叶わない恋をしている、と思う。
はっきりと断言出来ないのは、見込みがないと感じる現実を受け入れる勇気をまだ持ち合わせていないからだ。
初恋だがら簡単には諦められないし、“初恋は叶わない”だなんて迷信をこの身を持って体感したくも無かった。

「今日はここまでだ」とだけ短く言って縞柄の羽織を翻し、私に背を向ける伊黒さんは今日も今日とてつれない。
素気なく感じてしまうのは彼の元々の態度というよりも、今し方鎹鴉が嘴に咥えて運んで来た文に彼の意識がまるっと攫われてしまっているからだろう。

意中の相手からの手紙とあらば、そうなるのも致し方ない。
継子である私との稽古をさっさと切り上げてまで為すべき事柄が――大義名分が、彼には立ってしまったのだ。
甘露寺さんからの手紙に目を通すという大事が、今し方。

「わ、私……まだ動けます! 稽古付けてくださいよ、師範!」
「稽古はここまでだと言ったはずだ。己の力量もはかれない奴が何を言っている。足元も覚束ない程疲弊しておいて、そんな状態で何が“まだ動ける”だ。このまま続けては身に付くものも身につかん。無茶を通り越して無謀だな。身の程を知れ」
「ぅ……」

チクチク、ネチネチといつものように執拗に言い立てられて、思わず言葉に詰まる。
ただひたすら嫌味を浴びせられるわけではなく、その中には正論も織り交ぜられているだけに毎度ぐうの音も出ない。

「で、でもっ!」
「くどい」

ピシャリとひと言で切って捨てられた私を、彼の首に巻き付いた白蛇の鏑丸が気に掛けるように見ていたけれど、当の本人は手の中の手紙に意識を絡め取られているようだった。

今日もまた、私は思い知る。
叶わない恋をしているな、と。
やはりこのままこの恋は咲く事なく枯れてしまうのだろうかとか、私なんかが甘露寺さんに敵うはずが無いだとか、そんな卑屈な気持ちばかりが迫り上がって、胸を締め付ける。

私を残し、とっとと道場を出ようとする伊黒さんに声を掛けたのは、やはりこのままでは嫌だと――この恋を諦められないと確信したからだ。
疲労で力が入らない体を懸命に起こして、咄嗟に呼び止めた。

「ま、待ってください、師範……! 伊黒さん、」

それでも歩みを止めてくれない彼を引き止めたい一心で初めて口にする、彼の名前。

「小芭内さんっ!」
「!」

流石にこれには驚いたのか、歩みを止めて不快極まれりと言いたげな表情で振り向く。
私はその一瞬を待っていた。
手紙から彼の意識を攫えるのなら、たった一時、一瞬で構わない。

「おい、馴れ馴れしいぞ貴様。継子の分際で仮にも俺は――っ!」

羽織の袖を掴んで、引き寄せると同時に爪先立ちで顔を寄せる。
口元を覆う包帯の上からだったけれど、今はそれでも十分だ。
柔らかな感触こそ感じなかったが、しっかりと唇を重ねた感覚はあった。

「名前、甘露寺さんにもまだ呼ばれた事がないですか? 私が初めて?」

ポカンとして呆気に取られる伊黒さんは、いつものネチネチ口撃を繰り出すことすら忘れる程の衝撃であったらしい。
それもそうか。散々袖にし続けた継子に唐突だったとはいえ、あっさりと唇を奪われてしまったのだから。
……まあ、包帯の上からなのだけれど。

「ふふん。私が奪っちゃいました! ざまあみろ、です!」
「んなっ!」

してやったり。そんな風に得意げに言ってのける私に対し、漸く状況を把握した伊黒さんは動揺を隠しきれないと言った様子だった。

「汗、流してきますね。稽古つけてくださってありがとう御座いました」
「ま、待て! 貴様、今のは一体どういうつもりだ……!」

どうもこうも無い。あえて言うなら、そのままの意味だ。

「どういうつもりかは、どうぞご自分でお考えになってくださーい」

動揺混じりに憤怒する伊黒さんを残して颯爽と道場を出る私の顔は、その態度には似つかわしく無い程に真っ赤で、心臓は今にも爆ぜてしまいそうだった。

そして、願うことはたった一つ。
――どうかこの恋が枯れることなく花開きますように。


20240721

【お題】
伊黒さんに振り向いて欲しくてキスをブチかます夢主。
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