冨岡義勇を好いている。

そんなものはとうに分かりきっていた事なのに、受け入れるまでに随分と時間を要してしまった。
気付けばいつだって私の傍にいて、不器用ながらに寄り添い、飽くまでくだらない愚痴に付き合ってくれていたのは他でもない義勇だ。

どうして気付く事が出来なかったのだろう?
目を逸らし続けてしまったのだろう?
恋は盲目というけれど、盲目なのは恋などではなく私だったのだ。
何も見ようとしなかったのは、私自身。

しかしながら気付けば解決、認めれば終わりというものでもない。
むしろ、ここからが本番だと言っていい。
何故なら、彼からの重すぎる愛情を一身に受ける私にはやるべき事が残されている。
腑に落ちたのならば、きちんと言葉にして伝えなければならない。
私も貴方と同じ気持ちだと、愛しているのだと伝える義務が残されている。

――私も好き。

そのたった一言を伝えればいい。
けれど、あれだけ義勇を袖にしてきた私にとって、この一言はあまりにも重い。
視線や態度、喋り口調でどうにか伝わりはしないものか……なんて、この期に及んでそんな事を思ってしまう往生際の悪さといったら、筋金入りであるらしい。

この難儀な性分に頭を抱えて早ひと月……さて、どうしたものだろう?
顔が見たいけれど、見たくない。
会いたいけれど、会いたくない。
そんなどうしようもない事ばかりを考えている。

***

どうしたものだろうと言ったところで、どうにかなるものでもなければ、今はそんな事に頭を悩ませている場合でもない。

あれだけ長々と本心を披瀝しておいて、市街地の裏路地に身を潜める私は、闇夜に身を溶かし人を喰らわんとする鬼の首を獲るべく絶賛待機中だ。

どんなに気を揉んだところで、それとこれとは無関係。色恋と鬼殺は別問題なのである。
正直、ここひと月色恋ばかりに気を取られていたのもあって、任務は気を紛らわせるのに打って付けだった。

そして、その瞬間は唐突にやってくる。
「うわああああ!」と、耳をつんざく叫びが一帯に響き渡る。

弾かれたように物陰から飛び出し、直ちに声のする方へと駆け出す。
駆けつけた先で広がっていたのは、成人男性が今にも鬼に食われんとする光景だった。
腰を抜かし、この世の物ならざる異形を見上げる表情は恐怖に塗れ、青ざめている。

「(なんとか間に合って……!)」

獲物を仕留めんとして振りかざされた鈍い爪が暗闇で鈍く光るのを視界に捉え、渾身の一撃を繰り出した。

【水の呼吸肆ノ型 打ち潮】

鬼の爪が男性の皮膚を裂く寸前、その腕を切り落とす。
ぼとりと両断された腕が地面に落下するのと同時に血がしぶき、鬼の意識は瞬時に獲物の男性ではなく私へ向けられた。

「……あ゛?」
「私の目の前で絶対に人は食わせない」
「女の鬼狩りかぁ?」
「女だからってナメないでくれる? あんたの首は今夜ここで落とすから、覚悟して」

筋骨隆々に加え優に二メートルはありそうな大柄な体躯をした鬼は、腕を落とされても特に痛がる様子もなく私を見下ろしている。
――“獲物”。鬼の目に私はそう映っているようだ。

切り落とした腕が再生する様を視界に捉え、息を呑む。
あの手に捕まれば一溜りもない。
骨を砕かれ、肉は紙切れの如く裂かれ、頭なんて簡単に潰される。
大柄な鬼にとって、私の息の根を止める事など容易いだろう。

兎にも角にも、最優先事項は鬼の背後で腰を抜かし声にならない声を漏らす男性の救助。
まともに正面から突っ込むなんて愚行はしない。
幸い、あの図体であるから素早さは私の方が優っているだろう。

ぐっと足に力を込め、その力を解放するのと同時に地面を蹴る。
一足飛びで鬼の腕が届くギリギリの範囲まで距離を詰め、腕が振り下ろされる瞬間、今度は民家の堀に向かって地を蹴った。

振り下ろされた腕は私を叩き潰す事なく空を切り、土埃を巻き上げて地面を突く。
宙を翻り、鬼の背後に降り立つと、無事に男性を救出する事が出来た。

「お怪我は?」
「……あ、いや」
「大丈夫。絶対に貴方を守ります。だから、私から離れないで」

背に庇いながら呼びかけるが、視線は鬼から外さない。
瞬き一つのうちに戦況がひっくり返る事などざらにある。夜は、奴ら鬼の領分なのだから。

男性を助け出せたからといって終わりではない。鬼の首を切るまでは、何も終わってなどいないのだ。

一層気を引き締め、刀を構え直した時、耳に届いた言葉に思考が停止した。
迂闊にも、意識を眼前の鬼から背に庇う男性に注いでしまう。
それ程の理由が……そうせざるを得なかった衝撃が私を襲ったのだ。

