あの後――つまりは、任務の入った兄上が炎柱邸を発った後の事。

私は直ぐ様荷物をまとめ、置き手紙を残して屋敷を出た。
兄上には傷が良くなるまで静養するようにと言われていたけれど、あんな事があれば尚の事、私は此処には居られないと思ったのだ。

そのせいで困った事が一つ。
――兄上が男の人に見えて仕方がない。

今更何をという話だが、ここで言う“男”とは単なる性別ではなく、兄妹の垣根を超えた“男女”としての意識について言っている。
つまり、今の私にとって彼は兄ではなく男として見えてしまって仕方がないと言う事だ。

確かに兄上の事を好ましいと思っていたけれど、それは色恋ではなく憧憬。尊敬と憧れとしての好ましさだったはずだ。
それなのに血の繋がりが無いと知るなり、向けられる眼差しも、与えられる言葉も、私に触れる仕草一つでさえ、まるっと別物のように感じてしまう。

兄上からは任務を終えて戻るまで良い子で待っていろと言われたが、それは無理な話だった。
だから私は置き手紙を残し、僅かな荷物をまとめて炎柱邸を後にしたのだ。
兄上に何と思われようと、これは妹として正しい選択であったと思いたい。

――そう思わなければ、今までの私達を全て否定してしまうような気がして。

***

炎柱邸から煉獄家に戻って今日で早二週間。
お見合い相手の前歯を折り、ついでに持ち出した日輪刀も真っ二つに折って、終いには腹に一生消えない傷跡をこさえた私を、父上はそれはそれはこっ酷く叱り飛ばしたのだった。
あんなに叱られたのは初めてだったかもしれない。

そして、私が勝手に炎柱邸を去って以来、兄上は未だに煉獄家を訪れていない。
置き手紙も残してきた事だし、案外それを読んで“そうなのか”とあっさり納得したのかもしれなかった。

それとも、あのまま出て行ったきり任務から戻って来れないのかもしれない。
兄上は炎柱だ。柱は多忙であるから、次々に任務が舞い込めば対応に追われて一つの事に拘ってはいられない。
それならばそれでいいと思った。寧ろ、そうなってくれれば願ったり叶ったりだ。
会えない時間が愛を育てると言うけれど、育てる手前の感情はこの機に消えてなくなるかもしれないのだから。

それに、ここ二週間の私といえば、家事をしながら怒涛のお見合い強化週間を送っている。
以前の自分では考えられない事態であるからか、父上も千寿郎も人が変わったようだと……あの僅かな期間で一体何があったのかと戸惑っていた。
けれど、これでいい。
自分の出生を知ってしまった私にとって、実の娘のように育ててくれた父と母。それから実の姉のように慕ってくれた弟。
皆の願いが、私を思っての見合いだと言うのなら、その願いに応える事こそ今の私が出来る最大の恩返しだと思うのだ。

鬼殺隊に何の未練もないのかと問われれば少しばかり悩んでしまう。
しかし、私は鬼殺隊から去ったのだ。
誰に何を言われても残る事は出来たけれど、結局私は自らこちらを選んだ。家に帰り見合いをする方を選んだのだから。
きっと、亡くなった本当の両親だってそう思ってくれるだろう。そう信じている。
だから、兄上の元を離れた自分の選択は決して間違ってなどいない。

