別に自惚れているわけでは無いけれど、なまえは僕の事を心底好いているのだと思っていた。
だから、“こんな事”になるなんて思いもしなかったし、“そんな可能性”を端から切り捨てていたのだ。
彼女にとって僕は特別で、唯一無二で、替えが利かないものなのだと思い込んでいたかったから。

――なまえに限って、まさかそんな事。

彼女の首筋に浮かぶ覚えの無い印に思考が追いつかない。
意識をまるっと絡め取られて視線を外すことが出来ず、何も考えられなかった。
まるで、平和ボケしていた頭を鈍器か何かでぶっ叩かれたかのような衝撃が僕を襲う。

夕刻になって戻って来た彼女の様子は、何ら代わり無かった筈だ。
いつものヘラヘラした笑顔を浮かべて霞柱邸に戻って来た。
お茶を淹れるから居間で待つように告げて厨に姿をくらませた彼女の後を追う。
脳内にこびりついたあの一瞬を、印を今一度確かめて、嗚呼、なんだ僕の見間違いだったと安堵するために。

厨に立つなまえの背後にひたりと近付く。
白い首筋に浮かぶ薄い赤色は、やはり見間違いでも何でもなく紛れもない接吻痕だった。

なまえには僕しかいないって、何でそう思ったのだろう?

「(何だか物凄く気分が悪いや……)」

僅かに視線の下にあるその鬱血痕を、相変わらずの無表情で睨め付ける。
此方の気も知らずに上機嫌で鼻歌を口ずさみながら急須に茶葉を移すなまえは背後に立つ僕には気付きもしない。

鬼殺隊の隊士として、もっと言えば僕の継子としてその鈍感さは如何なものだろう?
僕が鬼だったなら、背後を取られてとうに彼女は死んでいる。

まあ、今はそんな事はどうでもよくて。
もっと他にどうにかしなくちゃならない事が目の前にあるわけで。

その印といったら僕を心底嘲笑うかのようでいて、眺めている内にぷつりと張り詰めていた何かが音を立てて切れたような気がした。
声を掛ける事もせず、そのまま背後からきつく華奢な身体を抱き竦めた。

「うわっ! な、ななな何!?」
「……」
「……無一郎くん?」

彼女の手から滑り落ちた茶筒がカツンと音を立てて床の上を転がる。
戸惑いながらも落とした茶筒を気にする様子で見つめるなまえだったけれど、勿論そんな事は後回しだ。

「どういうつもり?」
「え?」
「“こんなもの”を首筋に付けて、のこのこ帰ってくるなんて一体どういうつもりなのか説明しろって言ってるんだけど」

肩口から覗き込むように問う声は、普段よりも低く重苦しい。
尋ねながら首筋に浮かぶ痕を指先でトントンと示す。
触れたら触れたでもっと腹立たしくなって、そこへグッと爪を立てた。
爪を立てた事で痛みが伴ったからか、なまえは身体を強張らせ、小さく呻く。

「僕以外にも、そんな事する相手がいたんだ? 意外だったなぁ……」
「ちょっ、いたたた! こんなものって何?」
「今更とぼけなくていいよ。認めようが白を切ろうが、どっち道許さないから」
「だから一体何の事――っ!?」

このまま問い詰めたって埒が明かないと思ったからか、それとももう耐えられなくなったからか……。
それすら分からなかった。自分の事であるのに、だ。
それ程に僕は今、立腹している。
理性なんて容易く手放してしまえるくらい、腹わたが煮えくり返っているのだから。

腹が焼き切れてしまいそうなこの感情を“嫉妬”と呼ぶのだと、あれはいつだったか……誰かに教わったような気がする。
この感情が、こうも抑えがたく、抗い難い代物だったなんて。
驚きを通り越して、自嘲してしまう。
だって、遥かに僕の方が彼女に傾倒していると、こうしてありありと事実を突き付けられているのだもの。

口付けると言うよりは、食らいつくと表現した方がしっくりくるような乱暴な仕草で、首筋へ顔を埋める。
そのままきつく。きつく、きつく吸い上げた。
その目障りな印を上書きするように、重ねて鬱血痕を残した。
強く吸い上げたせいで、赤というよりも赤黒くなってしまった所有印をじっと見つめて指先を滑らせた。

なまえは僕のだ――――そんな風に。

そのまま腕を掴んで引き摺るように居間へ移動するなり、雪崩れ込むようになまえを床の上に組み敷いた。

「や、だ……! 無一郎くん……ちょっと待って!」
「待つって何を? 先に仕掛けてきたのはなまえの方でしょ?」

まるで痕を見せびらかすように付けて帰ってきた事も、僕以外の男に身体を許した事も、全部全部許せない。
厭悪と嫉妬と焦燥と、それらを全て混ぜこぜにしたような感情を吐き出しながら僕は続ける。

