「んんー! この“鱚”の天婦羅とっても美味しい!」
「ブフォッ!? ……ゴホッ、ゲホッ!」
「きゃぁああっ! なまえちゃん、大丈夫……!?」

“キス”
その言葉に思わず噎せてしまった。
甲斐甲斐しく私の背を摩りながらお茶を差し出してくれる蜜璃ちゃんに「ありがとう」と尚も気管に入った米粒に噎せながら、やっとの思いで礼を告げる事が出来た。
こうもあからさまな反応を見せてしまうとは……思春期真っ只中の少女でもあるまいに。
それもこれも、全ては先日の不意打ちにも程があるあの“キス”のせいである。

冨岡義勇、許すまじ。

「……ごちそうさまでした」
「え!? もう食べないの? 食欲がないなんて……何か悩み事?」
「悩み事って言うか……死活問題というか……」
「ええ!? 生きるか死ぬかの問題なの!? ……そ、それは大問題だわ」

思い出しただけでも卒倒しそうになる。
あわあわと取り乱す蜜璃ちゃんを他所に思いを巡らせた。

あの日はいつものように失恋をして、いつものように義勇を呼び出して、いつものように愚痴を聞いてもらった。
そこまでは良かったのだ。私が望んだ通り、いつも通りの私達の展開であって、そしてその日もそれで終わりだと思っていたのだから。
寧ろ私はそれを望んでいたし、そうある事が当たり前だと信じて疑わなかった。
しかし、それが私だけであったという事実を突き付けられた時、それはただの絶望と化すわけで……。

『なまえ、俺を選べ』

その言葉は憎たらしく今もこうして私に纏わり付いて、意識を絡め取っている。

その後、当然私が彼の言葉にイエスと答えるわけがなく、冗談はよせやい!と、えへらえへらと笑いながら彼の気持ちを突っ撥ねたところ(今思えば最低だが)、あろう事か義勇はいつもの感情の読めない表情のまま迫り来て、その日二度目となる口付けをかましてくれた。
何が気に食わなかったのか、しかも二度目は舌まで突っ込んでくるものだから、動揺と混乱を極める私はただただ『わー!』だの『ぎゃー!』だの叫び散らして彼を突き飛ばし、長椅子から転げ落ちた隙に全力疾走でその場から逃走した。

詰まるところ、彼の告白(のような何か)をほっぽって、唇がタラコになるまで羽織の袖で何度も何度も擦りながら逃げ出したのだった。

ほらね?死活問題でしょう?

少なくとも私は今までの距離感が心地よかった。
あのままが良かった。
男女であれど、何でも打ち明けられる同期で、他愛無い会話が出来る心地良い間柄。
お互いの良い所も悪い所も丸っと認め合える砕けたこの関係が丁度良かった。

けれど、それが私だけであったのだと知った時の衝撃たるや。
先日のあれは冗談ではなかった……と、思う。冗談であれば、どれだけ良かっただろう。
だからこそ私は戯けて見せたわけだけれど、却ってそれは彼に失礼だったのでは無いかと今更ながらにジワジワと後悔の念が込み上げてきているのも事実だった。

何度も失恋を繰り返してきた私だからこそ知っている筈なのに。
自分の想いを無下にされた時の気持ちを、痛いほど理解出来るのに。

丼の半分程残ったご飯をぼんやりと眺めながら悔恨の念に浸っていたってどうなる訳でも無い。
様子の可笑しな私を気遣ってくれる蜜璃ちゃんだったが、彼女の鎹鴉が任務を告げたものだから、蜜璃ちゃんはとても申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「ご、ごめんね……なまえちゃん。私、任務が入っちゃったみたいで行かなくちゃ」
「あ……全然大丈夫。こっちこそごめんね、気を使わせちゃって」
「ううん、気にしないで。今度、絶対話を聞くからね!」
「うん、ありがとう。任務頑張って」

歳が近いせいか、蜜璃ちゃんには何でも相談してしまう。
歳だけではない。私は彼女の飾らない明るさと笑顔が大好きだから、つい話を聞いて欲しいと思ってしまうのだ。

お店の人には申し訳ないけれど、私の胃腸がストレスからキリキリと痛んでこれ以上の食事を拒んでしまう。
完食出来ずに、勘定を済ませて店を出た私は、これからどうしようかと途方に暮れた。
こんな時に限って私の鴉は鳴かないのだから。
此処で長期の任務でも舞い込めば気が紛れるのに。
一方的な私情で任務をこなそうなどと、そうは問屋が卸さない。
視界の端に小間物屋が映ったけれど、失恋したての私にはお洒落をしたところで誰に見せる事もない。

