■少し先の時間軸。刀鍛冶の里編の手前の話。


「無一郎くん、今日は巡回に出ないの?」

朝食の最中、向かいに座るなまえがお決まりの台詞を米粒と共に吐き出した。
相変わらず汚い。
口に出さず、表情にも出さず、ただぼうっと彷徨っていた視線を彼女へ注ぐ。

飛んでくる汚い米粒とは対照的に、煌めくその瞳は継子になりたいと押しかけて来た当時と何一つ変わらない輝きを宿していた。
僕の継子になって、恋人になって、さらにもっと深い仲になっても、彼女の根本は変わらないらしい。
それが良くも悪くも彼女らしいと思った。

「行かないよ」
「じゃあ、何処かに出かける? 任務? 勿論一緒に連れて行ってくれるよね?」
「……」

矢継ぎ早に投げかけられる問いにうんざりしてしまった事は黙っておこう。
まるで、小さな子から質問攻めにされている気分だった。
この状態のなまえはなかなか引き下がらないし、うっかり口を開こうものなら何倍にもなって返ってくる。
そんな彼女を説き伏せるのだって一苦労なのだ。正直、面倒臭い。

何故こんな時ばかり勘が鋭いのだろう?
出かけるにしても、連れて行ってやれない時に限って持ち前の第六感を存分に発揮するのはやめて欲しい。

「あ! 今、面倒臭いって思ったでしょ!?」
「分かってるなら一々質問攻めにしないで」
「やっぱり! 最近、何だか無一郎くんが考えていそうな事が分かるんだよね」
「へぇ……じゃあ試しに僕が何を考えているか当ててみてよ」

なまえは意気込みながら手に持っていた箸を置き、腕を組んで繁々と僕の顔を見る。
残念ながら常時無表情の僕から感情を読み取ろうなんて絶対に無理だと思う。
記憶をなくし、霞の中を彷徨うかの如く曖昧な僕の心の声を知り得るなんて事、幾らなまえであっても不可能だ。

「はい! お塩です!」
「お茶のおかわりが欲しかったな」

塩の入った容器をドンと食卓に置いた彼女だが、それは随分と見当違いだった。
あれだけ自信満々に僕の考えている事が分かると豪語していたくせに、彼女は呆気なく僕の感情を読み間違えた。

――ほら、やっぱり無理だった。

一番にその言葉が頭に浮かんだが、それだけでは無かった気もする。
もしかするとなまえなら――なんて、らしくもない期待感を抱いたばかりに、少しがっかりしてしまったのかもしれない。

「お茶か……おしかったなぁ。正解したら連れて行ってもらおうと思ったのに……」
「連れて行かないから」

全然おしくない。これっぽっちも、掠ってすらいない。
それから、言葉の末尾にさりげなく忍ばせた魂胆を暴露するのも勘弁してほしい。
これで、もしも彼女がお茶だと言い当てていたらと思うと恐ろしいが、まあ、端からそれは考えていない。
連れていけないものは、どう足掻いたって連れていけないのだから。

それにしたって、何でまた僕が塩を欲していると思ったのだろう?
なまえお手製の海水のような味噌汁のおかげで毎日塩分過多だ。

「なまえに分かるわけないよ」
「えー、そうかなぁ?」
「僕自身だって“僕”が分からないんだから」
「無一郎くん?」

本当の僕は今この瞬間も、いつ取り戻すとも知れない記憶と共に見失ったまま。

「……ねえ、もし僕に記憶が戻ったらどうする?」
「無一郎くんの記憶が戻るんでしょ? そんなの嬉しいに決まってるよ!」
「記憶が戻ったら、なまえの知ってる僕じゃなくなるかもしれないのに?」

――少なくともそれは、彼女が師と仰ぎ、恋人として選んだ僕とは別の僕。

「え゛!? それは、例えば……継子を白紙に戻す可能性がある……とか!?」
「は?」

数秒前までへらへらと笑っていたなまえは、みるみる色を失う。
そして、お決まりというか、やはりと言うべきなのか、一番に心配するのは“そこ”であるらしい。

何だよ継子継子って。

なまえは、絶望的な表情で僕に詰め寄る。

「そ、それは……大変困ります! 由々しき事態だし……その……すっごく困る!」
「なまえが困る事はよく分かったよ。それだけ?」
「え、それだけ……いや、それだけじゃないけど、すっごく困るけども! でも、そうなったら……うん。また無一郎くんの継子にしてもらえるように、一から頑張るよ!」

