「ねえ、錆兎。新しい部屋に引っ越してもう二週間が経つけど、いつになったら呼んでくれるの?」
「……」

昼休憩、大学の食堂にて向かいに座る真菰は、にっこりと笑いながら俺に問う。
にっこりとしていながらも、それはてんで笑っていなかった。
テーブルに肘をついて、顔の前で組んだ手の上に顎をのせている彼女の仕草と言ったら、何が何でも絶対に俺から事情を聞き出すまで退かないといった無言の重圧を放っている。
俺と言えば、その含みのある笑みを前に、口元を引攣らせる事しか出来なかった。
嘘は吐けない性分である。

おそらく彼女は何かしら勘付いているのだろう。
いや、気付いている。ほぼ確信している。
賢い彼女は、己が推察を確固たる確信に変える為、俺の機微からその紐付けとなる証拠を探っている……そんな感じといった所か。
真菰は、特にこういった類いの勘はよく働く。思い返せば昔から、彼女の前で隠し事など通用した試しがないく、甚だ無理な話なのだ。

「無言? 無言で遣り過す作戦なの? ねえ、錆兎」
「……い、今は詳しくは話せない。話せないが、その時が来れば必ず話す」
「何それ。もしかして女の子でも連れ込んでる?」
「そんな訳ないだろう!」

思わず大きな声で否定した。
状況で言えば、それは限りなく近いわけだが。女を連れ込むのではなく、俺が転がり込んでいる。
もしもそんな事が真菰に知られれば、それは即ち鱗滝さんに知られたも同義。全て筒抜けになる。
俺と真菰は鱗滝さんの元で育ったからだ。彼女もまた、俺と同じ孤児だった。
そして、彼女は今も家を出ず、鱗滝さんの元で一緒に暮らしている。

「……鱗滝さんにはちゃんと連絡を入れてある。心配はいらない」
「それは知ってるよ。鱗滝さんが言ってたもの。でも何か怪しいのよね、例えばそのお弁当とか。美味しそうだね」
「これは、節約も兼ねて作っただけだ」

正確には、節約兼なまえの栄養管理であるが。
節約という面もあるのは確かなので、嘘は言っていない。本当だ。

「ふーん」と、尚も疑いの目で弁当と俺を交互に見やる真菰に、誤魔化しの限界を感じた俺は、横に座って一人黙々と食事をとる義勇へ助けを求めるように視線を投げた。
それに気付いたらしい義勇は、食べていた物を嚥下して、いつも通り落ち着いた声音で言う。

「俺は、錆兎がそう言うなら信じる」
「義勇……!」
「えー!? 絶対怪しいよ」
「だが、時期が来れば話すと言ったんだ。俺は待つ」
「義勇は真面目だよね。真面目で純粋」
「流石義勇だ。分かってくれて俺は嬉しい!」

ムフフと笑いながら「当然だ」と頷く義勇に心底救われた。
真菰と言えば、納得行かずといった様子で未だに疑いの眼差しを俺に向けたままだった。
とは言え、いつまでもこの状況を誤魔化せる訳でもなし……ただ、今はなまえが気掛かりだというだけであの部屋に住んでいる。
だからと言って次の部屋を全く探していないわけじゃない。
ただ、現状、助かっているのもまた事実。家賃を免除して貰っているかわりに、仕事で多忙な彼女に代わって比較的時間に融通が利く俺が家事をこなすという条件付きでもあるので、完全に転がり込んだ紐男とまではいかない。正直今の生活はウィンウィンだったりもする。
だが、前述の通りいつまでも居座るつもりはない。近いうちに引っ越すつもりではいるので、どちらにせよもう少しの辛抱だ。
真菰の尋問に耐えるのも、なまえの世話も。

つくづく思う。俺には、隠し立てなど向いていない。

* * *

真菰の尋問と大学の講義、その後に金曜日の夜の飲食店バイトのトリプルパンチのお陰で、帰宅した時には疲労困憊だった。
こんなにも一日が長く感じられたのは久方振りだと思う。
なまえが野菜たっぷりのスープが飲みたいと言っていたので、朝のうちに夕食を作っておいて良かったと心底思う。とてもじゃ無いが、今から夕食を作る元気は無い。
風呂に入って疲れを癒し、布団でゆっくり眠りたい。
――が、現実はそんなに甘くはなかった。
普通であれば、それは叶って当たり前の幸福であれど、同居人が誰であるかを忘れた俺じゃ無い。

