“昼食は一緒に食べよう”

言い出したのは果たして私だったか、それともチリちゃんであったか忘れてしまったけれど、とにかく、私達の間ではそれがいつの間にか確立されていた。
浸透してしまっているからこそ、最早それは私にとってもチリちゃんにとっても何ら不思議ではなく普通の事であって、今更そこに疑問は抱かない。

勿論、必ずしもそうしなければならないと言う訳では無いし、仕事で外出中だとか、時間が合わないだとか、どうしても一緒に食べられない時はあるので、その時は例外だった。
その例外を除いた普段通りの昼食は一緒に食べようと言ったニュアンス。

だから、私は本日も昼休憩になると事務室を出て、チリちゃんの待つ執務室へと向かう。
今日は暖かく天気もいいから、こんな日は少し足を伸ばして公園のベンチで昼食を取るのも悪くない。
折角、晴天に恵まれても、私もチリちゃんも仕事という名の軟禁の下、リーグ施設に閉じ込められてしまって……。
自分だけの宝物を探してパルデア地方を自由に駆け回る学生達が心底羨ましいと、廊下の窓から臨む景色に思いを馳せた。

とは言っても、いざ“さあどうぞ”と言われたとしても実際冒険に出ることはしないだろうから、私にはこれでいいのだ。
いいな……と、思いを馳せるくらいで丁度いい。

そうこうしているうちに目的の執務室に行き至って、ノックをしてからドアノブに手を掛ける。

「チリちゃーん、今日のお昼は天気がいいから外で食べ、よ……?」

いつもなら私の姿を目にした途端、即座に反応が返ってくるのに今日はそれが無い。
チリちゃんの声もせず、姿も無く、執務室はまるでもぬけの殻のよう。

キョロキョロと辺りを見渡しながら中に入るも、やっぱりチリちゃんの姿は無い――いや、あった。
姿はあったけれど、反応が無い。
チリちゃんの姿というよりも、応接用のソファーの端から見慣れた彼女の深碧の髪が溢れていて、そこにチリちゃんがいる事に気が付いた。
正確には、寝転がっている事に気が付いた。

「おーい、チリちゃん?」

再度声を掛けてもやはり返事は無く、その代わりにチリちゃんからは小さな寝息が聞こえる。
こんな風に、執務室で――応接用のソファーで眠るチリちゃんを見るのは初めてだった。
よっぽど疲れが溜まっているのだろうか?それとも今日の心地よい気候に眠気を誘われたのかもしれない。

なんだか、気持ちよさそうに眠るチリちゃんを起こす気にはなれず、私は傍まで近寄ると、その場にしゃがみ込んで寝顔をじいっと眺める。
眠っていると、彼女の特徴である垂れ目は伏せられているけれど、その整った造形は相変わらずであって、以前もチリちゃんの寝顔を見て彫刻のようだと――芸術作品のようだと思ったものだが、今日も今日とて懲りずに同じ感想を抱いた。

「寝顔まで美人さんだなぁ。おお……お肌もスベスベだ」

そっと手を伸ばして、指先で輪郭をなぞるように触れてみる。
肌のキメが細やかで、毛穴も無い。その肌触りと言ったら、想像の十倍はスベスベでふわふわだった。
なんて羨ましい。今度、スキンケアの方法を教えてもらおう。

いつもは、こんな風に見つめる事も自分から触れる事もしない。しないというよりも、出来ない。
触れてみたいという欲よりも、その眼差しに見つめられるだけで、その声に名前を呼ばれるだけで精一杯になってしまうので、叶わないのだった。
だから、考えようによっては、チリちゃんが眠る今こそ私の欲と好奇心を満たすにあたってこの上ない、絶好のチャンスではないのか?

チリちゃんの額に掛かった前髪を指で梳いて、そっと唇を寄せる。
しかし、唇が額に触れる直前に思い止まった。
いつも私からチリちゃんにキスをする時は、決まって頬か額ばかりで唇にして欲しいと強請られることもしばしば。
そもそも自ら進んでチリちゃんにキスをする事すら珍しい。

それこそするなら今しかないのでは?と思い立って、チリちゃんが眠っているのをいい事に私は薄く色付いた彼女の唇へそっと自身のそれを重ね合わせる。

やれば私だって出来るじゃないか。
自ら進んでチリちゃんの唇へキスが出来たことに満足して、再び恋人の寝顔鑑賞へと戻った私は充足感に満たされていた。

こんなにも美しい女性が自分の恋人であるのか……そう思うと、自然とだらしなく表情が緩む。
いや、緩むと言うよりも寧ろ溶けている。
とにかく顔面偏差値で言えば中の中、並の中の並である平凡な顔面が蕩けているのだ。それは、酷くだらしないものだったろう。

