■同期のモブ男が出てきます。


任務を終え、霞柱邸までの道のりを歩む僕の心は、いつになく穏やかだった。
まるで、白波の立たない凪いだ海のようなそれだ。

こういうの何て言うんだっけ?
平和?安寧?

珍しく傍が静かで、終始耳をつく雑音と言う名の彼女の独り言が今日は無いからだろう。
言っておくけれど、置き去りにしてきたわけじゃない。
なまえが今日も下手を踏んで僕の怒りを買った……なんてことでもなく、ただ単になまえは非番だったから。

偶にはこんな日があっても良いと思う。
騒がしい日常から――喧騒から解放される日があったって。

喧騒、独り言。
なまえは独り言ではなく僕に話し掛けているつもりだろうけど、彼女の口から紡がれる言葉の九割方どうでも良い話題であるので普段は聞き流している。
だから、僕にとっては一方的に喋り続ける彼女のそれは独り言のようなものだった。

まあ、たまに相槌は打ってやるけど、基本的には右の耳から左の耳。
どうでも良い事柄に関して直ぐ忘れてしまう僕だから。
それを承知でなまえはいつもペラペラと際限なく喋り続けるのだ。
僕が言うのも何だけれど、やっぱり彼女は変わり者なのだと思う。
逆に言えば、そんな変わり者じゃないと僕の側に居たいとは思わないのだろうし、そんなくだらない事を考えたそばからなまえに会いたいと思う僕も大概だということだ。

歩む速度が心なしか早まった、まさにその時――感情を何処かに置き忘れたような茫洋とした瞳で、見知った姿を捉える。思わず足を止めてしまった。

今日は非番であるから、てっきり屋敷で僕の帰りを鶴首して待っているとばかり思っていた彼女の姿が此処に在る。
何やらその手には、切り花と小ぶりの包みが抱えられていた。
無意識に僕は彼女の方へ誘われるがま足を進める。
声を掛けると、彼女はその表情をだらしなく緩め、僕の名前を心底嬉しそうに弾んだ声で呼ぶ。

「おかえり、無一郎くん! 任務お疲れ様」
「ただいま。こんな所で何してるの?」

「それ何?」と問いながら、手に握られたそれらへ視線を滑らせると、なまえは隠し立てする素振りを一切見せる事なく素直に白状した。

「ああ、これは餡団子とみたらし団子だよ。これから蝶屋敷に行く所なんだ。同期が任務で負傷したらしくて、お見舞いに」
「入院が必要な人間相手に団子を食べさせるんだ? 何て言うか、なまえらしいね」
「あ、そっか……食べられないかな? んー、だったら私が食べるから大丈夫!」
「……」

何が大丈夫なのだろう?
見舞いの品を本人の前で自ら平らげるなんて、そんな可笑しな話があってたまるか。
僕がもし見舞われる側なら、一体何をしに来たのかと疑問を持つと共に一刻も早く追い返したくなるけれど。

笑顔でそんな事を平然と言ってのけるなまえを、ぼんやりと見つめながら思う。
――油断ならないな、と。

先程のやり取りの何処にたかをくくる箇所があったのか……ではなく、正確には“彼女の周りには”と言うこと。
黄色頭の弟弟子といい、煉獄さんといい、挙げ句の果てには一番仲のいい同期の男と来た。
全く、何処からそんなに男ばかり降って湧いてくるのだろう?

「何してるの? 早く行くよ」
「え? まさか、無一郎くんも一緒に?」
「そうだけど。それとも僕が一緒だと何か困る事でもあるの?」
「う、ううん。そんな事は無いけど……珍しいなと思って。驚いたっていうか」

「だって、面識無いでしょ?」と聞くまでもない当然の事を問う彼女に答える事はせず、無言のままで踵を返す。
そのまま来た道を戻る僕となまえは、ひょんなことから彼女の同期の見舞いの為に蝶屋敷に向かう事になったのだった。

一体どういうつもりだという問いは、生憎と受け付けないので聞かないで欲しい。

***

「やっほー! 生きてる?」
「おー、辛うじて生きてはいるけ、ど……え゛!?」

手足に始まり頭やら胸まで――つまりは身体の大半を包帯でぐるぐる巻きにされた同期の彼は、彼女の後に続いて病室に入った僕の姿を見るなり双眸をこれでもかと見開いて絶句した。

それもそうだ。僕等の間には全く面識がない。

「なまえ、ちょ、何で霞柱……様、と一緒なんだよ!?」
「うん? ああ、此処に来る前に偶然会って。無一郎くんも一緒に来るって言うから」

取って付けたように僕を霞柱様と辿々しく呼んだ事を思うと、普段から僕に対しての礼儀礼節は些かなっていないような気がした。
まあ別にそんな事はどうだっていいけれど。
名前も知らない彼に、何処でどう呼ばれた所で何も関係ないのだし。

