「やっぱり錆兎さんもこういった場所に来るんですね」
「やっぱりって何がだ」
「やだな、そのままの意味ですって……アダッ!」

トクトク、と錆兎さんのお猪口に酒を注ぎながら揶揄うような笑みを浮かべて見せると、額を指で弾かれてしまった。
錆兎さんは軽く弾いたつもりだろうが、デコピンらしからぬ鈍い音がして、前頭骨にヒビでも入ってしまったのではないかと錯覚するほどの、それは痛みだった。
仮にも今の私は“商売道具”の一つであるのだから、気安く額を弾くのはよして欲しい。
きっと今ごろ赤く額が腫れてしまっているに違いない。

「そんなわけ無いだろう」
「いいですって、恥ずかしがらなくても。錆兎さんも男の人ですもんね。溜まるもの溜まりますもんねー」
「……」

無言でキッと睨まれたものだから、咄嗟に額を手で覆い隠す。同じ轍を踏む私ではないのだ。
しかし、それは取り越し苦労だったらしく、徐に伸ばされた錆兎さんの節くれ立った手が、私の頬へそっと触れた。
添え当てられた手が頬を優しく撫でるから、強張っていた身体から力が抜ける。
こんな風に優しく、壊物を扱うように触れられたのは初めてであったから、どうすればいいのか分からない。
凛とした眼差しに見つめられ、ジリ……と、身を焼かれているようだった。
――嗚呼、逸らせない。

「あ、あの……錆兎、さ――いひゃひゃ!!」
「全く、お前と言う奴は俺に黙って勝手なことを……!」

まさに油断大敵。
錆兎さんは私の頬を突然抓り上げた。気を抜いていたせいで、抵抗する隙を与えられないまま、されるがままに抓られた頬は限界まで伸び広がる。

「いひゃいでふ! ほへひはひひょうははひはひへ!」

流石に何を言っているのか分からないからか、錆兎さんは頬から手を離した。
摘まれていた頬が熱を持ってジンジンと痛む。

「何だって?」
「誰のせいですか、全く。だから、これには……この格好には、理由があるんですってば」
「どんな理由だ? 俺が納得出来る理由なんだろうな?」
「どうしで錆兎さん基準なんですかぁ……もう。音柱様の指示です」

未だに痛む頬をさすりながら、胸元が大きく開いた着物の合わせ目を直す。
そう、今の私は鬼殺隊の平隊士――ではなく、花街の一角に店を構える女郎屋の遊女だった。
何度か潜入調査をこなした事があるので変装も中々手慣れていると思う。今の私はどこをどう見たって一端の遊女だろう。

音柱 宇髄天元様。
何か思い当たる節があったのか、その名前を出すと、錆兎さんはピクリと眉を顰めた。

「何故断らないんだ。継子なら、師範の許可が必要だろう?」
「だって、私は錆兎さんの継子ではないですし」
「まだそんな事を……はぁ。仮だったとしても、似たようなものだとこの間言ったろ!」
「お、怒らないでくださいってば!」

いつもの様な言い合い(錆兎さん曰くただの口答え)が又候始まったかと思っていたのだが、彼がお猪口を膳に叩き置くものだから、思わず背筋を伸ばした。
お怒りだ……酷く、水柱様はお怒りのご様子だった。

「だったら、せめて手紙の一つでも寄越せ! 仮であろうと継子の近況を宇髄から聞かされた俺の身にもなれ……」
「だから、その、すみませんでした……いつもの事だったから、別にいいかなと思って」

戻ったって、どうせ地獄の素振りと打ち込み千回が待っているだけなのだし……。
罰が悪そうに錆兎さんから目線を逸らし、唇を尖らせながら尻すぼみに返答すると、今日何度目か分からない溜息が耳に届く。
それが何だかズシリとのしかかってくる様でいて、さらに身を小さくした。

「……それで? その件ならもう情報収集を終えたと聞いたが、何でお前は今もその格好をしたままなんだ?」
「よくご存知ですね。ですから、今夜ここを抜け出す予定です」
「夜になる前に抜け出す隙ぐらいいくらでもあったろう?」
「いや、それが……昼夜問わず情報収集に勤しんでいたら並々ならぬ眠気に襲われてしまって……ですね。あはは」
「……」

気が付けば夜になっていて、抜け出す隙を逸してしまって、お座敷に呼ばれたから上がってみれば錆兎さんが居たと言うわけだった。

無言はやめてほしい。
目は口ほどに物を言うとあって、不機嫌と呆れが混ぜこぜになったような感情がそこにはあった。

「そ、そういう錆兎さんだって! 隊服じゃなくて着流し姿でこんな所に来てるじゃないですか」
「だから、何だ?」
「何だじゃ無いですぅー。そういう事しに来たんでしょ? はいはい、お酌して差し上げますよーだ! 何なら素敵な姐さんを呼びましょうか?」

一体私は何を口走っているのだろう?
先程は、溜まるもの云々と言って揶揄っていた通り、別に可笑しなことでも何でも無いのだ。
男の人がこういった場所を訪れるのは至極普通だと思う。それが錆兎さんであってもなんら不思議はない。
でも、心の奥底で、錆兎さんならそんな事は無いと勝手に思い込んでいたのかもしれない。
小間物の露店で立ち止まっていた時も、本当は女性への贈り物では無いと知って安心していたのかもしれない。

――何で?

「いらん。お前を此処から連れ帰る為に決まっているだろう? それ以外に何がある」
「へ?」
「隊服姿だと悪目立ちしてしまうからな。この格好の方が都合がいいと持っただけだが?」

逸らさず、真っ直ぐ此方を見つめる錆兎さんは、私の失言に怒るわけでも呆れるわけでもなく、ただ純然たる事実を淡々と告げた。
私の手から徳利を取り上げて、顎に指を掛け上向かせる。

「確かに、これ以上他の男に見せびらかすには惜しい」
「さ、錆兎さん……?」
「聞くまでも無いと思うが、誰の相手もしていないだろうな?」
「し、してましぇん……」
「よし」

言って、錆兎さんは私の髪に触れたかと思うと結っていた髪を解き、飾り立てた装飾品を全て外して横抱きにする。

「ちょっと、え、ええ!?」
「振り落とされたくないなら、ちゃんと腕を回しておけよ?」
「いやいや、でも、着替えとか報告書とか色々と置いたままで……」
「それなら心配いらない。宇髄の所の鼠を借りたからな」

流石、使い勝手のいい鼠だなと頭の片隅で思いながら錆兎さんを見上げ、首がもげるほど左右に激しく振った。
もしかして、もしかしなくても――。

「黙っていないと舌を噛むぞ?」
「嫌です、待って、ちょ――ぎゃぁああああ!」

鬼殺隊の中でも抜きん出た実力を誇る柱の身体能力を侮ってはいけない。
窓を開けたその刹那、私は浮遊感に襲われる。

眠らない街と称される遊郭を眼下に捉えながら闇夜に紛れる人影が二つ。
錆兎さんは夜っぴて私をこの檻に閉じ込めておく気は更々無いようだった。


20230123


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