チリちゃんが眩しくて困る。

それはもう、自分史上最も大きな悩みと言っていい。
悩んで、悶えて、日常生活に支障をきたす程に。

一体私はどうしてしまったのかと戸惑いを覚える程、近頃チリちゃんがキラキラと輝いて見える。
それはまるで初めて恋というものを知った少女の様に、見える世界がガラリと変わってしまったような、ふわふわとした摩訶不思議な感覚だった。
チリちゃんに思いの丈をぶちまけられたあの日から、すっかり私の脳内はフィルターが掛かってしまったらしく、チリちゃんが格好よく、美しく、他の誰よりも魅力的に映ってしまって堪らない。

もうそれ恋じゃね?と、突っ込まれるのが嫌なので誰にも話していないけれど。

開き直ったのか、はたまた私の満更でもない様子を知ってか定かでないが、最近のチリちゃんは私に対して甘ったるくて敵わない。
言葉から仕草に至るまで、彼女の全てで私を翻弄しあの手この手で落としにかかるものだから、最近いよいよ心臓がもたなくなってきた。このままだと、いつか倒れる。
病名チリちゃん。洒落にならない。

正直、私はチリちゃんの事が好き……なのだと思う。
けれど、ちゃんと考える時間をくださいと(一体どの立場でものを言っているのか)伝えたのは、私が重大な問題を抱えているからだった。
気の持ちようというか、覚悟というか、そういった精神的な面で。

チリちゃんの気持ちを受け入れると言うことは、チリちゃんとお付き合いをすると言うことは――私がチリちゃんの恋人になる訳で、それは当然周囲にも知れ渡る。
あんなにも素敵なチリちゃんの恋人が、平々凡々な私で本当に良いのかと考えてしまう。
お似合いでもなければ釣り合ってもいない。
そんな事は周知の事実であるからこそ、私の中で大問題に発展している。

それをチリちゃんに打ち明けたところで、きっと、阿保らしいと切って捨てられるだけだろう。
そんな事かと歯牙にも掛けない様子でまともに取り合ってくれないに決まっている。
私の中では大問題であるのに。

それなのに意識し始めた途端チリちゃんがいつもの三割増……いや、五割増くらい魅力的に見えてしまって、あの日以来、軽くパニックに陥っているのだった。

だから、私は逃げて来た。
仕事に関する調べ物の体で、ここ、グレープアカデミーの図書館へと逃げ込んで来たのだ。

「……え、なまえさん? こんな所で何してるん?」
「ボタンちゃん……!」

背後から声をかけられて、そちらへ振り向くと驚いた様子のボタンちゃんの姿があった。
そりゃそうだ。理事長であるオモダカさんならまだしも、ただのリーグ関係者――ましてや事務職員と言う肩書きの私がアカデミーを訪れているのだから、まあ、そんな反応になるだろう。

「ちょっと調べ物してて」
「あー……、うちはてっきりチリさんから逃げて来たんかと思った」
「あはは、はは……まっさかぁ! 私といえば仕事、仕事といえば私ってぐらい働き者で有名でしょ?」
「いや、誤魔化すの下手すぎか」
「仕事が二割、チリちゃんからの逃亡が八割です……」

「うわ……」と、ボタンちゃんは憐れむ様な目で私を見た。

「で、その二割の仕事は?」
「ああ、うん。これに参考になりそうな文献を探してるんだけど」

リーグの仕事を学生のボタンちゃんに尋ねるのも可笑しな話だが、奉仕作業とは言え一応リーグ関係者と数えても良いだろう。
ボタンちゃんは心当たりがあるのか「それなら、この辺り」と、文献がありそうな場所を指差しで教えてくれる。
今いる場所よりも奥まっている場所に探している文献が置いてあるかもしれないとのことだった。