同居する事が決まった翌朝に彼女から貰った合鍵。
キーケースから部屋の合鍵を選んで解錠し、部屋に入ると、俺はまた大きな溜め息を吐くのだった。

何なんだこれは。嫌がらせか。

「はぁ……これは俺をおびき寄せる為の罠か何かか?」

それはまるで俺を目的地へと誘導するかの様に、玄関からリビングに向かって辿るように一つ、また一つと彼女の抜け殻が等間隔に脱ぎ捨てられている。
脱ぎ散らかったパンプスを揃え、廊下に無造作に置かれた鞄、次いでコート、上着、スカート、フリルのブラウス……。
それらを一つずつ拾い上げながら進み、開けっ放しになったリビングのドアを抜けた先――全ての衣類を回収し、辿り着いた先はソファーだった。
ソファーの端から栗毛色の髪が溢れているのを視界に捉え、俺は説教の文言を口にす準備を整えながら、ドカドカとフローリングを踏み鳴らして近付くが、彼女はピクリとも動かない。
「いい加減にしろ、だらし無い!」そう喝破しようとして、しかし、俺はソファーで寝転ぶ彼女の姿を見るなり、固まった。
先程までの勢いは一瞬で消沈してしまい、ただただ呆気に取られる。
そして、なまえの姿を今一度認識するなり、堪らず赤面する。

「……っ、」

腹を立てたり、驚いたり、赤面したり、忙しい俺だった。

それにしても彼女の姿と言ったら、見覚えのあるパーカーを着込み、それこそ猫のように身を丸めてスヤスヤと寝息を立てている。
見覚えしかない。だってそれは俺のパーカーだったのだ。
そういえば今朝、部屋着のパーカーをソファーの背凭れに掛けて家を出た。
俺が余裕をもってゆったりと着れるぐらいの大きさのソレは、小柄な体躯であるなまえをスッポリと包み込んでいる。
袖に関しては指先すら覗いていない。しかしながら、際どい角度で裾からスラリと伸びた脚に思わず釘付けになってしまった。

その姿は二十歳の健全な男子には刺激が強過ぎる。

そして俺は今更ながらに思い出す。
脱皮した彼女の抜け殻一式を回収した中に“スカート”が含まれていた事に。
スカート……スカート……。
つまりはそういう事だ。際どいパーカーの裾の中身とは。

「恥を知れ!!」

すぐ様着ていたジャンパーを脱ぐと、手荒く魅惑的なそれへと覆い被せた。
よくやった!それでこそ男だ!
そんな言葉を自分自身に掛けながら。

そして、盛大な溜め息を吐きながらその場に座り込むと、ガシガシと乱暴に頭を掻いた。危なかった。
きっと、彼女が俺のパーカーを着込んだ事に他意は無い。
脱皮して、ソファーで力尽きた先に俺のパーカーがあって、肌寒いから着込んだ。差し詰めそんなところだ。
最近残業続きであったから、相当疲れが溜まっていたのだろうけれど、それにしたって俺が帰って来た後の事を想定しなかったのだろうか?
無防備すぎる……。

起きたら説教だな……と心に決めて、俺の葛藤など気にも留めず呑気に寝息を立てるなまえを抱き上げた。
横抱きにして寝室へ入ると、ベッドへそっと横たえる。
とてもじゃないが、パーカーの下が霰もない姿であろう彼女の着替えは到底不可能なので、仕方なしにパーカーを着せたままベッドへ寝かせた。

風邪を引かない様に布団を掛けてやる。
彼女の抜け殻回収から運搬まで一通りの役目を終えた俺は「おやすみ」と、眠るなまえに声を掛けて背を向ける。
しかし、一歩踏み出した所で、それは叶わなかった。
不意に俺の身体は背後へ傾く。
何事かと振り向けば、なまえの手が俺の服の裾を掴んでいた。しかも、何故かしかめっ面で。

「……」

その手を振り解こうと思えば容易いが、俺は敢えてそうはしなかった。
ただ単に、そうしたく無かったのかもしれない。

眠る彼女に促されるがまま端へ腰を降ろすと、ギシッと小さくベッドが軋む。
先程までのしかめっ面は、あどけない寝顔へと変わっていて、その様に俺は自然と笑みが零れた。
眠りながらも意思表示は忘れないなまえである。

「全く……お前は世話がやけるな、本当に」

――本当に、俺はどうしてこうも彼女を放っておけ無いのか。

目に掛かる鬱陶しそうな前髪を避けてやると、その下から覗いた傷痕に双眸を見開く。
そして、不意に思い出すのは彼女の言葉。

『何処かで会ったこと……無い?』

「……」

その額の傷痕は真新しくはなく、傷を負って大分時間が経った古いものの様に感じる。
傷痕に指を這わせながら思いを巡らせる。
俺は、本当に知らないのか?彼女を。


『……グスッ、……傷、残っちゃうかもって……どうしよう』
『心配するな! キズが残ったって大丈夫だ。その時は、俺がもらってやる! 約束だ』

「……!」

今のは一体何だ。
昔の会話?誰と誰の?
これは、何だったのだろうか。酷く懐かしい。

「俺は……お前を知っているのか?」

顔も名前も、知っていたのか?
一瞬頭を過ぎった誰のものとも知れない会話に、再び彼女の寝顔を見る。
そして、僅かに蘇る記憶の断片が、彼女と俺を紐付けている様な気がした。


20200213
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