「あだだだ……!」

またしても強く胃腸が痛んで、腹を抱えて背を丸める。
このままでは胃に穴が開く。その前に胃薬を貰おうと、私は蝶屋敷へ向けて歩き出したのだった。

***

やっとの思いで辿り着いた蝶屋敷の門前にて、よりにもよって今一番顔を合わせたく人物と鉢合わせる羽目になろうとは。

「……」
「うげ」

深い深い海の底のような、美しい色をした濃紺の瞳が私を正面から捉えていた。
相変わらずの能面っぷりに、まるで私だけが先日の事を意識してしまっているように感じられ、居た堪れなくなってしまう。

「腹でも壊したのか?」
「い、色んな意味でお腹が痛いから、胃薬を貰いにきたの……」
「そうか」

“そうか”じゃない。
十中八九アンタのせいだよ!とは言い出せずに、外方を向いた。

「そっちは? 怪我でもしたの?」
「いや。軟膏を切らしていた」
「あっそ」

相変わらず正面から刺さるような視線を感じるが、私は顔を逸らしたままだ。
だから、気付けなかった。
徐に伸ばされた義勇の手が、私の頬へ添えられる瞬間まで。

「ひっ! ……な、なな何!?」
「返事をまだ聞いていない」
「な、何の?」
「惚けるな。先日伝えたろう?」

何でもかんでも彼は唐突すぎる。
どうして軟膏を切らしたくだりから告白の返事の催促へと話題が発展するのか甚だ疑問だった。
しかし、それは存分に私を悩ませてやまないストレスの権化であって、此処を訪れた最大の理由である。
おいそれと返事など出来るわけがない。

「あー……えっと、その事なんだけど、正直よく分かんなくて……」
「……」

甘味処で手を握られた映像が脳内に流れ込んで来て、思わず頬に添えられた手を払う。
義勇は、ピクリと僅かながらに眉を潜めた。

「だ、だって……私は失恋したばっかりなんだよ? 気持ちの整理だってついてない状況だったし……」
「それは、まだあの男を好いているという事か?」
「へ? いや、そういう意味じゃないけど……」
「なら、何故頷かない」
「……うん?」

いや、私は失恋の傷が癒えていないと言ったばかりだ。
それはつまり、次の恋云々に踏み出す準備が出来ていないと私は主張しているのだ。

「聞こえなかったか? 俺を選べと言っている」
「は?」
「あれでは足りないというのなら、今一度その身に教えてやるが?」
「はい!?」

ジリジリと一進一退する私達の距離も、遂には私の背後が行き詰まってしまって、家の外壁と迫り来る義勇との間に挟まれてしまった。
つまりは、これ以上私に逃げ道は無い。

今思えば、途中から何やら会話の雲行きが怪しかった。
一方通行な会話であったし、彼にしては珍しく捲し立てるような口振りだった。
もっとも、私が彼の手を払った辺りから、事は既に起こっていたのかもしれないが。

「ちょ、ちょっと待ったー!」
「……」

声を張り上げて静止を促せば、不承不承、義勇はそれを不服そうな顔で聞き入れた。
声を上げただけではない。その整った美しい顔面を手で無理矢理押さえ付けて物理的に拒んだと言っていい。

仕方がなかったのだ。
二度も奪われたこの唇を、三度も許してなるものか。

「あ、あのね? よく聞いて……私、――ぎゃあああ! な、なな舐めた!!」
「俺は、お前が欲しい」
「っ! ……な、何言って」
「お前が欲しい」
「だから、何で二回言うの!?」

相変わらずマイペースで、意思の疎通が叶わない。会話が成立しない。
黙っていればこんなにも美丈夫であるのに。そんな彼に“欲しい”だなんて、面と向かって迫られて頷か無い女性なんてきっと、私ぐらいなもんだろう。
だから、私は堂々と言って退けたのだ。

義勇はきっとこう思ったに違いない。
――この後に及んで世迷言を、と。

「一旦保留で!」
「……(それは一体どう言う意味なんだ?)」

こんな状況でも突き放せなかった私は狡いだろうか?


20200702(20230626加筆修正)
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