それよりも、そろそろ本題に入りたい。
そうなれば、まずなまえを此処から追い払わなければ。

「ねえ、なまえ。その花さっそく生けてあげたら?」
「そうだね! じゃあ、ちょっと花瓶借りてくる」
「は!? おまっ、ええ!?」

僕の差し向け通りになまえは部屋を出ていく。
同期の彼は、その背を縋る様な目で見ていたが、やはり僕はそんな事など至極どうでもよかったし、お構いなしだった。
横目にその様を見やりながら寝台の横にあった椅子に腰を下ろす。
そして、なまえから押し付けられた見舞いの団子が入った包みを枕の横に置いた。

「はい、これお見舞いだって」
「あ、ああありがとう御座います……!」
「僕からじゃないよ?」
「あ、ハイ。ですよね」
「……」
「……」

短い言葉を数度交わして、そこで僕たちの会話は終了した。

だって、話す事なんてないんだもの。

ならば何故此処に来たのかと疑問が浮かぶだろうが、そんなのは簡単な話だ。
黄色い髪の弟弟子に次いでなまえが彼の事を楽しげに話すから、一体どんな奴なのだろうかと気になって、一度その顔を拝んでおいてやろうと思った。ただそれだけ。
牽制したかったのかもしれないし、僕という存在を知らしめたかったのかもしれない。

なまえはまだ病室に戻らない。
僕はこの沈黙を何とも思わないけれど、同期の彼は居た堪れ無かったようで気まずそうに――いや、この場合は“気を使って”が正しいだろうか?
ともかく、そんな落ち着かない様子で口を開いた。

「あのー……」
「何?」
「その、なまえは……霞柱様にご迷惑を掛けていませんか?」
「何で君がそんな事を聞くの? なまえの事がそんなに気になる?」
「え゛!?」
「君はなまえの“ただの”同期でしょ? どうしてそんな風に聞くのかと思って」

質問に質問で返すのは卑怯かもしれないが、純粋な疑問だった。
そんなに難しい質問はしていない筈だけれど、「ええっと……」と言い淀む彼の様子を感情を無くしたような眼差しで真っ直ぐ捉える。
別にその質問に深い意味も、裏も、何もないのかもしれない。
けれど、そんな“ただの同期”である彼に対してまで牽制しに掛かる僕は、もう救いようの無い程になまえに入れ込んでいるらしかった。

「返さないよ?」
「へ?」
「なまえはもう僕のだから、君には返さない」

同期だからとかそんな事を棚にあげて、今更やっぱりなんて言い訳をされない為に。
返答を待たずして、僕はたたみ掛ける。

けれど、彼は目をぱちくりとさせて素っ頓狂な声を上げたのだった。
そして、僕の吐き出した言葉の意味を理解するなり破顔し、フハッと吹き出す。

「どうして笑うの? 僕、可笑しな事でも言った?」
「いえ、これはその、違うんです。なんて言うか、安心しただけで」
「安心……」

意味が分からず彼の言葉を反芻してみたけれど、先程の会話のやり取りの何処に安心とやらを見出したのか甚だ理解に苦しむ。流石、なまえの同期だ。

「俺、なまえからよく相談されてたんですよ。彼女が霞柱様の継子に志願してる頃から」
「へぇ」
「なまえから継子兼恋人の報告を受けた時は雪が降るんじゃないかと思ったもので」
「ふうん」
「だから、俺はなまえに対して妹を見守る兄……いや、我が子を見守る保護者のような感覚ですかね!」
「保護者……」

再度、彼の言葉を反芻するが結果はやはり同じで、何を言っているのかよく分からなかった。
まあ、つまり僕が危惧していたような間柄とは程遠い位置に彼はいるのだという事だけは理解出来たけれど。

「ともかく、これからもなまえを宜しくお願いします」
「君に宜しくお願いされる覚えはないんだけれど……まあ、君はなまえの保護者なんだもんね」

僕に対して頭を下げる彼は、保護者よろしく娘を嫁に出す父親のようにも思えてきた。
同時に、数十分前に噂の同期とやらの顔を拝んでやろうなんて考えた自分に思い直せと助言してやりたくなった。

そうこうしている内に花を生けた花瓶を腕に抱えたなまえが病室に戻ってくる。
「なになに? 何話してたの?」と、なまえは興味津々に問う。

徐に椅子から立ち上がって彼女の前まで行くと、ポンポンと頭を撫でた。

「娘を宜しく頼まれただけ」
「娘?」

はて何の事やらと小首を傾げるなまえに、小さく笑を浮かべて「君は別に知らなくていい事だよ」と付け足した。

「無一郎くん、もう帰るの?」
「うん。用は済んだから。なまえはもう少しゆっくりしていきなよ」

僕を見送った後、彼女は果たして同期の彼とどんな話に花を咲かせたのだろう?
まあ、そんな事は僕が知る由もないけれど。


「どうなってんのか心配だったけど、なんか安心したわ」
「え?」
「霞柱って、あんな表情もするんだな。いつもぼんやりしてんのに……なんかスッゲー貴重な物見た気分」
「いつも八割方、塩対応だけどね! でも、そこも好き!」
「あーはいはい。ゴチソウサマデシタ」

20230829
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