あの日から。
私が、感情の赴くままにパピモッチのぬいぐるみをチリちゃんの顔面に投げつけたあの日から数日経ったけれど、相変わらず私達の仲は拗れたままだった。

話をしていない。正確には、仕事上の業務連絡として言葉は交わしているが、友人としてのプライベートのあれこれといった会話は皆無だった。

チリちゃんから幾度となく声を掛けられたけれど、断固拒否の姿勢を貫く私は全く取り合おうとしないので、関係修復の糸口は一向に掴めないまま今に至るというわけだ。

しでかした事の重大さをひしひしと感じればいい。
――なんて、そんな事を思っていたのはせいぜい三日間程度であって。

怒りのピークを越えてしまえば、後はただただ素直に許す事が出来ない己の度量の狭さに打ちひしがれる。
ひしひしと感じる羽目になったのは、私自身だった。

端的に言うと、つまりは、仲直りをする機会を完全に逸してしまっていた。

仲直りをしたいと思う。
けれど、ここで簡単に関係を修復してしまったら、またぞろチリちゃんの良い様に押し切られてしまうのではないかと悩んでいるのもまた事実。

まだまだ、私達の関係修復への道のりは遠い。
全くもって、遥か彼方だ。

「最近、チリと何かありましたか?」
「え!? ……いえ、何もありません、が」

珍しくオモダカさんに呼び出されていた私は、委員長室を訪れていた。
何か仕事で失敗してしまったのかと戦々恐々としていたけれど、予想外の問いに歯切れ悪く尻すぼみに答える。

ピンポイントで突かれたくない場所を突いてくるオモダカさんは流石というか、なんというか。
それとも彼女の目に余る程に、私達の間柄が異様に映っているのだろうか?

まさに、その通りなのだけれど。

「それならいいのですが、最近チリの様子が普段と違っていたようですから。何やら元気がないといいますか……」
「あー……そうだったかもしれないような、そうじゃないような……」

オモダカさんの話に曖昧な返事をしながら、その原因も理由も全て心当たりがありますと、心の中で懺悔した。
それすらも、オモダカさんには見透かされているのかもしれない。

「チリには初め、自分には補佐なんて必要ないと突っぱねられたんです」
「え?」
「それが貴女だと知って、早朝に電話を寄越してきたんですよ。きっと、他を当たられては困ると思ったのでしょうね。あんなチリは初めてで驚きました」
「……そう、ですか」

私がチリちゃんの補佐官に抜擢された理由――そんな事はてっきり委員長のオモダカさんが独断で決めたのだとばかり思っていた。
一度は断っていたところを、私だと分かって、チリちゃんは傍に置いてくれたのだ。
謀られたとばかり思っていたけれど、そこには偶然が幾重にも重なって今の関係性が出来上がっているのかもしれなかった。

私がガラル地方から、パルデア地方へ異動になった事も。
ジョウト地方から離れ離れになって再びパルデア地方で再会出来た事も。
それはなんだか奇跡のような巡り合わせにも感じられる。

「チリの事、これからも支えてあげて下さい」と、オモダカさんは言った。
ひょっとすると、念を押されたのかもしれない。
さっさとその仲違いをどうにかしろと、間接的に窘められたのかもしれない。

そうだったとしても、そうでなかったとしても、どちらにしろ私は心の底からその言葉に頷けなかった。
口では、もちろん「はい」と返した。上司からの申し出である以上は。

けれど、その話を聞いてちょっとだけチリちゃんの顔が見たくなってしまったなんて自分勝手だ。

「……と、余談はここまでにして、貴女を呼んだ本当の理由は別にありまして」

あれだけチリちゃんの知られざる裏事情をペラペラと話していたくせに、オモダカさんは余談と切って捨てるのだから恐ろしい。
存外、私達の仲違いが解消出来るよう一役買って出てくれただけかもしれないが。

オモダカさんはデスクに座ったまま、引き出しから取り出した茶封筒をこちらへ差し出した。
書類が入る大きさのソレを私は差し出されるがまま、受動的に受け取る。

「これをアオキに届けて頂きたくて」
「アオキさんですか?」
「ええ。急ぎの書類だというのに、彼は今ジムリーダーの職務の為にチャンプルタウンにいるのです。頼まれてくれますか?」
「分かりました。急ぎの仕事は抱えていませんので、大丈夫です」

困ったものだと、頭を抱えるオモダカさんは物珍しかった。

そもそも、他に仕事を抱えていてもトップである彼女の申し出であるなら他の何を差し置いても最優先事項となるのは、この縦社会において至極当然のことである。

「ありがとう御座います。今日は書類を届け終われば、そのまま直帰して頂いて構いません」
「分かりました」
「この事は私からチリに伝えておきますから」
「はい。ありがとう御座います」

その申し出は願ってもいない事だった。
言い出しにくい事をオモダカさんが伝えてくれるのなら、チリちゃんだって納得せざるを得ない。
どうやら今日も、私達が仲直りする事は叶わないらしい。