そう口にした彼女の瞳は絶望からいつしか希望の色に満ちていた。
相変わらず切り替えが早いなと感心する。
そして、ころころと変わる表情が見ていて飽きないと思った。

欲を言えば、それ以外の事も――恋人としての言葉も聞きたかったけれど、脳筋の彼女にそこまで求めるのは酷だろうから、今ので十分だ。

「も、勿論……コッ、恋人トシテモデス!」
「!」

なまえは頭から湯気が出そうな程に頬を紅潮させ、俯き、声を上擦らせながら早口でそう言った。

何で片言なのだろう?
恋仲になってもう随分と経つのに、まだ慣れないのだろうか?

「そう」
「うん」

いつその瞬間が訪れるか分からないのに、僕は何をそんなに不安になって、確かめたがっていたのだろう?
普段通りの僕なら、そんな事は絶対に思わなかったはずだ。

なまえに関係あろうとなかろうと、ただ僕は一人で記憶を取り戻すだけ。

朝食を食べ終え、行儀良く「ご馳走様でした」と両手を合わせたところで、再び向かいのなまえに視線を滑らせる。
まだ少し頬が色付いていた。
“たった一言”と言ってしまえばそれまでだけれど、普段からあまりそういった類の言葉を口にしない彼女にとってはこれ以上ない言葉だったのだろう。

「連れて行ってあげられないけど、何処に行くかは教えてあげる」

その言葉に彼女の肩がピクリと小さく震える。
俯き気味だった顔が勢い良くこちらに向けられて、真っ直ぐ視線が絡まった。

「刀鍛冶の里」
「刀鍛冶?」
「里までの道は限られた隠しか知らないから、里へ行くだけでも手間がかかるんだよ」

だから、継子と言えど用のないなまえを連れて行く事は出来ないのだと付け足した。
なまえはがっくりと肩を落として、力無く項垂れた。

「……分かったよ。しょうがないもんね……しょうがない、しょうがない」
「……」

自分に言い聞かせるかのように何度も“しょうがない”と呟くものだから、何だか此方に非があるように感じられる。
だから言いたく無かったのだ。
言わなければ延々教えろとしつこいし、いざ話したら話したで面倒臭い。

「しつこいよ」
「ふがっ! いたたたた! ご、めんなさい……!」

いつものように容赦なく鼻を摘んで無理矢理話を切り上げた。
結局これが一番手っ取り早い。

そうこうしているうちに「霞柱様、お迎えに上がりました!」と玄関先から声がする。
どうやら霞柱邸から中途まで運んでくれる隠が尋ねてきたらしい。

「僕が留守の間も鍛錬を欠かしちゃ駄目だよ?」
「……はーい」

そのまま居間を出ようとした時だった。
なまえに隊服の袖を掴まれ、引き止められる。

「何?」
「あ、ええっと……その……」

何か言いたげに揺れた瞳が一瞬僕を捉えて、直に逸らされる。
代わりに、袖を掴む手に力が込められた。

「離してくれる? 用がないならもう行くから」
「そう、だよね……ごめん」

なまえが僕の継子になってから、別々に任務が入った事なんて何度もあるし、数週間顔を合わせなかった事だってざらにある。
それなのに、後ろ髪を引かれるような気持ちにさせてしまったのは、記憶云々の発言のせいなのかも知れない。

袖を掴む彼女の手を解いて、その場にしゃがみ込む。
鼻を摘んだ時とは変わり物にならない程優しげな手付きでポンポンと頭を撫でてやった。

「ちゃんと帰ってくるよ」
「!」
「だから、いい子で待っていて」
「無一郎くん……。うん! 行ってらっしゃい」

刀鍛冶の里までの道中、彼女の不安げに揺らいだ瞳が、曇った表情が、暫く頭から離れなかった。
それには何の意味が込められていたのだろうか。
これから自身に降り掛かる出来事、そして、刀鍛冶の里で起こる騒動を今の僕が知る由もないけれど――。

たとえどんな“僕”で君の前に戻って来たとしても、どうかその春の日差しのような暖かな笑顔で迎えてほしい。


20230926
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