それらを吹っ切るように、干した洗濯物を叩いてシワを伸ばす。

「よし!」

お見合い強化週間とだけあって今日も例に漏れずお見合いだ。
今度こそいい縁談である事を願うばかりである。

「姉上」

早々と家事を片付け、慌ただしく身支度を整える私に声をかけたのは千寿郎だった。

「千寿郎、どうしたの?」
「あの、今日も……見合いですか?」
「うん、そうだよ。今日こそ私をもらってくれる人だといいんだけどね」
「……」

中庭の掃き掃除をする千寿郎はその手を止め、どこか物憂げな瞳で私を見ていた。

「そんなに急いで見合いをしなくてもいいんじゃないですか? だって、兄上からの手紙にも姉上は見合いだけは何があってもしたくないと認められていたのに……。本当は、」

千寿郎は本当に優しい子だなと思う。
放っておけと吐き捨てた父上に代わって家を飛び出した私を心配し、兄上に手紙を出してくれたのは千寿郎だった。
今もこうして私の為に気を揉んで、腐心している。
いつまでもその優しさに甘えていたのでは、姉として立つ瀬がない。
全てを言い終わる前に髪をくしゃくしゃと撫でて、無理やり言葉を取り上げた。

「ありがとう。千寿郎は優しいね……でも、私は平気。それを承知で戻ってきたんだから」
「……」
「それに、父上に見合い話を次々に持ってきてもらうようにお願いしたのは私なの」

その原因を話せない事を許して欲しい。
このままでは兄上に抱く感情が大きくなって止まらなくなりそうで怖かった。
あの日、あの言葉を聞いて満更でもない自分がいたからだ。憧憬では、なかったのだ。
それを認めたくはない。

「見ていて。今度こそ、素敵な殿方の元へ嫁いでやるんだから!」
「姉上……はい」

吹っ切れたように笑顔で言えば、千寿郎は困った風に眉を下げて笑い返してくれた。
「後悔はしないでくださいね。僕にとって貴女は大切な姉上ですから」と。

***

それなのに――

「なんで!?」

今日も、私は見事にからぶった。
いや、今回に関しては不幸な事故だったと思う他ない。
良い雰囲気で話も出来ていたし、男性を立てるよう淑やかに振る舞えていた筈だ。
街中を二人で散策しながら将来像を語り合えていたところまでは良かったのに「ひったくりだ、捕まえてくれ!」と何処からか声が聞こえ、目の前を駆けて行く盗人をひっ捕まえた挙げ句、仕舞いには一本背負で地面に叩き付けてしまった。
その間わずか数秒。
鬼殺隊で鍛えたおかげか、脊髄反射で成人男性を一瞬でのしてしまう女などお断りとばかりに今日も私は嫁げなかった。

「ここまで来たら、私……呪われているんじゃ?」

気付かない内に、いつぞやの任務で一生結婚出来ない血鬼術にでもかけられてしまったのだろうか?
ついには、あれだけ見合いをしろと言った父に「なまえ、お前暫く見合いを控えろ」と言われる始末。もう駄目だ。

別に相手の容姿にこだわっているわけでもない。
まあ、初対面で尻を撫でる男は無理だけれど(仕切り直しの際も性懲りも無く尻を撫でたので、差し歯を折ってやった)。仕方がない。兄上と比べれば、他の男なんて皆じゃが芋に見えてしまう。
無意識のうちに兄上と比べてしまう時点で、私は末期なのだろう。やっぱり、もう駄目だ。

兄上以上の男性でない限り、私は嫁げる気がしない。そんな人、いるわけが無い。
何より近くで兄上を見てきたのだから。

惨敗した私は帰宅しても着替える気力すら湧かず、上等な着物で着飾ったまま自室の畳の上で廃人のように横たわって途方に暮れた。

兄上以上……ふと頭の中を過った思考に、投げ出していた上半身を弾かれるように起こす。
いるじゃないか、兄上に負けず劣らず同等の殿方が。

「お、音柱様……! 宇髄さんなら、お願いすれば四人目の奥さんにしてくれないかな!?」

それは、今の私にとってこれ以上ない名案だと思った。本当に思ったのだ、この時は。
安易な思考で、それこそ思い付きで軽口を叩くものではない。
それこそ、誰に聞かれているかも分からないのに。

「……それは随分と笑えない冗談だな、なまえ」
「へ?」

身体が強張って、恐ろしくてとてもじゃないが後ろを振り向けなかった。
それは他でもない、置き手紙一つで別れを告げた親愛なる兄上の声であったから。


20230610


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