***

ライドポケモンを持っていない私が、チャンプルタウンへ向かう手段は空飛ぶタクシーの一択であり、オモダカさんから託された書類をしかと鞄に入れてリーグ施設を出る。
それは、デーブルシティの大門を目指す途中の事だった。

見覚えのある姿。
幼さの残る面差しと、アシンメトリーの髪に三つ編みを結え、つばの大きな帽子を被った女の子。

“目撃情報があった時にはもうそこに居らへん事が多いから、偶然会えるんは珍しいんやで?”
チリちゃんがそんなふうにアオイちゃんを神出鬼没と例えて教えてくれたのは、いつだったろうか。

惣菜屋の店先で、何やら「うーん」と唸りながらサンドイッチの具材を選ぶ姿が視界に飛び込んできた。
ああでもない、こうでもないと悩みながらショーケースと睨めっこしている姿がとても微笑ましい。
これからお友達と仲良くピクニックにでも行くのだろうか?

「アオイちゃん、こんにちは」
「うわあっ!」

背後から声を掛けたのがよくなかったのかもしれない。
驚かすつもりは毛ほどもなかったが、サンドイッチの具材選びに全神経を注いでいたアオイちゃんは、声を上げて全身を大きく跳ね上がらせた。

「びっくりしたぁ……あ、なまえさん、こんにちは!」
「ご、ごめん。驚かすつもりはなくて」
「私こそすみません。ついつい夢中になっちゃって」

かなりの種類を選んでいるようだけれど、まだ他にも買うつもりなのだろうか?
レジの横には食材が山のように盛られている。

「サンドイッチの食材選び?」
「はい! この後、チリさんとピクニックに行く約束してて」
「え……チリちゃんと?」
「今日は少しだけなら時間作れるって聞いて」

アオイちゃんは照れ臭そうに、へにゃりと表情を緩めて笑う。
チリちゃんと一緒にピクニックへ行って、一緒に食べるサンドイッチの具材を心躍らせて選ぶ姿はなんとも意地らしいと思った。
――とても可愛らしい。

大嫌いだと吐き捨てた私より何倍も素直で、愛らしい。
チリちゃんが構いたくなるのも頷ける。
ほんのりと色付いたその頬は、きっとチリちゃんの事を想っての事なのだろうと思った。

「いっぱい買っちゃいました。チリさんどんなのが好きなのかなぁって考えると、色々迷っちゃって」
「アオイちゃんが、チリちゃんの事を思って選んだんだから、何だって凄く喜んでくれるんじゃないかな?」
「そうだといいなぁ……」

会計をLPポイントで支払うアオイちゃんのスマホロトムの待ち受け画面が偶然見えてしまった。
チリちゃんと一緒に写ったその画像は、初めてアオイちゃんと出会った時の予感を確かなものに変える。
支払いを終えて、恥ずかしそうにこちらを見るアオイちゃんは、言う。

「あの……こ、この待ち受けの事、チリさんには秘密にして下さいね! 恥ずかしいから」
「ふふっ、喜んでくれるかもよ?」
「ひ、秘密です! 内緒です!」
「分かったよ。アオイちゃんと私の秘密ね」

顔を真っ赤にして、必死に口止めを求める姿は正に恋する女の子だ。
私もアオイちゃんみたいに素直になれたらな……と、無意識に思っていた。
誰に対して素直になれたら――なんて思ったのか。
それはチリちゃん以外にいないけれど、「楽しんでおいでね」と掛けた言葉は少なからず私の心に影を落とした。

***

アオイちゃんと別れて、私は漸くチャンプルタウンの地に降り立った。
オモダカさんから預かった書類をアオキさんに届ける為にリーグを出た筈なのに、思った以上に時間が掛かってしまった。

チャンプルジムに赴いてアオキさんの姿を探したけれど肝心な彼の姿は見当たらず、聞けば何でも彼行きつけの宝食堂がジム戦の会場になっているらしかった。

ガラル地方のリーグ運営に慣れていた為、ダイマックスバトルが繰り広げられる規模の大きな会場がジム戦の定番であったから、食堂の一角を使ったジム戦と聞いて驚く。

宝食堂へ向かった時にはジム戦の真っ最中だった。
チャレンジャーも必死に食らいついていたけれど、アオキさんの切り札であるムクホークがテラスタルして圧倒的な力の違いを見せつけて勝利に終わる。
彼の、“社会人お得意の技!出してもよろしいでしょうか?”からの、からげんきは自分にも刺さるものがあって、なんだか染み染みとしてしまった事は胸に秘めておこうと思う。

「アオキさん、バトルお疲れ様でした」
「なまえさん。貴女がここへ来るなんて珍しいですね。何か御用でしょうか?」

声を掛けながら駆け寄ると、アオキさんは表情を変えずに驚いたと言ったが、表情に出ないだけで、実は本当に驚いていたのかもしれない。

相変わらずの死んだ魚のような目……は、失礼にあたるので、お疲れの様子と表現しておく。
アオキさんは相変わらずお疲れのご様子だった。
なんでも彼は、リーグの営業部の業務とジムリーダーに四天王、とまあ様々な役職を兼任しているのだとか。
肩書きだけで気が遠くなる。