「なまえ……?」
「へ?」

恐る恐る窺うように私の名を呼ぶ声は、酷く懐かしい響きをしていた。
何もかもが特別に感じられていた“あの頃”。今ではもう忘れてしまったはずのあの感覚。あの感情。

――嗚呼、なんで今更。

遠い日の記憶として葬られた日々へと否応にも引き戻される。有り有りと、思い出させる。

振り向こうとした瞬間、地面を擦る音が耳に届き、はたとする。
あれほど気をそぞろにしてはならないと言い聞かせていたにもかかわらず。
それこそ瞬きひとつの内に戦況は逆転してしまう。一瞬の隙を付かれ、鬼の攻撃が目前に迫っていた。

「っ!」

男性を背後に思い切り突き飛ばす。
「うぐっ」と呻く声が鼓膜を揺らすが、生憎と今は彼に意識を割いている余裕は無かった。
間一髪、身を捩ったところで地面を揺るがす衝撃と共に頬を掠めた鋭利な爪が皮膚を裂く。

チリリと焼けるような痛みが頬に走り、拭った手の甲には鮮血が掠れた。

まさに油断大敵。
あと一秒反応が遅れていたら、首をはねられていたのは私の方だった。
色々と整理したい事柄があるが、今は目の前の鬼に集中しなければ。

今一度、己を奮い立たせる。

一対一で対峙しているわけではない以上、長引かせると戦況はこちらが不利になるのは明らかだ。
私には同じ水の呼吸を扱う義勇のような技量は無い。
ならば、持ち得る力を奮い全力で立ち向かうまで。

【水の呼吸参ノ型 流流舞い】

再び繰り出される鬼の攻撃を躱しながら距離を詰める――そして、最後に振るった一太刀で鬼の首は胴と泣き別れ、放物線を描きながら宙を舞った。

声にならない声で喚き散らしながら灰燼に帰す様をしかと見届けて納刀すると、踵をかえす。
今ではほの苦く、懐かしい記憶の一部となった――憎からず思っていた、昔の男の元へ。

「なまえ……」
「ええっと……久し振り、だね」

***

「その量で足りるのか?」

どこからともなく聞こえた平坦な声は、私を感傷に浸る時間すら、ろくに与えてくれないらしい。
昨晩、ようやく思い出に変える事が出来た昔の恋に、思いを馳せる暇もないのだから。

「あのさ、勝手に人を食いしん坊呼ばわりするのやめてくれない?」

大通りに面した茶屋の長椅子に座り、団子を貪る私の視線の先には、言わずもがな何処から湧いて出たのか知れない義勇の姿があった。
本当にいつもいつも、どういうわけか顔を合わせたくないと思う時に限って出会してしまうのだから困りものだ。

先程の指摘通り、彼の視線は私の手元に注がれている。
恋に破れる度に義勇を呼び出して、いつも大量の皿を傍に積み上げているので、義勇の目には異様に映るのかも知れない。
私は別に大食いでも何でも無い。むしろこれが普通だ。

「お前はいつも顔を合わせる度に大量の団子を食べていた」
「いや、あれは失恋からくるやけ食いだったからで……。そう言う義勇だって神出鬼没じゃん」
「俺は神出鬼没じゃない」
「あー、はいはい。どうせ“此処は俺の管轄地域だ”でしょ?」

スン……と涼しい顔をして、感情の伴わない静かな口調で言う。我ながらそっくりだ。

「……相変わらず似ていないな」
「いや、似てるでしょ。このスンとした顔とか、平坦な口調とか」

どこからどう見ても似てるでしょ。

渾身の物真似をバッサリと切り捨てて、義勇はさも当然のように長椅子に腰掛ける。
私と義勇の間を遮るように置かれた皿にはあと二本団子が残っていて、「……ん」と皿を寄せれば「ああ」と短く返ってくるだけ。

普段から別段話が弾むわけでもない私達だけれど、この空気感は不思議と嫌ではなかった。
気まずさの伴う沈黙ですら、義勇との間でなら心地の良さの一つに数えられてしまうのだから不思議なものだ。

団子に齧り付こうとした時、不意に義勇の指が頬をなぞる。
正確には頬に出来た切創を。
出血は止まったものの、如何せん昨晩出来たばかりの傷とあって、指が触れればまだ僅かに痛みが伴う。

「っ、」
「痛むのか?」
「ううん、平気。昨晩出来たばかりの傷だから、多少ヒリヒリする程度かな」
「そうか」

傷口を撫でた指先があまりに優しげであったから――だから、伝える必要のない事まで口にしてしまったのだと思う。

「昨晩ね、昔の恋人と久し振りに顔を合わせたんだ」

何の因果か、奇しくもその彼に振られたせいで私は義勇の気持ちを知る羽目になったのだけれど。
その時もこの長椅子に座って大量の団子をやけ食いしながら義勇に愚痴を聞いてもらっていた。