「えと……手伝う?」
「ううん、大丈夫だよ! 場所教えてもらえただけで十分助かったから。ありがとう」

生憎と時間は沢山ある。
むしろ此処で出来うる限りの時間を潰したいとさえ思う。
どうしても急ぎだとか、重要な仕事があればスマホで呼び出しが掛かるだろうから。

「そっか、分かった。それじゃあ」
「うん、またね。またブイズ会開こうね!」
「え、」

ボタンちゃんは口数はそんなに多くないけれど、たまにそれを補う以上のものが表情に出ていると思う。
現に今も、物凄く微妙な表情をして私の誘いを事実上断っているのだから。
けれど、そんな反応も悪い気がしないくらいボタンちゃんが可愛いので、つい構ってしまうのだけれど。
お疲れさまでスターといつもの挨拶でボタンちゃんは図書館を出ていった。

「(いい加減、さっさと引っ付けばいいのに……大人ってめんどい)」

***

ボタンちゃんから教えてもらった場所へ向かうと、そこには私が求めていた物に似かしい書物が沢山並んでいた。
学生には普段あまり手に取られない書物だからだろう。人が寄り付かない奥まった場所であるからか、空気が埃っぽい。照明も薄暗かった。
窓際であったけれど、日光で本が焼けてしまうからだろうか、カーテンも締められていて、その隙間から差し込む僅かな陽光が気持ちばかりの照明代わりと言っても良さそうだった。

数冊参考になりそうな本を手に取って、腕に抱え積み上げていく。
最後にもう一冊だけ取ろうと手を伸ばした。
しかし、この時ばかりは、自分が低身長である事を心底恨めしく思った。
目一杯爪先立ちをして、限界まで腕を伸ばす。けれども指先が僅かに本へ触れる位置までしか届かない。

「ふんぬー!」

そんな掛け声で身長が今より高くなって目当ての本に手が届くなら何の苦労もしない。
所詮はただの悪あがきで、何の成果も得られなかった。
気迫だけが篭った渾身の掛け声であったが、それはただの掛け声であるので現状は何も変わらない。

このまま自力で取る事は潔く諦めて、台か脚立でも探して来た方が早そうだと考えた時だった。
指先を掠める程度だった本が、スッと前に出て来てそのまま抜き取られる。
私より高い位置から伸びた手が、その本を掴んで取り出した。

「これでええの?」

本の行方を目で追いながら視線を滑らせた先には、笑いを堪えるようにニヤニヤと口元を緩めるチリちゃんの姿があった。
いつからそこに居たのだろう?
笑いを堪える様子から、きっと先程の“ふんぬー!”の辺りから傍観していたに違いない。

チリちゃんは手に取った本を、私が腕に抱える本の上に積み重ねた。

「あ、ありがとう……」
「どーいたしまして。こういう時、背ぇ低いと大変やな」

嗚呼、ほらまた。
キラキラと瞬いて、爛々と輝いて、チリちゃんが眩しい。

「チリちゃんが大きいんだよ」
「なまえは小こいな」

何を今更。
チリちゃんを見上げたままむくれると「ふはっ!」と吹き出してぷにぷにと私の頬を指で挟んで弄ぶ。

「小こくて、“可愛らしい”言うてるんよ?」
「っ、そういうのいいから……!」
「だって本心やもん。しゃーないやん?」

チリちゃんは、何の恥じらいも無しに平気で言ってのける。
彼女が恥じらいなく思ったままを明け透けに話すのは今に始まった事ではないか……。
変わったのは、それを嘘偽りではなく本心だと知って受け入れる私の方か。

「私がここに居るって、よく分かったね」
「うーん、愛の力やろか?」
「はい!?」
「アッハッハ! なんてな。ボタンから聞いてん。さっきそこで会うてな」
「あー、なるほど」
「調べ物がどうのこうの言うてたから、居るんなら此処やろなと思うて」

仕事二割、チリちゃんからの逃亡が八割の目的で此処を訪れていた私にとって、チリちゃん自らのお出ましは如何ともし難い複雑な気分だった。
結局何処にいても捕まってしまう。

「なあ、自分、最近チリちゃんの事避けとるやろ?」
「さっ、避けてないよ?」
「嘘や。だって最近また余所余所しい、気が付いたら直ぐどっか行っとるし」
「たまたま……だよ?」

