「なあ、真菰……」
「なまえの事?」
「! まだ何も言っていないのに、何で分かったんだ?」
往来に面する茶屋の長椅子にて。
偶々出会した同門である真菰に相談を持ちかけると、まだ何も切り出していないにも関わらず彼女はズバリ俺の悩みを言い当てた。
相談料としてご馳走した団子で俺を指しながら、ニヤニヤと表情を緩める真菰は「錆兎をこんなに悩ませるのはなまえくらいでしょ?」と分かりきった風に言った。
その前に、団子で人を指すな。
「なまえの扱いが、てんで分からん……師範であるのに情けない」
「苦戦してるね、錆兎。まあ見てる分には面白いけど。あはは」
「笑い事じゃない……鱗滝さんから託された以上、投げ出すことはしないが、こうも一筋縄でいかないとは思いもしなかった」
男であるのに、いつまでもウジウジと悩んで情けない。
そう、実のところ俺と義勇、真菰、炭治郎――そしてそこに加えてなまえも同門、つまりは鱗滝一門なのである。
同門であれど、彼女が妹弟子の立ち位置であれど、今に至るまでの経緯を何も知らない。
何らかの理由があったらしいが、それも知らない。俺は、なまえの事を知っているようで何も知らない。
ただ、鱗滝さんから目を掛けてやって欲しいと頼まれたのでそうしているだけであって、俺と彼女を繋ぐ物など実際の所何もないのだ。
それこそ、上辺だけで薄っぺらい。
悩みあぐねる俺の隣で団子を頬張る真菰は「まあ、でも……」と、俺とは対照的にあっけらかんと言ってのける。
「怒ってばっかりだからじゃない?」
「それを言うか?」
俺だって怒りたくて怒っているわけではない。口酸っぱく言って聞かせているわけでもない。
「普通でいいんだよ。普通で」
「普通?」
「そうそう。女の子って、ちょっとした変化でも気付いてもらえると嬉しいものだよ? あと、王道に贈り物したり」
「……なあ、それは師範と継子の域を出てるんじゃないのか?」
俺となまえは別にそういった間柄ではないんだが?
あくまで俺は、なまえの扱い方を知りたいのであって、男女間の云々を知りたいのではない。
「え? 似たようなものなんじゃないの? 特に錆兎は」
「…………、はぁ!?」
思わず立ち上がって声を上げると、真菰は何が面白いのか腹を抱えて笑っていた。全くもって解せない。
***
茶屋を後にして、結局俺は真菰に団子を奢っただけで対価を何も手にしないまま往来を行く。
相談を持ちかけたのに、真菰ときたら見当違いな返答ばかり口にするのだから。
「はぁ……」
自ずと出てくるのは溜め息ばかりだ。
そろそろ単独任務に出ているなまえも戻ってくる頃だろうかと頭の片隅に思い浮かべた時、ふと脇の露店に目が行く。
櫛や髪飾り、結い紐や香り袋といった女性に向けた小間物がずらり並んでいる。煌びやかなそれらを見てふと足を止めた。
なまえが好きそうだ、と思ったのだ。巡回中にこういった店を見つけるといつも必ず足を止めては感嘆に声を漏らしてはしゃいでいたな……と。
「おやおやー? 女性に贈り物ですか? 錆兎さんも隅に置けませんね」
「!」
不意に背後から声がして、ひょっこり傍から顔を覗けたのは、今し方、俺の悩みの元凶であり真菰に相談を持ちかける発端となったなまえ本人だった。
任務帰りらしい。今回も怪我をする事なく戻って来たようで、安堵する。
「そんなわけあるか」
「そうなんですか? ふーん。つまんないなぁ……」
お前を思って足を止めてしまったのだとはとても言えない。
それに今、こいつ“つまらない”と言ったか?
またいつもの調子で口を開きそうになった事に気が付いて、ぐっと堪える。
そして、先程の真菰の言葉が頭をよぎった。
“怒ってばっかりだからじゃない?”
“女の子って、ちょっとした変化でも気付いてもらえると嬉しいものだよ?”
