あれから丁度ひと月くらい経った頃だろうか。
何がって?それは、あれだ。直近で私と無一郎くんの大きな揉め事の原因となった、さつま芋事件。
あの時は、悪気が無かったにしろ大層無一郎くんを怒らせてしまって、傷付けてしまって、私も迂闊だったと猛省したわけなのだけれど、やはり悪い行いも良い行いも等しく神様は見ていらっしゃるというわけで。
詰まるところ何が言いたいのかというと、しでかした行いは巡り巡って自分の元へと返ってくるものらしい。

「う、嘘だ……」
「んんー、美味しいっ! 幸せ……! 団子って言ったらやっぱり此処の店のに限るよねぇ。なまえ、最後の一本食べてもいい――って、うわぁあ! ちょ、何やってんのぉ!?」

きっと私は真昼間から幻覚でも見ているのだろう。
昼間だから、白昼夢?白日夢?
幻覚だろうが白昼夢だろうが白日夢だろうがそんなのは何でもいい。
揃いの羽織を着た可愛い可愛い弟弟子と束の間の休息を甘味屋で過ごしていた私に、そのにわかに信じ難い光景は何の前触れもなく飛び込んできたのだった。

驚きのあまり……否、動揺のあまり、口元へ持っていった湯呑みを傾けたまま固まってしまって、中身のお茶を全てダバババと膝の上に垂れ流してしまうくらいには私の意識は其処へ集中してしまっていた。
そりゃあ動揺だってするし、放心もする。こんな事は初めてであったのだもの。

何故なら、私の視線の先には――。

「あーもう、お茶を全部垂れ流すってどういう状況なの!?」
「……嘘だよね?」
「嘘って何が――あ、霞柱……と、何あの美人!!」

やはり私だけに見えているわけではないらしい。
だから、白昼夢ではなく紛れもない事実。現実だ。
私の視線を辿って無一郎くんの姿を見つけた善逸は、しっかりと傍を並び歩く美しい女性の姿も見過ごす事なく叫んでくれた。ご丁寧にどうも有難う御座います。

恋人が見知らぬ女性と仲睦まじい様子で歩いている。
それだけで既に驚愕すべき事実であるのに、しかもその女性ときたら私とは比べ物にならないくらいの別嬪さんであったので、二重にも三重にもショッキングである。

比べる事が烏滸がましいと思えてしまうほどにその女性は美しく、優雅で、気品に溢れていて、談笑しながら歩くだけでも育ちのよさが滲み出ているような……そんな女性だった。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花――なんてよく言ったものだが、彼女はまさにそれだった。
同じ女性であるのに、どうしてこうも違うのかと思えてならない程に。
月とすっぽんと言った具合である。
そして何より、側から見た二人がとても似合いの男女であったから、余計に言葉を失ってしまった。

私と無一郎くんが継子以前に恋人関係である事を知っている善逸は、私と往来を行く二人の姿を交互に見て、気まずそうに視線を逸らす。
垂れ流したお茶で盛大に濡れた膝を甲斐甲斐しく拭いてくれながら、フォローも忘れない善逸はなんて心優しい弟弟子なのだろうか。
いや、ただ単に私が不憫でならないと憐憫やら同情の類からの心遣いなのかもしれないけれど。
弟弟子に気を使わせてしまうなんて、情けない。

「あー……えっと、なまえ? その、なまえが想像してるような事は無いんじゃない? 何だかんだ言って、霞柱ってそう言う奴じゃないじゃん。もしかしたら何か事情があるだけかもしんないしさ?」
「……る」
「へ?」
「確かめる! ごめん善逸、またね……!」

雑踏に紛れんとする二人の姿を追う為に、私は代金を机の上に置いて、店主に一言かけた後、善逸を残して店をでた。
「ちょ、なまえ!?」と、焦る善逸を他所に、往来を行く二人の姿を見失わないように後をつける。
胸ポケットに仕舞っていた手拭いを取り出し、頬っ被りしてコソコソと二人の後をつける私は不審者以外の何者でもない。

