立て続けに任務が入ってしまって、屋敷に戻って来れたのはそれこそなまえと最後に顔を合わせて数週間は経っていたように思う。
先日俺は、何より大切に思う妹に対して酷く自分勝手な感情をぶつけ、身勝手な言葉を浴びせてしまった。
故に、炎柱邸が近付くにつれて足取りが重くてかなわない。

「(暫くは、口を聞いてくれないかもしれんな……)」

――為む方無し。
大切な妹を守る為とはいえ、あの時のなまえの悲痛な表情を思い出すと、本当に他にやりようは無かったのだろうかと苛むばかりであるが、いや、やはり何度考えようと、結論は同じだったと思うのだ。
たとえ、そのせいでなまえからの親愛が薄れ、信頼が失墜してしまおうとも、やはり俺は何度でも彼女に鬼殺隊を辞めろと告げるのだろう。

全ては大切な存在を守るため。
愛しい妹を畏怖する全てのものから遠ざるため。

いっそ、俺の手でなまえに拘う好ましくない物全てを隔て、囲って、隠してしまえればどれだけ――

「っ、いかんな……これは、よくないモノだ。兄妹の垣根を越えている……」

こんな感情は逸脱している。道を、外れている。

首をゆるゆると振って思考を放棄し、強制的に頭の中から追い出した。
今までうまく隠せていた筈であるのに、近頃はどうにもこの感情を持て余してしまう。

往来を行きながら、目に付いた甘味屋へと歩みを進める。
機嫌を取るという名目ではないが、彼女の好物の甘味でも買って帰るとしよう。

暖簾を潜って、店内に入ると甘ったるい匂いが鼻腔を擽る。
様々な種類の和菓子が絢爛豪華に並んでいるが、さてどれにしたものか――。
もしも、今この場になまえが居たとしたなら、どれを選ぶだろうか?
『兄上、迷ってしまってどれか一つに絞れないので、二つ選んでもいいですか?』と、服の袖を引いて強請る姿が容易に想像出来て、自然と口元が緩んだ。

「店主、これとこれ。……あと、こちらも頼む」
「はい。ありがとう御座います」

二つと言わず、三つでも四つでもいくらでも買ってやろう。
こんな事で彼女の機嫌が直るとは到底思えないが、それでも、もう一度あの可愛らしい笑顔が見たいと切に願ってしまうのだ。
兄の沽券や矜持といった譲れないものはあれど、俺はつくづく妹に弱い。

店を出て、甘味を手に再び炎柱邸に向かって歩き出す。
先程よりも足取りが軽いのは気のせいではない筈だ。

すると、不意に鎹鴉が此方を目掛けて飛んでくる。生憎と俺の鎹鴉では無かった。
では一体全体誰の鴉であるのか――。
止まり木宜しく腕を差し出してやれば、しおらしくそこに降り立って、鴉の足に文が括り付けられている事に気がつく。
差出人は誰だろうかと思った矢先、「文ヲ読マレ次第、蝶屋敷マデ来ラレタシ」と鴉が鳴いた。
蝶屋敷ということは、胡蝶の鴉なのだろうか?
それにしても、蝶屋敷とは穏やかでない。何故ならば、蝶屋敷は任務中に怪我を負った隊士が世話になる場所だからだ。
一瞬、俺の中でどうにも嫌な予感がして、もっと言えばなまえの事が頭を過って、思わず鴉の足に括り付けられた文を解く手が震えた。

――まさかなまえの身に何かあったのでは?

以前、胡蝶に伝えた事がある。
もしもなまえが蝶屋敷に運ばれるような事があれば、いち早く俺に知らせて欲しいと。

ドクンドクンと、まるで全身が心臓になってしまったかのように辺り一帯の音という音が掻き消えた感覚に陥る。
やっとの思いで文を解き、彼女の性格を表すかのような綺麗な字で認められた文章に目を通す。
そして、読み終えるや否や、俺は文を握り締めて矢庭に走り出す。
手に持っていた先程買ったばかりの甘味を放って、それどころではないとばかりに、それこそ一心不乱に駆け出した。

なまえ……!嗚呼、なまえ……!

