「……は?」

僕は唖然とした。
いや、呆気に取られた。もう、本当……あり得ないんだけど。

しつこく強請られて、仕方なしになまえを連れて訪れた管轄下である警備地区の巡回の最中、それは起こった。
所用を思い出した僕は「少し用事を思い出したから、此処で良い子に待っていて」と、声を掛けた筈なのだけれど。
僕の恋人兼継子はものの十分もじっとしていられないらしい。
いざ彼女を待たせていた場所へ戻ってみれば、あろう事か、なまえは忽然と姿を消していた。

人攫いという筋は、まず無い。だって彼女は一般市民ではないからだ。
鬼殺隊の隊士であるし、体格は劣れどそこら辺の成人男性よりもうんと強い。
どうとでも出来てしまう。ならば、考えられるのはただ一つ。彼女自ら動いたとしか思えない。

「全くもう……仕方がないなぁ」

本当、仕方がない。僕には、こんな事に拘っている暇は無いのだ。
時間は有限。それが柱ともなればさらに貴重。
どうしてそんな簡単な事が彼女には分からないのか。これだけ長く一緒に居るのに。

しかし、それは直ぐに解消された。雑踏の中で直ぐになまえの姿を見つけたからだ。
そうさせたのは、前回の柱合会議以来、久しぶりに聞く大声だったからで――。
溌剌とした声。その声で紡がれる恋人の名前を聞き逃すほど、僕はお人好しではないので。

少し離れた場所までよく届くその声は「壮健でなによりだ」「稽古に励んでいるか?」「今度稽古を付けてあげよう」そんな差し障りのない会話をしているが、僕がその場に辿り着いた時狙った様なタイミングで事は起きた。

「なまえ、いつでも炎柱邸に訪ねて来るといい。君の話を聞くのは飽きないからな。もっと色々と聞かせてくれないか?」
「ありがとう御座います! 杏寿郎さんのお好きなサツマイモ、沢山持って伺いますね!」
「そうか。それは楽しみだ」

まず何処から突っ込めば良いんだろうか。
名前で呼び合っているところ?なまえが煉獄さんの好物を知っているところとか?
それとも、頭を撫でられて、嬉しそうに笑っているところかな?

何にしたって、どれにしたって、同じだ。どれも許せないもの。
チリチリと焼け焦げる様な痛みが胸を蝕んで、言い様の無い感情に全身くまなく支配されて行くのが分かる。

「こんにちは、煉獄さん。折角のお誘いだけど、なまえはサツマイモを持って煉獄さんの屋敷には行かないし、今日もこれで帰ります」
「時透、柱合会議以来だな! ははは、そう怖い顔をしなくともいい。冗談だ」
「笑えない冗談はやめて下さい」

絶対、冗談じゃなかったろ?
そして、その言葉に隠された意図に気付かない彼女にも腹が立つ。
まるで主人に構って貰おうと尾を振る犬のように見えてしまって、僕は彼女の襟首をむんずと掴んで引き剥がした。

「む、無一郎くん……!」
「あのさ、勝手にいなくなるなって言ったよね? 帰るよ」
「あの、用事は?」
「とっくに済んだよ。そんなもの」

煉獄さんに頭を下げて、なまえを引っ掴んだままこの場を離れる。
そして、終始混乱と不安を極めていたなまえが「怒ってる?」と恐る恐る僕に問うけれど、路地裏に入るまで無言を貫いてやった。
だって、この方が分かりやすいだろうし。幾ら鈍感ななまえでも僕は今、酷く虫の居所が悪いんだって事が嫌でも伝わる事だろう。

駄目だ。よりによって煉獄さんだもの。僕が、どうしてそれを看過出来ると思うの?
無理だよ。どうにも我慢できない。
お願いだから、もっとちゃんと自覚を持って欲しい。

「無一郎く――っ、んぅ……は、」
「……ん、はぁ……」

僕を呼ぶ声ごと取り上げる様に唇を塞いで、深く深く口付ける。
舌を絡ませ、歯列をなぞる。逃げ惑うなまえの舌を捕まえて甘噛むと、とろんと蕩けた表情を浮かべて僕を見る。
嗚呼……その顔は僕だけのものだ。誰にも見せないで、絶対。

「自覚して」
「……へ?」
「ちゃんと、自覚して。分かってるの? 誰にでもあんな風に寄って行かないでって言ってるんだよ」
「無一郎くん……」

唾液で濡れた唇を指の腹でなぞった。
鈍感な恋人には言葉で直接伝えないといけないんだった。本当、骨が折れる。

「なまえは、僕のだよ」
「!」

そこで漸く言葉の意味をきちんと正確に理解したらしい彼女は、いつもの様に頬を真っ赤に染めるので、僕は堪らず彼女を抱き竦めた。
不安なんだよ、これでも。口に出していないだけで、僕はきっと君が僕を好きである以上に君を好きだから。

「妬かせないで」と彼女の華奢な肩に顔を埋めて吐き出した小さな小さな独占欲は、果たして彼女に届いたのか定かでないけれど。


20200515
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