傍でしゃがみ込み、髪飾りを手に取って「可愛いなぁ」と表情を輝かせるなまえを見て、咳払いを一つ。
「なまえ……その、お前少し髪が伸びたんじゃないか?」
ちょっとした変化に気付く。これは先程の真菰の助言に当てはまるのではないだろうか?
それにしても、普段から彼女に対してそういった気遣いをしてこなかったので気恥ずかしい。
それなのに――
「まあ、そりゃあ生きてたら髪ぐらい伸びますよ」
「!?」
真菰!!
想定外の返答だった。まさに糠に釘、豆腐にかすがい。
全くなまえには響いていなかった。いや、届いてすらいないようだった。俺の気遣いなど、これっぽっちも。
「わあ、これ素敵だなぁ」
気に入ったらしい髪飾りを手にするなまえを見て、今度こそ!と意気込んで真菰が王道だと称した贈り物作戦に出る。
「それが気に入ったのか? 買ってやる」
「え!? け、結構です……」
「何故だ? 遠慮するな」
「い、いいです! これくらい自分で買います!」
真菰!!
さっきの助言が一つも役に立たないじゃないか。
距離が縮まるどころか、かえって開いてしまった気すらする。どこまで行っても交わることのない平行線のような距離感が露呈したようだった。
これだから、らしくないことはしたくない。
急に態度を変えたものだから、なまえは怪訝な表情で此方を見る。
「……何か企んでます?」
「何故そうなる!」
「やっぱり錆兎さん女性への贈り物選んでるんでしょ? 私が見繕って差し上げますよ?」
「だから、違うと言ってるだろ……」
確かに、人は大切な存在だとか守るものがあれば強くあれる。
しかし、鬼殺の道を歩んでいるのだ。鬼殺隊に身を置いている以上、明日をも知れない命であるからそういった存在とは正直距離を置いていたと思う。
だが――今はどうだ?
そう言い切れるか?己が心の奥に、底に、何も無いと言い切れるか?
無意識のうちに、なまえを見つめていた。
「錆兎さん?」
「……いや、何でもない。この間階級が上がっていたろう? それを兼ねて、と思っただけだ」
咄嗟の言い訳にしては、良く出来たと思った。
確かに、初めこそ真菰の助言に踊らされ、その通りをなぞっただけであったが、今思えば誉めてやると不服と言わんばかりの表情に紛れて気恥ずかしそうな笑みが隠れていた事を知っている。
俺は彼女の事を何も知らないが、知っている事だってあるのだ。
「じゃあ、これがいいです」
「うん?」
「結い紐。髪も伸びたので」
「ああ。好きな物を選ぶといい」
様々な色がある中で、なまえは何色を選ぶのだろうか?
羽織と揃いの薄桃だろうか。それとも指先を彩る、塗り直したばかりの薄黄。澄んだこの空のような青か、はたまた純真無垢な白であるのか。
結い紐を真剣な眼差しで選りすぐるなまえの姿を、どんな感情で見つめていたのか――それは俺自身にもまだ分からない。
ただ確かなことは、きっとどんな時よりも和やかな眼差しであった事に違いない。
「決めた。これにします!」
「……本当にその色でいいのか?」
その色は、彼女らしさで言えば想定外というか、まず選ぶことはない色だと思っていただけに、思わず聞き返してしまった。
――宍色。まさに俺の髪を表すその色だ。
「はい! どうですか? 似合います?」
「ああ。悪くないな」
「悪くないって何ですか、もう……」
綺麗な艶やかななまえの黒髪によく映えていた。
悪くない――似合っていると言えなかったのは、照れ隠しだったのだと許してほしい。
露店の店主に金を払い終えると、なまえはその場で慣れた手付きで髪を結う。
「あ、でも継子にはならないですよ!?」
「何言ってる。もう、なったようなもんだろう?」
「んな!? ……へ、返品してきます! やっぱり別の色に変えてもらいます!!」
「もう遅い。ほら、帰るぞ」
反論は聞き入れない。その結い紐が彼女の髪を縛っている限りは。
――嗚呼、本当によく似合っているな。
20230122