「えええええ!? て、手紙の事……霞柱に話しちゃったの!?」
「話たけど……やっぱり拙かったのかな?」
「拙いに決まってるでしょ普通! 話さないでしょ絶対! だって、恋文だよ!? 揉める事が目に見えてんじゃん」
「う゛……そう、だよね。でも、無一郎くんに隠し事はしたくなくて……」

霞柱邸を勢いのままに飛び出して今日でひと月程になるけれど、私はあれっきり霞柱邸には戻っていない。
戻っていないと言うよりも、戻れないと表現した方が正しいのかもしれない。
だって私は現に帰りたいと思っているのだから。
ごめんなさいって謝って、無一郎くんの精神を抉られるようなお説教を聞きたいと願っている。
それでもそう出来ずにいるのは、仮にも上官であり師範であり、そして何より大切な恋人である彼に酷い暴言を吐き散らかして屋敷を飛び出したからだ。この身の程知らずがどの面下げて屋敷に戻ると言うのか。

そんな中、ここ三日間ほど弟弟子の善逸と任務に就くことになった為、ここぞとばかりに相談を持ちかけた。
善逸は例の諍いの原因である手紙の存在を知っていて、尚且つ相談しやすかった事もあって昼食をとっている合間に相談を持ちかけたのだ。
そして、机を挟んで向かいに座った善逸は、口に含んだ米粒を飛ばしながら私のあるまじき行為を否定と突っ込みを織り交ぜて全力否定してくれたというわけ。

「それにね、貰ったあの手紙、別に恋文ってわけじゃなくて……」
「え? そうなの?」
「うん。確かに彼の気持ちは認められていたけれど、ただそれだけで、恋人になりたいとかそういった内容は一言も書かれてなかったの」
「……だから、話しても大丈夫だろうって?」
「……うん」

読めば理解してくれると思った。
けれど、無一郎くんは私から取り上げた手紙を一度も読むことは無かったから、その手紙の内容を知らない。
私と無一郎くんの仲を引き裂こうとか、奪おうとか、そんな言葉は一言一句記されておらず、寧ろこれからもお幸せにとまで書かれていたのだ。
だから、尚更問題ないと思って。
けれど、結果的にそうはならず、私達は今までにない拗れ方をしてしまった。

「なまえはさ、もし自分が逆の立場でも同じ事が言える? 霞柱がなまえと同じように女の子から手紙をもらって、嬉しそうにしてたらどう思う?」
「それは……その」
「もらった手紙には付き合って欲しいとかそう言った内容が書かれてなくても嫌でしょ? 貰ったっていう事実が嫌だなって、思わない?」

諭すような言葉に、すっかり論破されてしまった私は、静かに頷く事しか出来なかった。
その通りだと思ったからだ。だったら、それを無一郎くんに悟られてはならなかった。知られてはならなかった。
そこで漸く自分のしでかした事の大きさ、愚かさ、配慮の無さが雪崩のように押し寄せてきて、私の胸は無一郎くんへの申し訳無さで押しつぶされてしまいそうだった。

「でもまぁ、手紙を破るのは流石にやりすぎだと思うけど。あの無表情で破り捨てられるって……怖すぎて寒気が」と、身震いをする善逸に言葉を一つ掛けるとするならば、これに限ると思う。

“まるで生きた心地がしなかった”

「それに、あの霞柱もそういう事すんのね。俺はそこに驚いたけど」
「うん?」
「だってさぁ、基本何も覚えてないし、興味ないし、どうでもいいし、みたいな印象しか無いもん」
「確かに、そうかもね」
「だから、それだけなまえは特別ってことじゃん」
「!」

特別。無一郎くんの特別。
もしそうなら、これ以上に嬉しい事実はない。
好きだよって何度も言葉をもらったけれど、本当の意味で私は彼の言葉をきちんと理解していなかったのかもしれない。

「もう任務終わったんだし、今度こそ帰りなよ? ここ三日間熟睡出来てなかったことぐらい知ってんだから。その調子だと屋敷飛び出してからずっとなんじゃない? 弟弟子舐めないでよね」
「ははは、善逸には敵わないなぁ」

まだ間に合うなら。ほんの少しでも可能性が残されていたのなら。
私はその残された可能性に縋ってでも、無一郎くんに伝えたい。
すっかり冷めてしまった味噌汁を啜りながら、そんな事を思ったのだ。

***

そして、それから翌日の事。
私は善逸と別れて非常に気まずい心境のまま霞柱邸の門前に立っていたる。
大根を携えて弟弟子から受けた忠告を反芻しながら、佇んでいた。

善逸と話していた時は確固たる意志があった。けれど、いざ屋敷に戻るとこうも身体が竦む。
もしも無一郎くんに“今更何をしに戻ったの?”だとか、“もう僕達は終わってるけど?”だとか。
そう言った類の言葉を浴びせられたら、この先、生きていく自信がない。

