保留とは、一体どう言う意味だ?

「あらら? どうされたんですか冨岡さん。立派な紅葉がほっぺたに」

「さっき、なまえさんの声がしてませんでした?」と、門前での揉め事を聞きつけた胡蝶が背後からひょっこり顔を出す。
俺の頬にはなまえが叩きつけた掌の型がくっきりと浮かんでいて、揶揄うような物言いをする胡蝶を一瞥し、なまえが駆け出した方向をじっと見つめた。
引き際を見極められず、あの後更に求めた事がよくなかったらしい。執拗に迫り過ぎたみたいだ。
あわよくば……なんて愚かしい欲は、彼女の女性離れした腕力から繰り出された平打ちによって完膚なきまでに叩きのめされた訳だが。

「胡蝶、自分に好意を寄せる男に向かって“保留”だと告げる真意は何だ?」
「どう言う事です?」
「……いや、いい。何でも無い」
「そこまで言っておいて、それは無いんじゃありません? ねえ、冨岡さん」
「……」
「冨岡さん一人で悩んでいても、一生女心なんて理解出来ないですよ?」
「……」
「知りたく無いんですか? 女心。ねえ、冨岡さん。冨岡さーん」

ツンツンツンツン。
胡蝶は相変わらずの笑みを浮かべながら、傍に立つ俺の腕を人差し指で何度も突きながら言う。

知りたくは無いのか、だと?
そんなもの知りたいに決まっている。
それによっては俺の希望的観測も、今後の身の振り方まで変わってくるのだから。
そこに僅かでも可能性が存在すると言うのなら、俺は何を差し置いても全力で掴み取りに行く。

「……手短に頼む」
「そうそう、初めから素直になっておくのが身の為ですよ? なまえさんの本心がどれに当て嵌まるのかは分かりませんが、でも大体女性が告白の返事を先延ばしにするのは似たり寄ったりな理由だと思うんですよねぇ」
「ちょっと待て」
「はい?」
「何故、なまえだと分かった?」
「……あれだけ二人で騒いでいたら嫌でも分かりますよ。とにかく、無理矢理に口付けを迫る男なんて論外ですけれど」
「!?」

きっとこれから俺は己のしでかした事を、何があろうと終始笑顔を貫く彼女にこっ酷く罵られ、抉られる事だろう。
覚悟だけはしておこう。

***

“極端に言えば、自分の都合のいい様に留めておきたいか、あるいは今後その可能性があるかもしれないからの二つじゃ無いですか?”

蝶屋敷からの帰り道、俺は胡蝶の言葉を反芻しながら町の往来を行く。

都合の良い男か、本命になり得る可能性を秘めた男。
それは同じ保留でも大きな大きな差がある。
俺は彼女にとってどちらだ?

今までは、間違いなく前者であった様に思う。
困った時に呼び出されて、彼女の泣き言を延々と聞いていた。
別にそれは嫌では無かったし、ただ、懲りない奴だと思って耳を傾けていたのだ。
それが、いつしか俺を選べば良いのにと思うようになっていた。
きっかけなんて分からない。気が付けばそうだった。
失恋する度にボロボロになって、それでも恋する事をやめず、全身全霊でぶつかるなまえは眩しくもあったけれど。

明日も知れない環境に身を置く者として、そんな事に現を抜かして何の意味があるのかと思ったものだったが、けれど彼女は怪訝な顔をする俺にあっけらかんと答えたのだ。

“自分の生きる理由になるじゃん! 大切な人がいるって事は、絶対に死ぬもんか。生きてその人の元に帰るんだって思えるもの”

その言葉に、はたと気付かされたような気がした。
彼女は鬼に家族を殺されているからこそ、生きる理由を探した先に生涯添い遂げる男性を求めている。
失った家族の分まで生きて、幸せになる。彼女自身が幸せに暮らす……それが家族の供養になるのだと。
そんなものは一種の逃げではないかと捻た見方をしていた時もあったが、しかし、それは俺が彼女に選ばれないと気が付いた時に焦燥から湧く感情であったのだと知った。

もしも俺が、なまえの生きる理由に成り得たと言うなら。
全てが終わり、彼女と添い遂げる唯一になれるのならば――嗚呼、これ以上の幸福はない。

俺は、馳せる思いを自己完結させ、己の望みを改めて認識したところで、探し求めていた後姿を視界に捉えた。
そう、なまえの姿だ。

「なまえ」
「うわっ! ちょ、何でまた居るの!? まさか、まだ何かしようって言うんじゃ……」
「胡蝶から預かった」
「え?」
「腹を壊していたんだろう? 事情を話せば、これをお前に渡せと言われた」