「実は、オモダカさんから書類を預かっていて」
「わざわざすみません。ご足労頂き、ありがとう御座います」
「いいえ。もうこの後はリーグに戻らず直帰でいいとお許しを頂いているので、気にしないで下さい」

託されていた書類をしかとアオキさんに手渡して、無事私の任務は終了した。
宝食堂の窓から臨む景色は、いつの間にか薄暗くなっていて、街灯や建物に灯りがともり始めていた。
夕食時とあって食堂も段々と賑わい始める。
食欲をそそる匂いが鼻を擽って、私の腹から空腹を訴えるようにぐぅーっと締まりのない音が鳴った。

お腹すいたな……早く帰ろう。

「よろしければ、食事でもどうですか?」
「え、でも……アオキさん、お仕事は?」
「今日はもう、先程のジム戦で業務終了です。なまえさんにはご足労お掛けしましたので、お詫びと言っては何ですが、ご馳走しますよ」

勿論、この一連のやり取りの間もアオキさんの表情は無のままであったけれど、特別嫌そうな口振りでもなく、本心から食事に誘ってくれているようだった。
言葉を交わした事も数える程しか無かったにも関わらず、ご相伴に預かれる日が来ようとは思いもしなかった。

「ありがとう御座います。是非お言葉に甘えさせて頂きます」
「ええ。構いませんよ」
「あの、じゃあさっそく……ビール頂いてもいいですか?」

私にビールを飲ませてしまった事を、アオキさんは酷く後悔したに違いない。
そして、もう金輪際コイツとは酒を飲まないと固く決意した事だろう。

空きっ腹にアルコールを流し込む事ほど恐ろしい行為は他に存在しないのでは無いだろうか。
私はこの日、人生で二度目の酒の失敗をしたと言っても過言ではない。
一度目はチリちゃんに抱かれた日。そして今日がその二度目。

記念すべき日になった。

「だーかーらー、聞いてますかぁ!? アオキさぁん!」
「はい。聞いています」
「チリちゃんはぁー、私の事をからかって遊んでいるだけなんですよぉ……人の気も知らないで!」
「……」

ひっく、としゃくり上げながら真っ赤に顔を上気させ、座った目で意味のわからない事を捲し立てる私は、ただの質の悪い酔っ払いだった。
仮にも四天王で、直属ではなくとも歴とした上司である彼に、よりによって絡み酒とは私も大きく出たものだ。
私は以前にも酒の失敗をして痛い目を見た筈なのに、そこから全く何の教訓を得ることも、戒める事も出来ていなかった。

「今日だってぇ、アオイちゃんとピクニックに行くとかぁー楽しんじゃってさぁ……」
「……」
「私とは喧嘩したまんまなのにぃー! 私はどうでもいいって事ぉ!? ねえーアオキさぁん!」
「……はぁ、では仲直りすればいいのでは?」
「出来ないんですよぉ! 拗らせちゃってるからぁ……素直になれなくってぇ……本当は、チリちゃんと仲良くしたいのにぃ」
「……」

酒の力を借りなければ、心の内を打ち明けられないのだ。
借りても、ただ愚痴るだけだったが、素面よりは何倍も素直になれていたと思う。
この場にチリちゃんがいたらと思うと恐ろしいが、同席していたのがアオキさんだったから吐き出せたのかもしれない。
絡まれ、犠牲になるアオキさん本人は、たまったものではないだろうが。
どんなに弁明しようと、所詮はただの絡み酒だ。

「このまま……嫌われちゃったらぁ、どうしよう……」
「(そろそろ彼女が来る頃だろうか……)」
「グスン……大好きなのにぃ……」
「それはご本人へどうぞ」

私は盛大に酔っ払って、テーブルに突っ伏して訳がわからない状態にまで泥酔していたから気が付かなかったのだ。
アオキさんが見かねてチリちゃんに連絡を入れていた事など、知るよしも無い。
そして、今し方チリちゃんがこの食堂へ到着して私の台詞を聞いていたことも、何も知らないのだ。

「アオキさん、連絡おおきに。なまえは?」
「そちらに」
「チリちゃんに会いたいよぉ……ごめんね、って言いたいいい……からかわないでってぇ、本気にしちゃうからぁ……」

酒は飲んでも飲まれるな。
完全に飲まれた私には今更何の教訓にもなら無いけれど。

「ほら、帰るで」

チリちゃんの声。
怒っているかと思っていたのに、とても優しげな声音だった。

ソッと頭を撫でられた気がする。
私は今、随分と都合のいい夢を見ているのかもしれない。
夢ならば醒めたくないと、このままで居たいと心からそう思った。


20221222


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