「僕に何か言う事は?」
「モ、申シ訳……御座イマセンデシタ」
「バレなきゃいいと思ったんだ?」
「滅相モナイコトデ御座イマス」
「滅相も御座いましただろ」
「……ハイ」

無一郎くんは今、怒っている。
決して声は荒げないが、床板を抉りそうな程の渾身の土下座を前に、仁王立ちをして腕を組むくらいには怒っている。
今までの経験上、静かに怒れる無一郎くん程恐ろしい無一郎くんは存在しないので。

あれも、これも、それも、どれも……全ては“鴨葱”ならぬ“私さつま芋”であったからだ。

よく意味が分からない?
ええっと、詳しく説明しますと、鴨が葱を背負って来る現象を私が準えてしまったと言う事でして。

この場合、鴨が私で、葱がさつま芋であって、ここまで言えば分かると思うけれども、つまりは、私がさつま芋を持って自ら進んで煉獄さんの元へ出向いたばかりに、あれよあれよと流されるがままに炎柱邸に一泊した事がバレてしまい、こうして無一郎くんにお叱りを受けていると言うのが今の状況である。

それでは、その【なまえさつま芋事件】の全貌を回想でお届け致しましょう。

***

久し振りに単独であたった任務は、鬼を討伐し、襲われそうになっていたところを保護した娘さんを家まで無事に送り届けた所で完了となった。
豪商の御息女ではなかったが、彼女の家業は農家であったらしく、大切な一人娘の命を救った礼をさせて欲しいとせがまれて、彼女の家で生産しているさつま芋を大きな大きな風呂敷にしこたま詰め込まれたものを持たされたのだった。
農家とあらば、このさつま芋がこの家の人々の生活を支える大切な商品であり、食い扶持でもあるわけで……。
それをこんなにも沢山頂いてよいものだろうかと戸惑ったが、娘の命を救ってくれた事は何にも変え難い大恩であるからと、是非受け取って欲しいと言われ、そこまで仰るならと頂いて帰った次第だった。

頂いたはいいものの、私も無一郎くんもさつま芋は食べるけれど大好物と言うわけではない。
大根であったなら、ふろふき大根で消費可能であったかもしれないが……。
そんな時だった。私の脳内にふと、ある人物の顔が浮かんだのは。脳内で“わっしょい!”と大声を上げたのだ。

「杏寿郎さ、……煉獄さん!」

いけない、いけない。まだ旅館潜入時の癖が抜け切っていない。

しかしながらこの大量のさつま芋のお裾分け口を見つけた私は、小走りで目的地へと向かう。
炎柱、煉獄杏寿郎その人の住う炎柱邸を目指して。

「なまえ!」

辿り着いた炎柱邸の門前で弾んだ息を整えていると、不意に溌剌とした声が私を呼ぶ。
弾かれた様にその声の方向へと顔を向けると、今し方任務を終えて戻って来たらしい煉獄さんが門前に佇む私に気が付いて声をかけてくれた様だった。

「煉獄さん! お久しぶりです。任務帰りですか? お疲れ様です」
「久しいな、なまえ。君も元気そうで何よりだ! ああ、今し方戻ったばかりだが……その大荷物はどうした? よもや、時透と喧嘩でもして霞柱邸を飛び出して来たのか?」
「え!? ち、違いますよ! 無一郎くんとは、仲良しです! ……警備地区の巡回に置いていかれてちょっと拗ねてはいますけど」
「ははは! 冗談だ。それにしても君はよく時透から置いてけぼりを食うのだな」
「うう……それは、その、――っ、」

言い淀む私の頭を豪快に撫でて、相変わらずだと快活に笑い飛ばしてくれる煉獄さんに、私の心は軽くなる。
口には出さないが、本当、彼は太陽みたいな人だなと毎度の様に思う。
私の中で無一郎くんが月ならば、煉獄さんは太陽といったところだ。