「大好きだよ、チリちゃん」と、それこそ独り言のように呟いたはずの言葉は、次の瞬間そうで無くなった。
なんの前触れも無くそれは、独り言では無く会話となってしまった。

「チリちゃんも、なまえの事が世界で一番好きやで」
「え……――んむ!?」

いつから起きていたのか、チリちゃんは甚く上機嫌に言って、私の後頭部に手を回して引き寄せると、そのまま互いの唇が重なる。
触れるだけのキスであったけれど、ちゅっ、と態とらしいリップ音と甘ったるい言葉の余韻を残して、それは離れた。

「今度はもっとえっちなチューで起こしてや?」なんて、チリちゃんは揶揄うような台詞も忘れず口にしながら、上体を起こして緩慢な動作でソファーから立ち上がる。
よく寝た、そんな風にあくびと共に伸びをして、目尻に滲んだ涙を拭う。

えっちなチュー。
えっちなチューとは?

「えっちな……チュー……?」
「んー? 実践したろか?」

唇に指を添えたままポカンとする私に、言葉通り今にもチリちゃんはその“えっちなチュー”とやらを実践してきそうだったので、慌てて話題を逸らした。

「じゃなくて、いつからっ……いつから起きてたの!?」
「んー、そやなぁ……今日は天気がいいから外で食べよう言うところから」
「最初からじゃん!」
「なまえの声で目が覚めたんやけど、何や面白そうやったから寝たふりしてん。堪忍な」

「ナハハ!」と、笑い飛ばすチリちゃんは一応謝罪を口にしてはいるが全く悪びれる様子はなく、現在に至るまでの状況を心から楽しんでいる様だった。
つまり、初っ端からチリちゃんは起きていて、そうとも知らず今までの独り言も全てチリちゃんに聞かれていたと言う事らしい。

恥ずかしいなんて一言ではとても片付けられず、思わず赤面してしまう。
今、口を開いて何かに付けて反論しようものなら、きっとチリちゃんからは私を揶揄う言葉しか出て来ないだろうから、敢えて反論するのは辞めておいた。懸命な判断だ。

チリちゃんは、身長差を埋めるように身を屈めて私の顔を覗き込む。
必然的にチリちゃんの美しい顔が間近に迫って、一瞬呼吸を忘れてしまった。
今回に限らず、私はチリちゃんの顔面に始まり一挙手一投足によって生命活動において一番大切な呼吸を度々忘れてしまう。
チリちゃんは活殺自在の権利を手にしている様なものなのだ。

「そんで? もう終わりなん?」
「な、何がでしょうか?」
「誤魔化したって無駄ですぅ。なまえはホンマにチリちゃんの顔が好きやね」

勿論、チリちゃんの魅力は顔だけではないけれど、今この瞬間に限っては全ての意識が彼女の美しい顔に集中してしまっているので、その言葉に何も言い返せない。

チリちゃんはニヤリと口角を上げて笑みを浮かべると、私の手を取って自分の頬を包む様に添えた。

「そない恥ずかしがらんと、もっと触ってええよ? なまえだけ……大サービスやで?」
「んなっ!」

その笑みは、全てを見透かしていた。
それもそうか。最初から起きていたと先程チリちゃんは私に言ったのだから。
それはつまり、私がチリちゃんの寝顔に見惚れた事も、顔に触れた事も、キスをした事も、その一切合切を彼女は知っている。

心地良さそうに細められた双眸が、私を愛おしそうに見つめていた。
先程の言葉も、その表情も、私は彼女の特別であるのだと、改めて実感を持たせてくれる。

「し、失礼します……」
「はいはい、どーぞ」
「あの、そのさぁ……」
「うん?」
「でも、顔だけじゃないよ? ちゃんと中身も全部好きだよ?」

好きだの愛しているだのと、たとえ二人だけの空間といえど白昼堂々と愛を囁き合うのはとても恥ずかしい。
恋人同士になって、いくら時間が経っても気恥ずかしさは抜けきらない。

「ふはっ! あはは! 当たり前やん。ちゃーんと知ってるで?」
「本当?」
「本当、本当。せやから、これからもずーっとチリちゃんに夢中なままでおってや?」
「大丈夫。そこは自信しかないよ!」

ぎこちなく、覚束無い手付きで促されるままチリちゃんの頬を撫でてみると、彼女は緩んだ表情で「んふふ」と上機嫌に声を漏らす。
チリちゃんのこんな緩んだ表情を知っているのは私だけなんだなぁと、優越感に浸ってしまったのはここだけの話。


20230130


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