『なまえは僕の神経を逆撫でするのが上手だね』

冷え切った目でそんな言葉を浴びせられたのはいつの事だったろう?
思い返してみれば、事ある毎にそんな類の言葉を浴びせられているような気がする。
つまり、私はしょっちゅう彼の地雷を踏んでいる事になるが、今回もまた例外なく彼の地雷を踏んだらしい。神経を逆撫でたらしいのだ。
逆鱗に触れるだけでは飽きたらず、何往復も撫で付けてしまったばかりに、今こうして無一郎くんに組み敷かれる羽目になっているのだろう。

唯一普段と違うと言えば、いつも無意識であるその行為に今回は心当たりがある事。

「無一郎くん……その、怒ってる……よね?」
「なまえがそう思うなら、そうなんじゃない?」

嗚呼、これは相当虫の居所が悪いと見える。

少し離れた場所で所在なげに転がる大根こそが、そもそもの始まりであるのだが……今回ばかりは悠長に回想に浸って状況を整理しているような余裕は生憎と与えられていないようだった。

だから、掻い摘んで端折って端的に説明すると、任務帰りに夕食用の大根を買いに八百屋へ寄った際、そこの店主に“仲の良い御姉弟だね”と言われ、説明するのに戸惑った末に私が“ええ、まぁ”とお座なりに答えたばかりに無一郎くんが腹を立てたのだ。

それはもう、静かなる怒りであって思い出すだけで恐ろしい。
眼差しも態度も醸し出すオーラすらも、その全てが仄暗い海底のように冷ややかで、帰り道は生きた心地がしなかった。
それ程までに無一郎くんはご立腹だった。

「なまえは“弟”に押し倒されて赤くなるんだね」
「……チ、違イマス(うわあ、やっぱりかなり怒ってる)」

いつも冷ややかな眼差しが、今は凍てつくようだった。思わず片言になってしまう。
そんな眼差しに射抜かれれば、つい吃ってしまうのだけれど、その反応がますます彼の不機嫌に輪をかけてしまっているに違いない。

「何が違うの? 弟の僕に分かるように説明してもらえる? 姉さん」
「っ!」

姉さん……!
紛れもない嫌味で告げられた文言であったのに、これはこれで悪くない響きかもしれない。ありだなんて一瞬でも思ってしまった事は口が裂けても言えなかった。ちょっとキュンとしてしまったなんて、絶対に。

「――うぶ!」
「何ちょっと喜んでるの。僕は怒ってるんだけど」
「ご、ごめん! ……じゃなくて、あれは、その、言葉の綾……と、いいますか」

無一郎くんに姉さんと呼ばれた事で開きかけた新しい扉は、彼手ずから即座に閉められてしまった。
頬を鷲掴まれて強制的に現状へと引き戻される。怒髪天である無一郎くんに口撃される現状へと。

鬼殺隊では言わずとも知れた柱という確固たる地位に座する無一郎くんであるが、しかし、組織外での世間から見た彼は“どこにでも居る齢十四の少年”なのだ。
十四歳の少年……言葉にしてみれば、そんな彼と恋人関係だなんて犯罪臭すら漂ってくるが、今はそんな事に悶々としている場合ではない。

つまりは、そんな私達が仲良く夕食の買い物に訪れたのなら、恋人ではなく姉弟に見間違えられる事は別段可笑しくないという事が言いたかったのだ。
それが世間の目である――ただ、それだけの事。
だから、愛想笑いを浮かべて受け流しただけだった。
結果、その何気ない会話が無一郎くんを傷付ける事になるなんて思わなかった。いや、怒らせるが正解か……。

「そ、そんな事で無一郎くんが怒るなんて思わなくて!」
「……は?」

これ以上彼を怒らせる前に慌てて口を開いたのに、愚かな私は見事に口を滑らせた。
こてんと首を傾げた無一郎くんからは、ブチ!と血管か何かが切れたような音が聞こえてきそうだった。

「つまりなまえにとって取るに足らないってこと? ――そう。よく分かったよ」
「ちょ、待って……無一郎く――ん、ぅ」

違う。そうじゃない。
どちらの言葉も紡げぬまま唇を塞がれて、すかさず舌を捩じ込まれる。
荒々しく口腔内を這いずり回る舌は、まるで彼の機嫌そのままを表しているようだった。

「……は、っ……じゃあ、弟みたいな僕に抱き潰される覚悟……しておいて」

「手酷く抱いてやるから」なんて熱の篭った吐息まじりに吐き捨てられた言葉は、それでも弟だと思えるなら思ってみろと言いたげな台詞だった。

「ふ、ぁ……っ、違……待って」
「拒まないで。拒んだら、許さない――」

脚を撫で上げ、隊服の裾を託し上げる彼の手を、拒むように己の手を添えた途端、ピシャリと制される。
思わずその手を退かせてしまったのは、有無を言わせぬ物言いのせいか、はたまた私を射抜く余裕を無くした瞳のせいなのか――。
きっと、どちらも違ったのだと思う。

徐に手を伸ばして、彼の頬にそっと触れた。
拒まれる事はなかったが、受け入れる事もない。されるがままといった様子であったから、もう片方の手も頬へ伸ばして両手で包み込むと、無一郎くんは身体を強張らせる。
そのまま、不器用ながらにも触れるだけの口付けを贈った。

怒っていると言い張る無一郎くんには申し訳無いけれど、そんな表情を浮かべられたのでは何の説得力もない。
だって、その表情ときたら、さながら臍を曲げた年相応の――拗ねた可愛らしい男の子がそこにいたのだから。

「さっきは、ごめんね。でも、私は無一郎くんの事一度も弟なんて思った事ないよ?」
「……」
「弟に口付けたりしないし……その、だから、機嫌直してくれると嬉しいなぁ」
「……っ、そういう言い方が弟扱いだって言ってるんだよ」
「え゛!? そ、そそそんなつもりは断じてっ……!」

無一郎くんは不貞腐れながら、そう言った。
けれど、もうそこには先程までの刺々しさも嫌味ったらしさも無い。
気が抜けた様に突然倒れ込んできたかと思うと、そのまま縋るように私を抱きしめた。

「何なの……なまえのくせに」
「ご、ごめんね? ――ぐえっ、」

抱き締められる力が更に強まって、思わず肋骨が折れるかと思った。
内臓がぎゅうっと物理的に中央へ圧縮されたような感覚に、思わず色気もクソもない声が漏れる。
その腕の力に気を取られたせいで、ボソリと耳元で囁かれた言葉がうまく聞き取れなかった。

「え? ごめん、何か言った?」
「別に、何でもないよ」

私が聞き間違えていなかったとしたら、無一郎くんはその顔を私に決して見えない様に埋めながらこう言ったのだ。
その言葉がとても可愛らしくて、愛おしく感じた事は、今度こそ決して彼に気取られてはいけないと思いつつ、だらしなく緩む顔は我慢できなかった。

“早く大人になりたい”

だから、彼の胸の内の弱い部分を吐き出したその言葉は私の胸の中だけに留めておく。
どんな無一郎くんでも大好きなのだと、その背に腕を回して抱き締め返すくらいは許されるだろうから。


20230711
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