任務に向かう途中、ポツリと鼻先を打った雨粒は次第に雨足を強め、あっと言う間に盆を覆すような雨になった。
羽織を頭から被って雨を凌ぎつつ農道を駆ける私の視界に飛び込んで来たのは、目と鼻の先ほどの距離にある地蔵堂。
街中であればすぐ軒下に入れたものを、こんな何もない場所で地蔵堂が見つかるとは余程日頃の行いが良いのだろう。
一時でも雨を凌ぐ場所が欲しかったので、運よく見つけた地蔵堂に心底感謝した。

「(雨が止むまで暫しの間、雨宿りをさせて下さい)」

駆け込んで、お堂の主であるお地蔵様に手を合わせる。

雨よけにしていたせいで羽織はすっかり濡れてしまったが、干して乾かす場所など当然見当たらず……渋々それに袖を通し、灰色の雨空をぼんやりと眺めていた。

こうしていると、不意に思い出す。
何を思い出すのかなんて、そんなのは愚問だ。
言うまでもなく、誰かさんと駆け込んだ軒下で鉢合わせになった時の事に決まっている。
あの日も今日みたいな土砂降りで、確かその時は義勇が先客で私が駆け込んだ側だった。

「(今日は流石に居ない、か……)」

全国津々浦々、駆けずり回って鬼を狩る者同士、そう何度も簡単に鉢合わせになってたまるものか。
それに、何かを期待しているわけではない。
がっかりなんて、していない。

だって、彼は私の後を追ってすら来なかった。
そればかりか私には関係ないとまで言ってのけたのだ。
あれだけ私の事が好きだの何だのと口にしていたくせに。

つまりはそういう事だ。所詮は、その程度のものだった。

あの日から数日経つのに、私の心は落ち着きを取り戻すどころか悪化する一方で、現に今この瞬間も騒ついて仕方がない。
あれこれと理由を付けて迫られ、散々口説かれても靡かなかったのに、先日のたった一言がこうして私の胸に巣食っている。心を乱されて仕方が無いのだ。

「……だったら、最初から好きなんて言わないでよ。馬鹿義勇。……義勇のばーかばーか」

どうせ誰も聞いていないだろうとここぞとばかりに吐き出し、ぼやいた直後――パシャンと水溜りを踏む音がする。
水面を叩く音と共に「随分な言い草だな」と頭上から声が降ってきた。

淡白で、感情が乗り切らない声。
けれど、凪いだ水面のように静かで心落ち着く声音だった。

「ぎ、ゆう……」

見上げた先には、雨に打たれて全身ずぶ濡れになった義勇の姿があった。
毛先からポタポタと水が滴り、水分を過分に含んだ髪の毛は重くへたっている。
鬱陶しそうに前髪を掻き上げる仕草が何とも言えない感情を私に植え付けるから、堪らず反射的に顔を背けてしまった。

気まずい。
あの微妙な言い合い(今思えば私が一方的に当たり散らしただけ)をしたきりの再会だった。
正直、心の整理が付いていない。
そんな状況で、しかも、この狭い地蔵堂で二人きりの雨宿りだなんて地獄でしかなかった。

先程の私同様にお地蔵様に手を合わせる義勇を横目で盗み見るが――うん。雨宿りする気満々でいらっしゃる。

「俺は、撤回したつもりはない」
「は?」
「先程、大きな独り言のような何かで“好きだと言うな”と言われた」
「……」

突然、何の脈絡もなく話し出すのはやめて欲しい。
“あの”だとか“その”だとか前置きみたいなものは彼の中に存在しないのだろうか?

さらに言えば、あれは“独り言のような何か”ではなく歴とした“独り言”だったのだ。
貴方が聞き逃してくれなかったばかりに、独り言は独り言のような何かに成り果ててしまったのだと、どうして気が付かないのか。

「……関係ないって言ったのはそっちじゃん。別にそれで構わないし、私のことは気にしないでよ……私だって何とも思ってないか、ら――っ!」
「そういう事は、俺の顔を見て言ったらどうだ?」

此方に伸びてきた義勇の手が、私の顎を掴み上げる。
上向かされたせいで必然的に互いの視線が絡み合い、思わず息を飲む。
水も滴る良い男とは、きっと今の彼の事を言う。

「ちょ、近い……」
「雨音で聞こえなかったと言い訳されては困るからな」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますけどぉ!」

まるで私が以前そうしたかのような口振りだが、私じゃない。
そんな風に惚けて有耶無耶にしたのは義勇の方だった。

嗚呼、だめだ。
口を開けば可愛げのない言葉ばかり次々と出てしまう。
本当はこんな事を言いたいわけではないのに。

「俺が好いているのはお前だ」
「何を今更……だって、あの時――」
「だから他人に何と言われようと、俺には関係がない」
「……へ?」

彼の言葉に面食らう。
関係ないって、まさかそういう意味?
脳内が混乱を辿る一方で、今更ながらに告げられた真実を前に呆気に取られた。

普段から義勇は言葉が足りない。
今回の事に関して言えば、足りなさすぎる。

藤の家の御息女から思いの丈を打ち明けられても、自分の気持ちがぶれない以上、そんな事は彼の中で何も関係がない。
義勇は、そう言いたかったらしい。

「はぁぁぁあ……もう、何なの……それ」
「お前が勝手に勘違いしたんだろう?」
「普通に分かんないから! そんなの!」

思わずその場にしゃがみ込み、両手で顔面を覆い隠した。

恥ずかしい……恥ずかしなんてもんじゃない。
消えたい。いっその事このまま土に還ろうか。

蓋を開けてみれば、私が一人で勘違いをして自己完結させて不貞腐れていただけだった。
裏を返せば、私は義勇が好きだったからこうも拗らせていたという事になるのでは?
冷静になれば、関係ないからと言われてここまで捻くれる必要はない。

途端に、ドクンと大きく心臓が跳ねた。
そのまま鷲掴まれたかのように息苦しい。

「なまえ?」
「っ、」
「顔が赤い」
「言わなくていいから……!」

駄目だ、認めたら。認めてしまったら――。

いつの間にか義勇もしゃがみ込んでいて、顔を覆い隠す手を解かれた。
両手首を拘束されているから、隠す事も拒む事も出来ない。

「なまえ」
「今度は何!?」
「好きだ」
「は、はぁ?」

もう何度も聞いたから。飽きるほど、耳にたこが出来て胸焼けするほどに聞いたから。
いくら心の中で悪態をついても、どういう訳か今回ばかりはその言葉がストンと胸の中に落ち着いた。
つまりはそういう事なのだろう。
認めたくはないけれど。

まるで時が止まったかのように、一瞬私を取り巻く全ての物が音をなくした。
降り頻る雨音も、近付く義勇の端正な顔も。
触れた唇はひんやりとして冷たいのに、胸は焼けるように熱かった。


20231012
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