女装姿の義勇と別れ眠りから覚めると、西の空が茜色に染まりつつあった。
少々寝過ぎてしまっただろうか……。

欠伸を噛み殺しながら布団から這い出ると、窓辺に鎹鴉が降り立つ。
それはつまり新たな任務が舞い込んだ合図であって、寝過ぎてしまった事で些か重たい身体に隊服を着込む。
身支度を整える間、頼んでもいないのに鴉は任務地をペラペラと流暢に話す。いや、この場合は鴉だから鳴く……だろうか?
まあ、そんなどうでもいい事は置いておくとして、任務地はここから程近い場所であったから、急げば日が暮れる前になんとか現地に乗り込めそうだ。

手早く身支度を整え部屋を出たところで不意に呼び止められる。
鈴を転がすような可愛らしい声に聞き覚えがあった。

「あの、お急ぎの所申し訳ありません……少しだけ、よろしいですか?」
「はい、勿論。何でしょうか?」

正直、あまりゆっくりしている時間はないが、なにせ相手が世話になった屋敷の御息女とあらば無碍には出来ない。
その問いに対して、何やらモジモジと気恥ずかしそうにしている様子から、私にとってそれはあまり良い話ではないのだろう。
こういった予感ほど良く当たるので、きっと間違いないだろうと思いながら彼女の言葉を待つ。

「冨岡様は……誰か心に決められたお方がいらっしゃるのでしょうか?」
「……」

ほら、やっぱり。そんな事だろうと思った。
私の抱いた嫌な予感とやらは今回も見事に的中してしまった。

「ええっと……」
「あ、不躾に申し訳ありません。お二人は今朝方とても親しげにお話をされていたので、よくお互いの事をご存知なのかと勝手に思い込んでしまって……」

そこは敢えて私と義勇は良い仲であるのかとは問わないのだなと苦笑する。
端からその可能性は除外されている事に、やはり傍目から見ても私達は不釣り合いなのだと実感した。

――別に構わない。本当に私達は何でもないのだから。

「……あの、鬼狩り様?」
「っ、すみません。ちょっとボーッとしてしまって」
「大丈夫ですか? まだお疲れなのでは?」
「いいえ、大丈夫です。ほら、この通り!」

力こぶを作る仕草で万全をアピールして見せると、彼女は真ん丸の瞳をパチクリとさせて、可愛らしい笑顔でクスリと微笑んだ。「でしたら、良かったです」と付け足して。

そんな彼女を前にして、とても義勇の思い人は私ですと言い出せなかった。
私は、なんて狡い人間なのだろう。
彼女が抱く義勇への純粋な思いに気付いていながら何も知らない振りを貫こうとしている。

「義勇の件でしたら……すみません、存じません」
「……そうですか」
「でも、貴女は女の私から見てもとても魅力的だと思います。女性らしくて、気立が良くて、可愛らしくて――男性なら誰だって守ってあげたくなっちゃいますよ!」
「えっ、その……そんな事……」
「それは義勇も例外なく、です」

そう付け加えると、彼女は白い頬を真っ赤に染め上げた。
なんて可愛らしいのだろう……本当、私とは何もかもが正反対だ。

「それでは、失礼します」と告げて、屋敷を後にした。
今朝方痛んだ左胸が、再度疼き出す。
その痛みの正体は良心の呵責からか、それとも――。

見上げた空は日が沈みかけていた、日没と共に鬼は動き出す。
かぶりを振って脳内から余計な思考を追い出し、目的地に向かって走り出した。

***

いつもなら息をつく暇もなく次々と舞い込む任務に嫌気が差していただろうが、今回ばかりは有難かった。
お陰で余計な事を考えずに済むし、頭を空っぽにしたい時はとにかく身体を動かすに限る。
ヘトヘトになるまで任務に全力を注いだ後に休息をとり、また任務の繰り返し。
その間も義勇と顔を合わせる機会は無かったし、彼が管轄する地域での任務も姿を目にすることは無かった。

連日に渡る任務の過酷さを除けば、この数日間は平和の一言に尽きる。

そして今日も私は任務に駆り出され、今まさに任務遂行の真っ最中なのだけれど――生憎と悠長に回想している暇は無かった。
町の外れにある廃屋が討伐対象の鬼の根城になっており、数名の隊士で合同任務にあたっているが、少々……いや、大分と手こずっている。