「して、今日は俺に何か用があって訪ねて来たのだろう?」
「はい! 煉獄さんにこれをお渡ししたくて参りました!」
「む、その荷物は俺宛だったか」

背負った風呂敷を下ろそうとする私に、煉獄さんは屋敷の中へ入るよう促す。

「わざわざ届けさせてすまなかったな。ついでと言ってはなんだが茶でも飲んでいってくれ」
「い、いいえ! 直ぐお暇しますから! それに勝手に訪ねたのは私ですし……」
「いや、俺が君と茶を飲みたいんだ。それでは君を引き留める理由にはならないだろうか?」

その言い方は正直、狡いと思う。
尊敬して止まない煉獄さんの誘いを断れるわけがないし、それに何より、掛けてくれる言葉がとても暖かくて、嬉しくて、堪らないのだもの。

私からその大きな風呂敷を受け取った煉獄さんは「これはなかなかの重量だな」と苦笑する。
その中身が彼の好物であるさつま芋(正確にはさつま芋の味噌汁らしいけれど)であったから、それはそれは喜んでくれたのだった。

そのままお言葉に甘えてお茶を頂いて、そこで素直に帰れば良かったものを……。
話の流れで稽古をつけてもらうことになり、汗をかいたから湯をもらって、そうこうしているうちに夕食時になったので夕食を頂いてしまって、気がつけば何故か私は炎柱邸の客室で、ふかふかのお布団の中にいた。

「……何で?」

済し崩しとはまさにこの事……なんと恐ろしい事だ。
ここまで流されてしまう私も私だけれど、ふと思ってしまった。
勿論、無一郎くんの継子である事に不満など一切無い。芥子粒程も無い。断言する。
けれど、考えてしまうのだ。煉獄さんの継子になっていればこんな日常を送るんだろうな……と。

無一郎くんは任務で屋敷には戻っていないだろうから、今日の事は黙っていればバレないだろう。
明日の早朝お暇させてもらおうと決めて、任務の疲れと煉獄さんの稽古でその日はすぐに眠ってしまった。
そんな甘い考えが、まさか翌日に大変な出来事を引き起こす事になろうとは知りもせず。

***

と、まあ。
そんなこんなで、言うまでもなく楽観的な考えが罷り通るわけがなく。御天道様は見ているので。
その事実は、早朝に炎柱邸を出るところを偶々通りかかった無一郎くんに見つかってしまったと言う落ちであったから、今こうしてゴミか何かを見る様な目で私は無一郎くんに見咎められているのである。

「む、無一郎くん……ごめんなさい」
「ごめんなさいって事は、僕に謝らなくちゃいけない様な事があったんだ? 煉獄さんとの間で」
「そ、そそそそんなわけ無いよ! 天地神明に誓って!」
「どうやって信用しろって言うの?」

無一郎くんはこれ以上ない程に怒っていた。こんなに怒っているのは私達の関係が継子兼恋人に変化してから初めての出来事かもしれない。
「もういいよ」と、吐き捨てて踵を返す無一郎くんの足に私は追い縋って引き止めるけれど、止まってくれる様子は一向になく、そのままズルズルと引き摺られる。
廊下の雑巾掛けが必要無いくらい私の隊服は埃を逃さない引き摺られ様だった。
無一郎くんの継子兼恋人兼モップと改名してもいいのではなかろうか。

「うわぁああ! 待って、待って待って! 無一郎くん誤解なの本当に……!」

しかし、私の“誤解”と言う言葉に反応を示したらしい無一郎くんは、ピタリと歩みを止めて口を開いた。

「誤解?」
「そ、そう! 誤解!」
「ふぅん……じゃあ、それを証明してよ。疑いを晴らして、僕を満足させてみて」
「え? ――わあっ!?」

廊下に面した空き部屋に私を抱えて入るなり、無一郎くんは対面になる様に膝の上に乗せた。
いつもは少し上にある茫洋とした瞳が、今は私をじっと見上げてくる。
見慣れないと言うだけで、こうも心臓が早鐘を打つのだもの。これから更に何かを要求されたら、私の心臓は盛大に爆ぜるだろう。