恋人としての地位だけでなく、憧れて止まなかった無一郎くんの継子の座まで無くしてしまったら……。
考えるだけで恐ろしい。

さっさと戻れと善逸には言われたが、今日もう一日くらい藤の家紋の家に泊まってしまおうか。
思い立って、踵を返した時だった。丁度向かい合うような形で、屋敷に戻って来た無一郎くんと鉢合わせしてしまったのだ。

「あ……」

思わず、小さく声が漏れる。視線が泳ぐ。表情に影が落ちる。動揺なんて、とてもじゃないが隠せなかった。
ひと月ぶりに顔を合わせたからか、どう接すればいいのか、話を切り出せばいいのか分からなくなって、私はその場から一歩も動けないでいる。俯くことしか出来ない。

そんな私とは対照的に無一郎くんは悠然とこちらに向かって歩んでくる。
ザリザリと地面を擦る草履の音がだんだんとこちらに近づくにつれて息が詰まるようだった。
自分の影に無一郎くんのそれが重なり被さるように上から落ちて、地面ばかりを見つめる私でも目前まで彼が歩み寄って来た事が分かった。
それでも何も言葉を発してくれない彼に、私は意を決して口を開く。

「あの、む、無一郎く――っ!」

彼の名を口にした瞬間、私の身体は懐かしい温もりに包み込まれた。
たかがひと月、されどひと月。
酷く懐かしいと思えたその温もりと香りに、身体中を雁字搦めにしていた緊張がスッと解けた。

そのままきつく、息苦しいくらいに抱きしめられて思わず腕に抱いていた大根が滑り落ちて地面にゴトリと転がる。
そんな事はお構いなしに無一郎くんは私を抱きしめたまま、離しはしない。

「今まで何処に居たの。遅いよ、帰ってくるのが」
「! 無一郎くん……ごめっ、ごめんなさい」

無一郎くんは相変わらず言葉少なに言った。いつもみたいにほんの少しだけ私を責めるみたいな口ぶりが心地良くて、私は無一郎くんの背に手を回し、彼の体躯に対して大きめに誂えられた隊服をぎゅうっと力一杯に握った。
そして、自然と口を突いて出たその“ごめんなさい”には色々な意味が込められている。

配慮が足らなかった事。
酷い言葉をぶつけてしまった事。
一時でも貴方の元を離れた事。
自分勝手な行動を取った私を、こうして待っていてくれた事。

「うん、僕も。ごめんね」
「っ、むいぢろうぐん……!」

顔から出るもの全てを垂れ流し、わんわん泣きながらの全力謝罪は、いつもなら汚いと一蹴されてしまうけれど、今日はそれもお預けであるらしい。それも偶にはいいと思うのだ。今はただただ無一郎くんの温もりに包まれていたいもの。

泣きじゃくる私に、無一郎くんは相変わらずな平坦な口調で言った。
私と離れていた期間は、彼にとっても何かを気付く機会になったらしい。

「こんな感情、きっとなまえとじゃなきゃ僕は知らなかったと思う」
「え?」
「正直、知らずに済むならそうしたかった」
「え゛!?」
「だって、なまえじゃなきゃ駄目だなんて。なまえじゃなきゃ意味がないなんて、冗談じゃないもの」

褒められているのか、貶されているのか。

無一郎くんは私を抱きしめる腕の力を緩めて、そっと触れるだけの口付けを唇に一つ、落としてくれた。
ここは屋外で、霞柱邸の目の前で、いつ何処で誰が見ているかしれない場所であるにもかかわらず、無一郎くんからそういった行為をしてくれるなんて思いもしなかったので、驚きのあまり双眸をこれでもかと見開いてしまった。

無一郎くんは固まる私の唇を親指の腹でなぞって、小さく笑う。

「僕にこんな感情を教えたのはなまえなんだから、ちゃんと責任取ってよね」
「っ!」
「ずっと、僕だけを見ていて」
「も、勿論だよ! 望むところだよ! 私の持てる全て、一生を懸けて無一郎くんの事を幸せにします!!」
「……おっも」

半ば食い気味に鼻息荒く宣言したところで、拗れていた筈の私達の関係はいつの間にかいつも通りに戻っていた。
つまりは元鞘というやつ。

足元に転がった大根を徐に拾い上げて、無一郎くんは言う。
その瞳も表情も呆れるくらいにいつも通りだったから、私はそのいつも通りが泣きそうなくらい嬉しく感じてしまった。

「じゃあ早くお詫びのふろふき大根作ってよ。そのつもりで持ってたんでしょ?」
「うん! お任せあれ!」

無一郎くんは、そうする事が当たり前であるかのような至極自然な仕草で私の手を引いた。
そこに二人仲睦まじく……と付け足して良いものか分かりかねるが、私達はそれでいいのだろう。
曖昧で、壊れやすくて、だからこそ愛とは美しいのだ。

私は、無一郎くんに手を引かれ、ひと月ぶりに霞柱邸の敷居を跨いだ。


20200823
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