「相手は何処の誰? 黄色頭の弟弟子? それとも保護者面したあの同期の男かな? ああ、それ以外にも僕の知らない男が他にいたりして」
「……さっきから、何の話をしてるの?」

いつまで経っても僕と彼女の主張は平行線で、交わる事がない。
それもそうか。
もし、うっかり口にしようものなら僕はそいつに何をするか分からないもの。

動揺に塗れた瞳が僕を見上げていたけれど、そんなのは気にならない。
それよりも先に、何を置いても、僕以外の奴が触れたその身体を僕と言う存在で上塗ってしまいたかった。
隊服に手をかけて早々とボタンを外し、衣服をはだけさせてゆく。

寝室でもなければ、布団の上でもない。
ただただ気が急いて、今すぐこの場でなまえを暴きたくてたまらなかった。

「ご、誤解があると思うの! だから、まず話し合いをしませんかっ?」
「……誤解?」
「そ、そう! 大きな大きな誤解がね、あると思うから」
「五月蝿いな。手酷くされたくなかったら黙って」

制止を促すように添えられた手を、素気無く払い除ける。

君は僕にこのまま大人しく抱かれるか、抵抗してぞんざいに抱かれるかの二択しかないと、いつになったら理解するのかな?

「んぅ、っ……はぁ……んん、」

まだ何か新たに抵抗の言葉を吐こうとする口を強引に塞いだ。
親指を差し入れて、無理矢理に唇を開かせる。
僅かに開いた隙間へ空かさず舌を捩じ込んで執拗に口内を荒らすと、混ざり合った互いの唾液が口角から溢れ、彼女の細い顎を伝って滴り落ちた。

「今、とても虫の居所が悪いんだ。僕の知らないところで好き勝手されて凄く気分が悪いよ」
「無一郎、く――」
「もう一度、その身体に教え込ませてあげるから」

痛々しいほどに赤黒く鬱血した首筋の所有印を今一度撫でながら言う。

「なまえは、僕のだよ」

僕だけのものだよ。絶対に。
忘れる事が出来なくなるように、他の男が入る隙なんて無くなるまで“僕”を彼女の中に刻み込んでやらなきゃ気が済ま無い。

今更、僕以外の誰かなんて許せるわけがないんだ。
僕の中でなまえ以外なんて無いように、なまえも同じじゃないと嫌だった。

そういう所が子供なんだって言われるんだろうけど、だったら僕はいつまでも子供のままでいい。

***

翌日、早朝に銀子が任務だと告げるものだから、まだ眠りに落ちているなまえを置き去りに、霞柱邸を出発した。
どうせなまえは今日非番だったし、それにあの様子じゃ今日一日布団から出ることは出来ないだろう。
丁度よかったと思う。

斯く言う僕も、眠気が先立ってあまり頭が回らない。
結局あのまま散々まぐわって、彼女を抱き潰した僕だった。

そんな時、向かいから見知った姿が歩いてくるのを視界に捉える。
蟲柱の胡蝶さんだ。

「あら、時透くん。おはよう御座います。ちょうど良かった」
「おはよう御座います、胡蝶さん。ちょうど良かったって、どういう事ですか?」
「ええ、実はこれをなまえさんにお渡ししたくて霞柱邸に向かっていたところだったので」

「渡していただけますか?」と差し出された紙袋はやけに軽かった。

何だろう?薬だろうか?
何故、胡蝶さんが態々なまえの為に薬なんて届けに来たのだろう?

じっと受け取った小さな紙袋を眺めていると、胡蝶さんはクスリと上品に笑って言葉を続けた。

「軟膏です。実は昨日、なまえさんに蝶屋敷の庭の草むしりをお手伝いして頂いて」
「草むしり?」
「今の季節は藪蚊も多いですから、もし噛まれてしまっていたら……と思って、お持ちしたんです」
「……え?」

その瞬間、全てが繋がった。
彼女の反応も、頑ななまでに白を切り通したあの態度も。
それもそうだ。だって実際、何もなかったのだから。
つまり、胡蝶さんの話が正しいのなら、あの首筋に浮かんでいた赤はただの“虫刺され”に過ぎなかったのだ。

思わず双眸を見開いて固まってしまった僕に、胡蝶さんは小首を傾げる。

「あらあら時透くん、突然どうされたんですか?」
「……別に、何でも無いです。なまえに渡しておきます」
「はい。よろしくお願いしますね」

胡蝶さんと別れて、今し方出たばかりの霞柱邸へと引き返す。
その足取りは段々と早まって、そのうち小走りに変わった。
受け取った紙袋は強く握ったせいで皺が寄ってしまっていたけれど、そんな事は気に止めていられない。
だって僕の頭の中は、言うまでもなくなまえの事で一杯だ。

どんな言葉で詫びようかと考えるよりも先に、ただただ今は布団で腰を庇いながら悶絶しているであろう彼女を目一杯この腕に抱きしめたいと、そんな事ばかりをひたすらに考えている。

20231022
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