それは全て貴女が眩しいからですと、貴女の愛情表現(スキンシップ含む)が原因ですと言えたなら良かったが、そんな事を口にすれば、それはもう好きって事だからお付き合い決定!の流れに強制移行しそうなので、やめておいた。

「チリちゃんの目は誤魔化せへ――」

チリちゃんの目は誤魔化せない。そう言いかけた時、不意に話し声が聞こえて私達は咄嗟に息を潜める。
アカデミーの生徒だろうか?
女子生徒二人分の足音と話し声がして、だんだんと此方へ近付いて来ている様だ。

「ねえ、その情報本当なの?」
「本当だよ! だってチリさんが図書館に入って行くの見たって聞いたもん」

どうやらチリちゃんのファンの子達だったようで、目撃情報を元にわざわざ探しに来たらしい。熱心なものだ。
相変わらずモテモテだね?そんな眼差しをチリちゃんに向けると、困ったように眉を下げて笑う。

いよいよ彼女達との距離は本棚二列程挟んだ距離までに近付いて、本棚と本の僅かな隙間からその姿が確認出来た。

別に疾しい事などない。まだ、別に。
だったら仕事の一環で図書館を利用しているのだと堂々としていればいいのだから、隠れる必要があったのかと問われると甚だ疑問だった。
こんな風に隠れる方が見つかった時に面倒臭いし、いらぬ誤解を招く事もない。

その意を込めてチリちゃんを見上げると、彼女は口角を吊り上げ双眸を細めて私を見下ろした。
それは、チリちゃんがいつも良からぬ事を企んでいる時に見せる仕草であったから、しまったと思った時にはすでに遅かった。

チリちゃんの人差し指が私の唇へと押し当てられて、「シーッ」と合図する。
本を腕に抱いているから抵抗なんて出来ず、当てがわれた指の代わりにそこへチリちゃんの唇がそっと押し当てられた。

「っ、!」

本棚を隔てた先に学生の子達が居るのに、なんて事をするのか。
今もチリちゃんが図書館に居る居ないの話し声が聞こえているし、気配も感じる。

それが触れるだけのキスで済まされただけまだ救いだったのかもしれない――と、思ったのは早計だったのかもしれない。
本を抱えているから抵抗出来ず、声を出すわけにもいかない状況であるから抗議する代わりに上目遣いで訴えた。
チリちゃんはそれが大層お気に召したようで、今度は額にキスを落とされる。続いて瞼、頬、鼻先。
チリちゃんの唇が触れる度に小さく震えてしまう。
最早、気付かれるのも時間の問題で、彼女達に早くこの場から離れてほしいと必死に願うばかりだった。

やっぱり居ない。勘違いだ。その言葉と共に漸く足音が遠のいて、気配が無くなる。
そして私も極度の緊張からやっと解放されたのだった。

「ちょっと、チリちゃん!」
「はは、堪忍な。ついつい、な?」

「けど、ドキドキしたやろ?」と、悪びれる様子もなくチリちゃんは言う。
その様すら今の私には魅力的に映ってしまっているのだからどうしようもない。

チリちゃんは私の手から本を取り上げて、近くの机へ運ぶと席に着く。
そして、さっさと向かいに座れと言わんばかりに、私を呼び寄せた。

「ほら、仕事の途中やろ? 手伝ったるから、はよ済ますで」
「え、悪いよ。チリちゃん自分の仕事まだ残ってるでしょ?」
「ええから。二人でした方がはよ済むやろ? ……まぁ、それは口実なんやけど」

向かいの席に座った私の手に、チリちゃんは自分の手をそっと重ねて指先を絡める。
いつもの余裕たっぷりの笑みかと思えば、目尻を下げて、気恥ずかしそうに笑っていた。

「ただ、好きな子と一緒に居りたいだけやから。なまえは何も気にせんでええよ」
「う、うん……」
「まあ、意識はしてほしいけどな」
「……してるよ、ちゃんと」

だから困っている。
ここ最近、毎日毎日チリちゃんの事で頭が一杯なのだから。
どうか、その気持ちに応える決心が付くまでもう少しだけ、待っていてほしい。


20221227


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