なまえは、何故か俺を見るなり身構えた。
そこまであから様に警戒されたのでは、何もしようがない。
俺は彼女を追いかけた理由が邪なものでは無かった事を、懐から取り出した胃薬をもって証明したのだった。

決して、まだ何かしでかそうと言うわけではない。許しを得られるのなら満更でもないが。
兎に角、これ以上は紅葉狩りが出来そうな面になるのは御免被る。

すっかり警戒心を解いた彼女は、よほど腹が痛んでいたのかその薬を嬉しそうに受け取った。

「態々ありがとう、義勇」と笑むなまえに、俺の胸はじわりと暖かくなった。
その笑みを目の当たりにすると、改めて彼女へ抱く思いを知る。触れたいと、手を伸ばしそうになる。

「それじゃあ、私これから任務だから。またね」
「ああ」

また今度。そんな機会があるのなら、今度こそ俺はお前の口から何かしらの期待に満ちた言葉が聞けるだろうか?
踵を返すなまえの小さな背を見つめながら、思う。

すると、急になまえはその歩みを止めた。
ピタリと立ち止まって、何処か一点を眺めているようにも見て取れる。

背後からでも分かるその違和感に、何かあったのかと彼女の元まで歩み寄れば、先程俺に見せた笑顔はすっかり萎れていた。
視線の先には、言葉を交わしながら寄り添うようにして歩く仲睦まじい男女の姿。

俺はその男に見覚えがあった。
俺がそうであるのだから、彼女にしてみたら見覚えがあるなんてものじゃない。
なにせ、彼女が先日団子を自棄食いする羽目になった原因があの男であったのだから。

「はは、何だ……もう、そう言う人が居たんだなぁ」
「……」

なまえは、ポツリと呟いた。
真っ直ぐに二人の姿を見つめている。本当は逸らしたくて堪らないだろうに。

「そうだ、義勇。私が振られた理由話したっけ?」
「いや」
「……私さぁ、振られた日に彼と会ってたんだよね。その時、酔っ払いに絡まれちゃってさぁ。あまりにも理不尽な理由で彼に掴み掛かって来たから、いつもの調子でその酔っ払いをのしちゃって」

「ほら、私鍛えられてるからさ! 酔っ払いの腕を捻り上げて撃退しちゃったんだよねぇ」と自嘲する。

「そりゃ、嫌だよね。自分より腕っ節の強い女なんてさ。うんうん、しょうがない。でもさ、これでスッキリしたか、ら――」

これ以上、見ていられなかった。
強がって笑う表情も、気丈に振る舞う姿も、気持ちを紛らわすように吐き出す言葉の数々も。
俺は、背後から彼女の目元を手でそっと覆い隠す。
そして、そのまま引き寄せた華奢な身体を腕の中に閉じ込めた。

どうしてやるのが正解で、彼女が何を求めていたのか分からなかったが、それでも俺は彼女をその光景から引き離してやる事しか出来ない。

「もう見なくていい」
「ちょ、義勇……!?」
「お前を見限った男など、相手にするな」

お前の魅力に気付けもしない、何処の馬の骨とも知れないような男は放っておけばいい。
そんな奴にいつまでもお前を、その心を取られたままで堪るか。

「さっさと忘れてしまえ――」
「ぎ、ゆ……っ、」

そして、俺を選べ。
そうすれば、悲しみも、苦しみも。お前を傷付け、阻む全てのものからお前を守ると誓う。

此処が町の往来で、彼女の視線の先には元恋人がいる。
そんな状況で、それでも俺は抑えが利かなかったのだ。
細い顎を捕まえて上向かせると、そのまま薄く色付いた柔らかな唇へ己のそれを重ね合わせた。

一度目も二度目も。そして三度目の口付けも一方的であったけれど、唇を重ねる度になまえを欲する気持ちは強くなるばかりだった。
今はまだ、放心して此方を見上げるだけのその呆気にとられた表情が、赤く染まって花開く瞬間を俺はいつまでも待っていよう。

「……な、」
「なまえ、いい加減目は閉じたらどうだ?」
「最低ー!!」

20200704(20230626 加筆修正)
「#甘甘」のBL小説を読む
BL小説 BLove
×
- ナノ -