「顔を合わせたって言っても任務で鬼から助けただけなんだけどね。それにしても偶然ってあるんだなぁって驚いちゃったよ……ははは」
「それで、顔を合わせた結果がその体たらくか?」
「へ?」
「乙が聞いて呆れる。形無しだな」
「……あの、義勇?」

そこまで言う?
確かに、助けた相手が昔の恋人だった事には驚いた。
驚いて、意識が鬼から逸れて、結果――この傷が出来てしまったのだけれど。
しかし、だからと言って扱き下ろさなくてもいいと思う。
いくら乙が甲の柱に次ぐ階級と言えど、だ。

「……改めて会って話がしたいって言われたけど、ちゃんと断ったよ?」
「当然だ。おいそれと了承していたら救いようがない」
「……」

またしても辛辣だった。
普段から言葉が足りず周囲に誤解を招いてばかりの義勇であるけれど、今回に限って言えば言葉足らずではなく、本当にそのまま何も他意は含まれていないように感じる。

「……ねえ、何か怒ってる?」
「怒ってない」

無表情であるが、明らかに不機嫌だ。
絵に描いたような不機嫌。

「もう、会うつもりないし」
「……」
「だって、誰かさんがあまりにも強引だから会う気分にもならなかったっていうか……!」

あの夜、もう一度会いたかったと、会ってちゃんと話がしたかったのだと言われても、全く心が動かなかった。
そればかりか、その瞬間脳裏を過ったのは彼と過ごした日々の思い出ではなく、義勇の事だったのだ。

私の頭の中も、心の中も……いつの間にか義勇で埋め尽くされていたのだと思い知る。
自棄っぱちに吐き出した言葉は、相変わらず可愛げの欠片も感じられなかったけれど。

「それは、やっと俺のものになる決心がついたという事か?」
「……相変わらず話が飛躍するね。でも……そう、かも」
「!」

ごにょごにょと尻すぼみに言って、傍の義勇に視線を投げる。
ここまで言葉にしたのだから流石に私が言いたい事は伝わったはずだろう、と。

しかし、義勇はじっとこちらを見つめるだけで口を開く気配がない。
一応、これでも告白の返事をしたつもりだったのだけれど……。

「あの……義勇? 伝わった?」
「…………。いや、分からない」
「いやいやいや! 今、間があったよね!? 絶対伝わってたよね!?」
「さあな。何の事だかさっぱりだ」
「んなっ!」

義勇は静かに惚けて、団子を齧った。

今更空惚けるなだとか、今団子を齧るなだとか……心中では様々な突っ込みが飛び交っているが、今まで散々義勇の告白を受け流して来た私なのだあら、今日ぐらいはきちんと自分の気持ちを口に出して伝えるのが筋なのかもしれない。
あんな遠回しな台詞ではなく、誰が聞いても分かるような、真っ直ぐで飾り気のない素直な気持ちを。

手を伸ばし、半々羽織の袖をぎゅうっと縋るように掴み、覚悟を決める。

「だから、その……つまり……ぎ、義勇の事が――しゅきなの!!」
「!」

あろうことか、一世一代の告白を緊張のあまり盛大に噛んでしまった。

「(しゅき……しゅきって言った……もう嫌だこのまま土に還りたい)」

義勇は何やら黙考した後、私を真っ直ぐに見つめながら口を開く。
海の底を思わせるような深い深い青の瞳が意識もろとも私を絡め取り、目を逸らす事が出来ない。

「ああ。俺も“しゅき”だ」
「!?」

まさか被せてこようとは。これは予想外だ。

「喧嘩売ってる?」
「売ってない。以前胡蝶が、相手と距離を縮めたい時には同調と反復が効果的だと言っていた」
「そういう事じゃないんだよ! 今のは同調も反復もしなくてもいいの! しちゃいけないところなの!」
「そうか」

「難しいな」と溢す義勇は、食べかけの団子を皿に戻して私の口元についたみたらし団子のタレを指で拭った。
指が唇を掠めて、思わず言葉を飲み込む。

そのまま唇がそっと重なる。
まるで失恋をして呼び出したあの日のように、彼は私の唇をまたしても涼しい顔でサラッと奪ったのだ。
あの時と違うのは、突き飛ばすわけでも、喚き散らすわけでもなく、その口付けを心から受け入れた事。

団子味の口付けなんてあまりに締まりがなく、実に私達らしいと思ってしまったけれど。

「好きだ、なまえ」

その言葉は飽くほどに聞いたはずなのに、今までで一番胸に響いて私の心を鷲掴んだ。

トクリ、トクリと胸が淡い音を立てている。
――嗚呼、きっとこれが恋に落ちる音なのだ。


Fin.
20240708
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