「口付けて。なまえから」
「え゛!?」
「何? 出来ないの?」
「で、出来ないと言いますか……その、あの、え? ええ?」

「“え?”じゃないよ。早くして」と、急かす無一郎くんはいつもの何を考えているのか窺い知れない表情をしているけれど、無表情だからこそ、その圧と言ったら無い。凄い。圧死させられそうでならない。
決して冗談を言っているわけでも、私をからかっているわけでもない事は、混乱を極める頭でも容易に理解出来た。

「わ、私の心臓が爆ぜるので……」
「そんなのどうだっていいよ」
「んな!?」

何と言う事だ。無一郎くんは恋人の心臓が爆ぜても構わないらしい。実に無慈悲だった。
けれど、無一郎くんをそうさせたのは、私の甘い考えと自覚の無さと至らなさであるので、彼の要求を跳ね除ける権利など端から与えられていないのだ。
情状酌量の余地を与えられているのだから、私の気持ちは無一郎くんから一ミリも逸れていない事を証明するなら今しかない。
私は腹を括って、無一郎くんの肩に手を置くと、そっと触れるだけの――けれど、私には精一杯の口付けを彼の唇へ落とした。

「ど、どう……でしょうか?」
「ナメてるの?」
「え゛!?」

自分から口付けるなんて高難度の行為である以上、私は触れるだけの口付けで精一杯だった。
しかし、無一郎くんと言ったらそんなものは口付けでも何でも無いと言って突っぱねる。言うなれば不合格。

「今まで、なまえは僕と何をしてきたわけ?」
「む、無一郎く……ふごご!?」

あろう事か、突如として無一郎くんの指が口内に突っ込まれた。
人差し指と中指――その二本の指は、遠慮なしに口内を蠢いて、舌に触れたかと思うと指の隙間に挟まれる。

苦しい。けれど指を噛むわけにもいかない。
何せその指は霞柱の大切な利き手の指であるから。
飲み込むことの叶わない唾液が唇の端からだらし無く溢れ出てしまう。

「ほら、ちゃんと思い出して。僕と口付ける時は舌を上手に使わなきゃだめでしょ?」
「んん、ふ、ぁ……っ、」

目尻には生理的な涙が滲んで、口内から漸く指を引き抜かれたかと思うと、頬を鷲掴まれて、そのまま唇を塞がれた。

「は、んぅ……んんっ、ふ……」
「っ、はぁ……」

指の代わりに差し込まれる舌が容赦無く口内を這いずって弄る。逃げ惑う私のそれを容易く絡め取り、吸い上げられて、ゾクゾクとした感覚が背筋を這い上がった。

「……なまえのくせに」
「む、いちろ……くん?」

深い口付けから解放されると、互いの舌を混ざり合った唾液が糸を引いて、プツリと切れた。
今度はこの身が軋む程に抱き竦められる。こんな抱きしめられ方をされたのは初めてであったから、私は困惑しながらも無一郎くんの背中に腕を回す。

「僕ばっかりが、好きみたい」

耳へ届いた言葉が、私の犯した罪の大きさを改めて実感させる様でいて、胸が堪らなく苦しくなった。

「ご、ごめん……ごめんね、無一郎くん」
「許さない」
「へえ!?」
「嘘だよ……でも、次は無いから。絶対。覚えておいて」
「き、肝に銘じます!!」

不貞腐れた様に吐き出された言葉達は、確かに私の胸に響いて、そして、それを一生涯忘れる事のない様、心に留め置いたのだった。

「あ、でも、無一郎くんだけが好きなんて、そんな事は絶対にないからね!!」
「分かってるよ。五月蝿いな」
「そ、そう?」

振り翳された年相応の独占欲に、今はうんと浸っていたいと思う。
この日から、私は無一郎くんとの任務で置いてけぼりを食う事はなくなったのである。
彼曰く「油断も隙も無いから」だそうだ。


20200603
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