何を話しているのか気になるが、流石に会話が聞き取れる距離まで近付いてしまっては気付かれてしまうだろう。何せ、尾行対象者はあの霞柱である無一郎くんだ。
間違いなく気配で気付かれてしまうだろう。
立て看板に隠れたり、路地に身を潜めたりとコソコソしながら二人の後を追うその最中も、手には嫌な汗が滲むし、脳内では最悪の事態を想像してしまう。

無一郎くんの事を信じていないわけではない。
無一郎くんが私に愛想を尽かして他の女性に靡いてしまったなんて、思ってもいない。
善逸の言葉通り何かの間違いで、致し方ない理由があるのだとして――けれど、どうにも我慢できなかったのだ。女の人と二人で、なんて。
何か退っ引きならない理由があったのだとしても、嫌だった。

後をつけてどうなる?声を掛ける勇気もないくせに。
それでも気になって仕方がなくて、じっとしていられずにこうして後をつけてしまっている。
自分ではどうにも出来ない矛盾がそこには存在していた。

電柱の影に隠れて、二人の姿を盗み見ては悶々としている時だった。
不意に二人は立ち止まって、あろう事か相手の女性が無一郎くんへと徐に手を伸ばす。その所作すら優雅であって、彼女の手が無一郎くんの肩へとそっと乗せられる――。

嗚呼、やめて。触らないで。無一郎くんは私の恋人なのに。

己の中に生まれたあられも無い感情に浸る事は出来なかった。
たかが肩に触れただけ。ただ、それだけ。たったそれだけの事も我慢できないくらい、私の中にも嫉妬心と独占欲なんて感情が巣食っていたのだ。
それらの感情が湧き上がると同時に私は身を隠していた電柱から駆け出して、無一郎くんの腕を胸に掻き抱いて、少々手荒い仕草で引っ張った。

「そ、そこまでー!」
「!」

不意に力を込めて腕を引いたものだから、無一郎くんは数歩私の方へとよろける。
しかし、何故かじっと此方を見下ろす無一郎くんの表情は別段驚いてはいない。
驚いているのは一緒にいた女性だけ。
突如として私が乱入した形になるにもかかわらず涼しい顔で、動揺の一つも見せないその様は些か不思議であったけれど、生憎と今はそんな事に意識を割ける余裕がなかった。

「す、すみません……! か、かかかっ彼は! 私の恋人なので……その、これ以上は駄目、です!」

言った。盛大に噛み倒したけれど、言ってのけた。
それなのに、無一郎くんと言えばやはり驚く事もなく傍でクスリと一笑するばかり。

「あらあら……それは、ごめんなさい。嫌な気持ちにさせてしまいましたね」
「へ?」

彼女は、人形のようなくりくりとした瞳を瞬かせた後、申し訳なさそうに口元へ手を添えながら詫びる。

「何を勘違いしてるのか知らないけど、この人は管轄地域の財閥の娘さんだよ。彼女のお父上には情報収集なんかでよくお世話になってるからね。時間が出来たから、護衛も兼ねて買い物の付き添い」
「ええ!?」

理由を聞かされて、そしてそれが全て勘違いである事を悟り、呆気に取られる私に対して「どう?これで満足?」と、無一郎くんはあっけらかんとした様子で告げた。
つまりは全て私の早とちりの勘違いというわけだ。
こんなにも滑稽な格好までして。
因みに、無一郎くんの腕を引いた時も、彼女に噛み倒しながら独占欲をぶつけた瞬間も、頬っ被りをしたままであった事を忘れないで欲しい。

「残念だったね。そんな小っ恥ずかしい格好までして尾行したのに、何もなくて」
「んなっ、いつから知ってたの……!?」
「内緒。次はもっと上手にやりなよ」

其処にはいつもの私を揶揄う時の小生意気な笑みを浮かべる無一郎くんがいて、全ては端から彼の手の平の上で踊らされていたという事らしかった。
私と無一郎くんのやりとりを傍で見ていた娘さんは「お二人とも仲がいいのね」と、クスクスと笑んだ。