「頼む、どうか無事でいてくれ……!」

***

「胡蝶! 胡蝶っ……!」

肩で息をしながら蝶屋敷に辿り着くなり玄関で家主の名を呼ぶ。
呼ぶと言うより、叫ぶと表現した方が正しいのかもしれない。

「炎柱様……!? どうされたんです、か――っ、」
「胡蝶は何処にいる!? なまえは!? なまえの容態はどうなんだ!?」

一体何事かとばかりに玄関に駆け付けたのは胡蝶ではなく、彼女の手助けをする隊士の一人だった。
俺の形相に怖気たのか、たじろいでそのまま言葉を失う。
そんな彼女の後ろから姿を表したのは今度こそ俺に文を寄越した胡蝶本人だった。

まるで俺とは正反対で、落ち着き払った様子で此方を見る。そして、小さく息を吐いた。
それは取り乱し、冷静さを欠いた俺に冷静になれと言わんばかりであって、俺の形相にも慄かない辺りは流石と言わざるを得なかった。

「なまえさんなら、大丈夫ですよ。命に別状は無く、目も覚まされてます」
「早くなまえに合わせてくれ!」
「煉獄さん。その前に、そのお顔はどうにかして下さいね。皆怯えてしまいますから。まずは冷静に。私が言いたい事が分かりますか?」
「あ、ああ……分かった。……すまなかった」

彼女の言葉は、時にどうしてこんなにも底冷えするのだろうか。
あれだけ荒ぶって、昂っていた感情が一瞬にして冷え切っていくのが分かる。
もしかすると、妹が絡むと俺が冷静でいられなくなると踏んで、なまえが目を覚ましたタイミングで俺を呼んだのかもしれない。
だとすれば、それは胡蝶の見事な采配であったと思う。
その配慮に少なくとも救われた。俺自身、こんなにも我を忘れ、取り乱すとは思いもしなかったのだから。

「どうぞ、此方へ。案内しますね」
「すまないな」

病室へ続く廊下が長く感じてかなわない。
幾分か落ち着いたものの、正直今すぐなまえの元へ駆け出したい気持ちで一杯だった。
顔を合わせた最後があんな状況であったから、尚更悔やまれてしまって――。

そして、やっと辿り着いた病室の扉を開けると、入り口に立つ俺に気が付いたなまえは怪我で傷ついた身体をゆったりとした動作で起こす。
額に首、それから腕にまで包帯を巻いて、頬には大判のガーゼを貼り付けている。

「あ、兄上……」

ズンズンと大股で歩みながらなまえまでの距離を詰める。目前まで行き至ると決まりが悪そうに俺を呼んだ。
この間、鬼殺隊を辞めろと言い渡したばかりでこの有様であったから、合わせる顔が無いのだと思った。
この病室にはなまえの他に、竈門少年と黄色い少年、それから猪頭少年も共に療養しているようだったが、今はなまえ以外が視界に入らない。思案の外。蚊帳の外。

「……」
「兄上……これはその……――っ!!」

言い訳か、謝罪か、はたまた懇願か――。
そんなのはどうだっていい。

俺は、なまえの頬を張り飛ばした。

バチンと乾いた音が部屋に響いて、間髪入れずに「ぎゃぁああ!」と、黄色い少年の悲鳴が木霊する。
勿論、本気ではない。軽く叩いた。
けれど、俺がなまえの頬を張り飛ばしたのは初めてであったから、なまえは双眸を見開いたまま微動だにせず、打たれたまま、顔を横に向けたままで固まってしまった。

そして、なまえの華奢な身体を掻き抱いた。

「無茶な真似を……!」
「兄、上……」
「肝が冷えた……生きた心地がしなかった……! お前の身に何かあれば、俺は冷静でいられない!」
「――っ、兄上」
「頼むから、俺の目の届かない所で無茶はしないでくれ」

俺を呼ぶ声は震えていた。
俺の声もなまえと同じく震えていた事だろう。

なまえを失うかと思うと、酷く恐ろしいと思った。

「よく、生きて戻った」
「……ごめん、なさい……無理をして、ごめんなさい」
「ああ、今はもう何も言わなくていい」

嗚呼、生きている。
腕の中の温もりと、トクトクと脈打つ心音に心底安堵して、一層その身体を抱きしめたのだった。


20230213


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