや、三十も返してくる強かさ。
それもひっくるめて俺は彼女を大層愛おしいと思う。

そこに隠された愛らしさは無論、俺だけが知っていればいい事だ。


【Fin.】
20230610


「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
×
- ナノ -