「他に何か言いたい事は?」
「……恥ずかし過ぎて、土に還りたいデス」

***

そんなこんなで。
最悪の事態が起こる事はなく、めでたしめでたしと締め括れたのならどれ程良かっただろうか……。
私は自分の犯した甚だしい勘違いと消え去りたい程の羞恥心を前に居た堪れなくなってしまって、脱兎の如く二人の前から逃亡した。
そして、逃亡先である霞柱邸に戻るなり、押し入れから引っ張り出した布団を頭の上からすっぽりと被せた。
要は、ただ不貞寝をしただけだった。
大きな饅頭のようにこんもりと丸まって、籠城スタイルの出来上がり。

けれどもそんな取るに足らない行動は、屋敷へと戻って来た無一郎くんに即刻暴かれてしまったわけで……。
無一郎くんは今、布団一枚隔てた向かいにしゃがみ込んでいる。

「ねぇ、いつまでそうしてるつもりなの?」
「わ、私の気が済むまで……」
「じゃあ僕はいつまで待てばいいの?」
「ま、待たなくていいで――うわあああ!!」

まだ話の途中だったのだけれど、無一郎くんはそんな事などお構いなしで、被さっていた布団をむんずと掴んで放り投げてしまった。強制終了。

「まだ駄目だって言ったのに……!」
「嫌だよ。待ちくたびれた」

布団を剥ぎ取った手荒い仕草とは打って変わって、私の頭を撫でるその手付きは驚くほどに優しく、柔らかで、暖かい。
だから、これ以上反論する気にはなれなかった。

「あの、無一郎くん……この間言ってた事、覚えてる?」
「この間……何だっけ?」
「無一郎くんは自分だけが好きみたいって言ってたけど、それは違う……から」

散々羞恥心に打ち拉がれて、土に還りたいとまで思ったくせに、またしても私は墓穴を掘りに行く。
ああ、でも丁度いいか。土に還りたいのだもの、その穴をせっせと掘っているのだと思えば。

恥ずかしさのあまり正面から無一郎くんの顔を見ることが出来ない。
けれど、きちんと言葉で伝えなければいけないと思った。
いや……違う。伝えたかったのだ。
私も無一郎くんの事が大好きだよって。同じ気持ちだから、忘れないでって。

「む、無一郎くん。私、無一郎くんの事が大好き、なので……決して疑って尾行したわけではなくて……だから、その」
「……」
「こんな私でも愛想を尽かさないで欲し……っ、ん」

もう、これ以上の言葉は不要だとばかりに唇を塞がれる。
少々強引であるが今はそれがとても心地が良く、幾度となく解けては重なる唇は互いの想いを確かめ合っているようだった。
頭がぼーっと痺れて思考が蕩けた頃、漸く唇を解放され、代わりに無一郎くんの腕の中に閉じ込められた。

「そんな事で一々愛想を尽かしてたら、きりがないと思うんだけど」
「ううー……無一郎くん、好きだよ。大好き」
「うん……ごめんね。昼間は意地悪して」

好きだと言って、互いの特別だと感じ合える関係がこうも愛おしいのだと再確認しあったところで視界が反転し、あっという間に組み敷かれてしまった。

「ななな何を!?」
「据え膳かと思って。違った?」

「御誂えに布団も敷かれている事だし」と、無一郎くんは言う。

「……ち、違わない、かもしれないような、そうじゃないかもしれないような」
「どっち?」
「……うう゛」

そんな風に求められてしまったら、頷いて全てを差し出す以外の選択肢は存在しないのに。
私は、真っ赤な顔を覆い隠すように両手を被せ、消え入りそうな声で「召し上がれ」と紡ぐと、無一郎くんはキョトンとした後満足そうに表情を緩めた。

「いただきます」

どうぞお気の召すままに。
願わくば、貴方の愛で全身隈なく満たして欲しい。


20200626
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