「(さっきから手応えがまるで無い……!)」

相手取っている鬼の首をかれこれ五回はねた筈なのに、てんで手応えが無く鬼の気配も無くならない。
鬼は皆、例外なく首を切れば灰になるはずだ。
しかし、足元には灰燼に帰すどころか生首がケラケラと声を上げて私を嘲笑う。悍ましい異様な光景が広がっていた。

首を切ったのに倒せない鬼なんて初めてだ。
結論から言えばそれが本体ではないからだろうが、その絡繰りが分かっても対処法が分からない以上、正直どうすれば良いのか手詰まりだった。

共に任務にあたっていた隊士は早々にやられてしまい、命はあるものの深傷を負ってとても戦える状態にない。
下弦の鬼でこそ無いものの、その力は限りなくそれに近い様な気がした。
今まで相手取って来た鬼の中で段違いに強い事からも、異能の鬼であるに違いない。

先程から対峙しているのが偽物であることは分かっているが、これが血鬼術ならばいち早く術中から抜け出す方法を見出さなければ私も疲弊して体力が尽き、集中力が切れて負傷した隊士の二の舞になってしまう。
それだけは何があっても避けなければ。

本体の気配を探ろうにも、対峙している偽物なのか幻覚なのかしれない鬼が仕掛けてくる攻撃をいなすので手一杯だ。
せめて私一人でなければどうにか対処出来るかもしれないが、生憎、動けるのは私のみ。
このまま続けていても、じり貧。体力が尽きて私も潰れてしまう。
あるいは救援が来れば――。

「しまった……!」

上がった息を整える間も無く、無限に再生される鬼から繰り出される攻撃に、いよいよ刀を弾かれてしまう。
握力が弱った隙を突かれて手からすっぽ抜けた刀は、後方へと弾き飛ばされる。

背後で刀がガシャンと床を打つ音を聞き、同時に私はこれまでだと悟った。

一瞬の隙を見逃さず一気に畳み掛ける鬼との距離がゼロになる瞬間――やけにその映像は鮮烈でいて、まるでスローモーションのように映し出される。
振りかざされた腕の動きも、鈍く光る爪の鋭さも、それが私を貫き息の根を止めんと伸ばされる仕草まで。

直に襲いくる腹を裂かれる痛みにぎゅうっと目を閉じる。
戦闘中に目を閉じるだなんて言語道断だ。けれど、それはもう死を覚悟した意味でもある。

「――っ!」

しかし、いつまで経ってもその瞬間は訪れない。
代わりに生暖かい血糊の感触が私の頬を打った。
ビシャッと血飛沫を受けた直後、切り刻まれた何かが崩れ落ちる音がする。

恐る恐る目を開くと、私の前には首の無い鬼の身体が無造作に転がっていた。
確かに伸びてきていた筈の腕は、私の身を貫く前にぶつ切りにされて床に落ちている。

「え……一体、何が……?」

今までいくら切っても崩れ落ちなかった鬼の身体が灰となり、散り散りになって宙を舞う。
一体何が起こったのか状況を把握しきれない中、視線を足元から正面に移すと、少し離れた所で刀を鞘に収めながら涼しい顔をして佇む見慣れた姿があった。
半々羽織と呼ばれるそれに身を包んだ彼の姿が視界に焼き付けられるようだった。

脱力し、その場にへたり込む私に気付いた義勇が眼前までやってくる。
片膝をついて、放心したまま固まる私の顔を覗き込む。

「すまない、遅くなった。怪我は無いな?」
「う、うん……平気。ありがとう。でも、何で此処に?」
「救援要請が入った」
「そう……」

本当に一瞬の出来事だった。
私はその鬼相手に随分と手こずり、共に任務に臨んだ隊士は深傷を負ったというのに、義勇は瞬き一つの間にその鬼を倒してしまったのだ。
まあ実際、目を瞑っていたのだから瞬き一つかは定かでないが、けれど、一瞬の出来事であるのに違いない。

これが柱の実力なのだと、格の違いをまざまざと見せつけられたような気がした。
私と義勇は同期であるのに、今では彼の足元にも及ばない。
足元どころか、比べるのも烏滸がましい程の実力差がそこにはあった。

そして、同時に抱いた感情は――私は、やっぱり彼に相応しくない。

どこから降って湧いたのか、不意にそんな言葉が浮かんだ。
見目が麗しいわけでも、素直でもない。
女性らしさもなければ、可愛げもない。おまけに剣技の才すらない。

「なまえ」
「っ! あ、えっと……何――いっ!?」

義勇が懐から取り出した手拭いで返り血を浴びた私の頬を擦った瞬間、ピリッと小さな痛みが走った。

「すまない。そんなに強く擦ったつもりは無かった。痛むか?」
「平気。ちょっと切り傷があったのかも。ありがとう、もう大丈夫だから! 手拭い汚れるし」
「もう汚れた」
「……だから、ごめんってば」

