ここ最近の専らの悩みと言ったら、何を差し置いても十中八九この継子(仮)だった。

「……はぁ。お前はまたこんな所で寝転がって何をしているんだ……女であるなら恥じらいを持て。その格好は流石にはしたないぞ」
「あ、水柱様。おかえりなさーい」
「……」

“おかえりなさーい”ではない。俺は仮にもお前の師範だぞ。

今回は彼女に単独の任務が入っていたので、自身の任務に連れて行く事が出来なかったのだが、戻ってみればこの体たらくだ。
これ以上説教を浴びせたところで、なまえには届かないだろうと理解してしまう自分が何とも情けない。

陽の当たる縁側で、猫の如くゴロゴロと寝転がり寛ぐ彼女は、帰宅した俺を一瞥した後、満足気に頭上に掲げた指先を眺める。

「見てください! この新色の爪紅、すっごく可愛いの。いい色ー。小間物屋の店主が私に絶対似合うからって勧めてくるので、つい買っちゃいました」
「買っちゃいましたじゃない。またそんな物に金をつぎ込んで……この間似たのを買ったばかりだったろう? 大体、俺の継子であるなら自主的に鍛錬の一つでもこなせ」
「えー!? ……嫌です。爪紅が剥げちゃいます」

「この間の物とは色が微妙に違うんですよ。それに、休暇日くらい自由にしたいです」と減らず口を叩くなまえに対して、俺は頭を抱えて溜息を吐く他なかった。
ゴロリと寝返りを打つ彼女は、性懲りもなくのんびりとした口調で言葉を紡ぐ。
際どい丈の隊服の裾からは白くしなやかな脚が覗いて、なんとも目のやり場に困ってしまう。

「水柱様もいい加減諦めてくださいよ。私、絶対に水柱様の正式な継子にはなりませんからね」
「何を言っている。お前のその舐め腐った根性を叩き直す為に引き取ったんだ。それが叶うまで易々と解放してやる訳がないだろう。未熟者め」
「未熟でいいです。強い女は需要ないですし」
「……」

嗚呼、全くこの小娘は。ああ言えばこう言う。
ならば何故、鬼殺の剣士になったんだ。一体何の為に。
そもそもその程度の覚悟でよく鬼殺隊の隊士になれたものだ。ある意味天晴であるが、しかし、彼女は普段でこそこの有様でも、なかなかに太刀筋がいい。
小柄な体躯は決して恵まれてはいないが、それを補う十分な素早さと剣技が彼女にはある。それを伸ばせばかなりの手練の剣士になれると言うのに、当の本人がこれではどうにもならない。

「問答無用だ。巡回に行くぞ。お前も連れて行く」
「え!? い、嫌です! 今日は休暇日なんです! 働きません……!」

薄桃色の羽織ごと首根っこを掴んで、強制的に連れ出そうものなら、一層喚き散らす。
やれ「そんなに引っ張ったら羽織が破れる」だの、やれ「せめて髪だけでも直したい」だの。
そんな事は果てしなくどうでもいい事だった。
襟首を掴み、引き摺りながら屋敷を出る俺に向かって彼女は容赦なく言い放つ。

「放してくださいってば! ……もう、こんな事なら義勇さんの継子になりたかったです!」
「……! おい、何で義勇は名前で呼んでおいて、当の師範である俺は水柱様なんだ」

ほんの少し心に出来た歪みが、こうも俺を堪らなくさせてしまう。
名前がどうだとか、呼び方がどうだなんて、それこそどうだっていいではないか。
そんな小さな事に拘って、腹を立てて、男らしくない。自分らしくない。
これも全て、なまえと関わりを持ち始めたからに違いない。

こんな、手に余る感情など――。

「だって、水柱はお二人いらっしゃいますから。呼び分けないと、どちらを呼んでいるのか分からなくなってしまいます」
「それは、確かにそうだが……」

なら、俺を名前で呼べばいいだろう?何で義勇の方なのか。

「どうかしましたか?」
「――っ、」

先程からひっきりなしに自分の内側から湧き上がる感情に、はたと気が付いて、掴んでいた首根っこから手を離した。
無理矢理にでも連れて行こうとしていたのに急にその手を緩めるので、なまえは訝しげに小首を傾げる。

「あの……水柱様?」
「錆兎だ」
「はぁ、水柱様のお名前はもう存じてますけど……」
「知っているなら呼べ」
「えー……」

一瞬でも思ってしまったのだ。彼女に名前で呼んでほしいと。
俺も義勇のように、名前で呼んで欲しいと……――否、それだけじゃない。
叶うなら、彼女が名前を呼ぶのは俺だけがいいなんて、そんな感情が胸を占めていたのだ。
情けない。私情を挟むなど。
男らしくない。こんなことで一喜一憂する自分が。

しかし、次の瞬間。彼女は酷く嫌そうな顔をして此方を見上げたので、俺はこめかみに青筋を浮かべ、一度は離した首根っこを再度掴み上げた。

「よし分かった。お前のその曲がりに曲がった根性は、俺が責任を持って叩き直す」
「何でそうなるんですか!? う、あ、ええっと……さ、錆兎さん! 錆兎さーん!」
「何だ? そう張り切らずとも、巡回から戻れば鍛えてやるさ」
「な、何で……!?」

「嫌だ嫌だ」と喚く継子(仮)を引き摺りながら町の往来を目指す俺の表情は少しばかり晴れやかであった事はここだけの話だ。
今でさえこうなのだ。己が内側へ抱える真意を、心理を、感情を――それらをまるっと知り得るまでにはきっと大した時間はかからないだろう。

20200522


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