「――っ!!」

目が覚めるなり、悪夢から解放されたようにベッドから跳ね起きた。

静まり返った室内が、まるで嵐の前の静けさの様でいて恐ろしかった。
悪夢からの解放どころか、寧ろここからが悪夢の始まりと言っていい。

一体何の悪夢かって?
そんなもの、改めて語りたくは無かった。
酒の勢いで冗談混じりに抱いてくれと、それこそ軽いノリで伝えたら本当に押し倒されてしまった事など。

カーテンの隙間から差し込む陽光を辿るように恐る恐る傍へ視線を滑らせると、そこには安らかな寝息を立てて眠るチリちゃんの姿があって、サーッと血の気が引いた。

完全にやらかしている。
しかし、重要なのはこの後――つまりは事実確認だ。
限りなく低いが、未遂という可能性も残されているのだから、そこに一縷の望みを託すしかない。
この布団の下がどのような状態になっているかによって、笑い事で済まされるか惨事として葬り去りたい一夜と化すかの瀬戸際である。

落ち着け、落ち着け、落ち着け私。

まるで呪文を唱えるかのように自らに言い聞かせ、意を決して勢い良く布団を捲る。
そこには下着は愚か、布切れ一つ身に付けていないお粗末な裸体が晒されていた。
因みに、チリちゃんも同じく素っ裸だった。

「(ひいいいいい……!)」

嗚呼、やってしまった。
夢では無かった。
夢になど、してもらえなかった。

両手で顔を覆い隠し、悔やんでも悔やみ切れない己の愚行に消沈する。

せめて酔っ払った勢いで記憶を喪失していれば……なんて、この後に及んで逃げ道を探してみるけれど、下腹部に回されたチリちゃんの腕に気が付いて、今度こそ愚かな思考は木っ端微塵に砕かれた。

缶ビール一本ではとてもじゃないが記憶を飛ばす程の力は無い。

だって、覚えている。
しっかりと、この身に刻み込まれている。
チリちゃんの指が、唇が、私の肌を滑る感触とその熱までも。
髪を解いた艶やかなチリちゃんの姿も、抗えない快楽に縋ってただただ気持ちがいいと鳴く事しか出来なかった自分自身も。
全部全部、覚えてしまっている。

「……はぁ、」

溜め息をつき、傍で眠っているチリちゃんを起こさないようベッドから抜け出すと、そそくさと床に脱ぎ散らかしたままになった衣服を拾い上げ、身につける。
出来るだけ物音を立てないように細心の注意を払いながら身支度を済ませ、鞄に手を伸ばす。
幸い、チリちゃんはまだ眠っているようだった。

このまま部屋を出てしまおうか――逃げ出して、しまおうか。

元を辿れば全て自分が引き起こした事である。
しかし、それを棚に上げても、自分勝手だと罵られても、チリちゃんと顔を合わせる事は避けたかった。
だって、どんな顔をすればいいのか分からない。

僅かに残った良心の呵責から、テーブルの上にある紙とペンを拝借して書き置きを残し、部屋を後にした。

きっと、今後こんな風に会うことは無いだろう。
街で顔を合わせることはあるかもしれないが、それだけだ。
縁もゆかりも無いこのパルデア地方で折角再会出来たのに、その機会を台無しにしてしまったのは他でも無い自分自身なのだから。

“ありがとう” はしっくりこない。
“さようなら”なんて恋人でもあるまいし。
悩みに悩み、熟考した末に書き残した言葉が【お邪魔しました】の一言だけだなんて、なんともお粗末で笑えてしまった。

***

「ようこそ、なまえさん。お待ちしていました。私は、オモダカと申します。パルデア地方のポケモンリーグ委員長と学園の理事長を兼任しています」
「今日からお世話になります。ガラル地方のポケモンリーグで事務作業を主に行なっていました。運営の方も少しはお力になれると思います。一日も早くお役に立てるよう尽力して参りますので、どうぞ宜しくお願い致します」

朝からイレギュラーな事態に見舞われてしまったが、宿泊予定だったホテルに無理を言ってアーリーチェックインを済ませ、なんとか身支度を整えた。
無事、決められた時間きっかりに委員長室を訪れることが出来、一安心だ。

そして、今日からこのパルデア地方ポケモンリーグが正式に私の勤め先となる。
まだ全てを吹っ切れているわけでは無いが、いつまでも昨夜の出来事に気を取られているわけにもいかないのが社会人の性である。
公私混同はせず、オンオフの切り替えはきっちりと。

正直、出向に後向きではあったが、リーグから程近い場所に住まいまで確保してもらえる手厚い待遇に正直驚いた。

「優秀な貴女の事を宜しくと頼まれているんですよ」
「精一杯努めさせて頂きます……!」
「宜しくお願いしますね」

休憩時間にダンデくんに電話を掛ける事にしよう。
そして今一度、心からの感謝を伝えなければ。
そういえば昨日、中途半端に会話が終わってしまったのだっけ。

「ああ、大切な事を伝え忘れていました。事務作業の他に貴女には今回このリーグで任せたい仕事がありまして」
「任せたい仕事、ですか?」
「ええ。声を掛けているので、そろそろ来る頃かと思うのですが」

私でよければ喜んでお受けしますと言いかけたところで扉をノックする音が響き「噂をすれば」と、オモダカさんは此方に目配せをして、入ってくるよう促した。

「失礼します」
「っ!?」

まさか、こんな偶然があろうとは。
いや、最早これは仕組まれた必然では無いのかとさえ思える。

入室する人物を目にした途端、全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出した。
これ以上開けば眼球が飛び出すのでは無いかとばかりに大きく双眸を見開いて、あんぐりと口を開ける私に向かって、彼女はヒラヒラと手を振った。

「まいど! チリちゃんやで」
「んな、なななななん……で!?」

そこには今朝方決別を誓ったばかりのチリちゃんの姿があって、一体何がどうなっているのか脳内は混乱の一途を辿る。

「おやおや、お二人は既に知り合いでしたか」
「知り合いっちゅーか……なあ? なまえ」
「お、おおおお友達です! はい! 大親友でしゅ!」

先程とは一変して落ち着きを無くした私を目の当たりにし、オモダカさんは、不思議そうにその様を眺めている。
チリちゃんといえば、尋常ではない取り乱し方をする私に堪えきれなかったのか、ブハッと吹き出した。

「でしたら丁度いい。なまえさん、今日から貴女はチリの補佐をお願いします」

「貴女の上司ですよ」と告げられた私の人生は、たった今この瞬間をもって幕を閉じた気がした。


20221212


「#甘甘」のBL小説を読む
BL小説 BLove
×
- ナノ -