その行為を拒むも、義勇は普段通りの無表情で私の頬を拭い続ける。

“もう汚れた”

その言葉に隠された真意は、“だから気にする必要はない。このまま大人しく拭かれておけ”。
相変わらず必要最低限の言葉すら紡がないのだから。
そんな事だから怖いだの冷たいだのと他人から距離を置かれてしまうのだ。
隠された言葉を読み取って理解してしまう私も私だけれど。

そうこうしている間に、数名の隠が到着する。どうやら鎹鴉が呼んでくれたようだ。
怪我人の手当と事後処理は彼らに任せておけば安心だ。
怪我をしていない私たちは隠の方々に一言掛けた後、廃屋を後にする。
外に出るとすっかり夜は明けて、高く昇った陽光に目を細めた。

開けた道に出るまでの間、肩を並べて横並びで歩く。
こんな風に二人きりでゆっくりとした時間を過ごすのは久しぶりかもしれない。
最後に顔を合わせたのは、それこそ藤の家紋の家で女装した義勇と出会したきりであったから。

「……あの後」
「?」
「藤の家紋の家。……羽織、取りに戻ったんでしょ?」
「ああ。大切な物だからな」

唐突に問う私を、義勇はそれがどうしたと言いたげに見ている。
義勇は、あの後私と彼女がどんな話をしたのか知らないだろうし、私も出発した後の二人の事は何も知らない。
探るような聞き方は随分と姑息な真似だったと思う。
私には関係ないと切って捨てた筈なのに、気に掛けてしまう。

「あの娘さん凄く可愛いよね。気立もいいし、女性らしいし、小動物みたいで守ってあげたくなるし」
「……」
「あれは絶対義勇に気があるね。うん、お似合いだと思う! 美男美女でさ!」
「……」
「あ、もしかしてその様子じゃあ告白でもされた?」

私が一方的に話すばかりで、義勇は黙りこくったまま冷ややかな眼差しで此方を見ていた。
心底どうでもいいと言いたげなそれは、その話題について全く興味を抱いていないのだと物語っているようだった。

「……ねぇ、さっきから私ばっか喋ってるじゃん。何か言ってよ」
「はぁ……」

何か言えと確かに言ったが、溜め息は会話に含まれないと思う。
深い青の瞳は私を一瞥して一呼吸置いた後、義勇はこれ以上無い程に冷たく言い放った。

「関係ない」
「!」

――関係ない?

その態度に酷く胸が痛んだ。
心臓が鈍い音を立て、言い放たれた言葉がこの身に鋭く突き刺さる。

それはつまり、あの後何があったのかなんて私には関係がないという事だろうか?
そんな権利はお前には無いとはねつけられたような感覚に陥る。

いつもならその言葉に隠された真意を汲み取れるのに、今はそれが出来ずにいる。

「(……そんなに冷たい目で見ないでよ)」

これ以上踏み込むなって事?
いつまでも私がどっち付かずで中途半端な態度を取っていたから、もういいって事?
あの子と良い仲になったから、お前はもういらないって事?

「……あっそ。はいはい、分かったよ。私には“関係ない”もんね!」
「は?」
「どうぞお幸せに! 私は別に義勇の事なんて何とも思ってないし!?」
「なまえ、一体何を言って――」

伸ばされた手を振り払って、ぐしゃぐしゃになった感情を込めて睨み返す。
いつも冷静沈着で無表情である義勇の表情に少しばかり焦りの色が滲んでいたように感じたが、それはきっと気のせいだ。

だって、関係ないのだから。

「私だって、どうだっていいよ“そんな事”」
「っ! おい、待て……!」

義勇を残してその場から駆け出した。
戦闘で削れた体力を振り絞り、持てる力全てを使って開けた通りまで全速力で走った。
人混みに紛れてしまえば、きっと私の事など見失ってしまう。寧ろ、そうなって欲しかった。
様々な感情が混ぜこぜになった情けない顔を見られたく無い。

これでいい。
初めから私達は始まってなんていなかったのだから。
義勇とあの娘さんが上手くいって、晴れて私は自由の身。
あの重たくて執拗な愛に縛られる事はないのだと思えば清々する。

だから、この胸の痛みも直に消えてなくなるのだろう。


20230816
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