“雨が煩くて何も聞こえなかった。だから、お前が何と言ったのか俺は何も知らない”

「んんんー、もう! む・ず・痒・い!!」

義勇の言葉を思い出す度に胸の奥が、こう、何というのかモヤモヤ、モゾモゾしてかなわない。
気が付けば私の脳内を占めるのは義勇の事ばかりだ。嗚呼、なんてこと……!
縋る様な彼の腕の感触だとか、鼓膜を揺する甘く切ない声音だとか――この先、雨が降る度に思い出してしまいそうで堪らなかった。
冗談ではなく大いにあり得る。これは、由々しき事態だ。

このまま告白の返事を先引き延ばしたところで、私達がどうなるわけでも無い。
ただただ不毛であったから告白を断ったのだけれど、雨音で聞こえなかっただの、何も聞いていないなどと予想外も甚だしい言葉が返ってきたものだから、酷く頭を悩ませている。
謂わば、事実上の受け入れ拒否。何があろうと“イエス”以外は受け入れないつもりでいるらしい。
じゃあ、一体どうしろと!?

あの後直ぐに雨は止んで、すっかり湿ってしまった羽織を今度こそ義勇に突き返し、私は任務地へ赴いた。
任務自体は無事に片付いたのだけれど、存分に私の心を揺さぶってくれた水柱様のお陰で、いまいち戦闘に集中出来ず気を散らしてしまったせいで、怪我はなかったものの鬼の爪が髪を掠めて髪紐が千切れてしまったのだ。
義勇ほどの癖毛と毛量では無いが、胸下まである髪は結っていないと邪魔で仕方がない。
そればかりか、蒸し暑い初夏の気温において、この長い髪は空気を通さず首に張り付いて暑苦しい事この上ない。

私は深い溜息と共に、懐に仕舞っていた千切れた髪紐を取り出す。
薄い桃色をしたそれは何処の町であったかは忘れてしまったけれど、露店で身に付けていれば恋愛運が上がるのだと大々的に売られていたものだった。
それが千切れるだなんて……これ以上の縁起の悪さと言ったらない。
まるで、この先の私の恋愛運を示唆しているように感じられてゾッとした。運命の赤い糸が髪紐ごとブツリ、断ち切れてしまったみたいに。

だから、私は一刻も早く髪結い用の紐を新調したかった。
叶うなら、切れた紐と同じ物が良かったが、如何せんあの露店がどこの町で商いをしていたのか覚えていない。本当にふらっと立ち寄っただけであったから。
それに、今も変わらずその場所で店を開いているのかも正直怪しいものだ。

同じ物は手に入らないだろうが、暑苦しいままというのも我慢ならないので、往来を行く最中、偶々目に入った小間物屋に足を向けたのだった。

初めて立ち寄った小間物屋であるが、品揃えの豊富さに思わず感嘆の声をあげた。
簪に櫛、化粧品から匂い袋まで、それ以外にも女性向けの様々な装飾品が店内を彩っていた。

「わぁ……可愛い!」

何刻でも眺めていられそうな程、店内に並べられたそれらは私の心を魅了し、掴んで離さない。
鬼狩りを生業としていても、やはりこういった可愛らしい物には目が無いのだ。女心を擽られて堪らない。
しかし、いつ何時新たな任務が入るとも知れない身であるから、早く目当ての結い紐を探さなくては。
きょろきょろと店内を見回すと、果たして、簪や櫛の並ぶ横に目当ての物はあった。
様々な色の紐が並んでおり、この中から一本選ぶだけでも迷ってしまうが、しかし、私の意識は紐の傍に並んだ色とりどりのリボンに奪われてしまった。

「(あ……リボン、凄く可愛い)」

無意識の内に私は桃色のリボンを手に取った。
すると、この店の主人だろうか?店の奥から若い男性が姿を現して声を掛けてきた。

「そのリボン、貴女にとてもお似合いだと思いますよ?」
「へっ? あ、ええっと……――っ!」
「もしよろしければ、付けてみますか?」

声を掛けられて徐に顔を上げると、その男性と目が合う。
とても優しげな瞳に囚われた私の時は一瞬止まる。瞳だけではない。その端正な顔つきに、私の視線は釘付けになった。
嗚呼、なんて素敵な男性だろうか……。

「どうかされましたか?」
「私の結い紐が切れたのは、貴方に出会う為だったのかもしれません……」
「え?」

突然恍惚とした表情で意味の分からない事を口走るものだから、店主はキョトンとして双眸を瞬かせる。

誰かが言っていた。失恋で傷付いた心を癒す事が出来るのは、新たな恋だけだって。
その恋が、今この瞬間私の元に転がり込んできたのだ。間違いない。
こんな事ばかりしているから、私はいつまで経ってもろくな恋愛が出来ず、同じ事ばかりを繰り返しているのだろうが……。
それでも今はそんな事に構っていられない。眼前に垂らされた運命の赤い糸は掴むに限る。

私は、そっと彼に手を伸ばした。
しかし――。

「またお前は、性懲りもなく」

それは既の所で阻止された。
私の手は彼に届く寸前で、横から伸びた手によって掴まれてしまった。
この、妙に平坦な物言いをする男を私はよく知っている。
感情の乗らないこの声に、嫌と言うほど現在進行形で振り回されている。

「ぎ、義勇……!」
「いい加減、学んだらどうだ?」

店主の柔和な眼差しとは打って変わって、冷ややかな海の底を思わせる深い青色の瞳が私を見下ろしていた。ああ、そうか……この町は彼の管轄地域だった。

「すまない。連れが迷惑を掛けた」
「い、いいえ。決して、そんな事は……。お構いなく」
「そうだよ! 私の恋路を邪魔しないでよね! お構いなくぅー!」
「っ!」

ンベ!と、駄々を捏ねる子供の様に舌を出して、掴まれた手を振り解く。
そして、リボンの横にあった白色の髪紐を適当に一本選び手に取ると、店主に代金を支払って足早に店を出た。
その場に義勇を残して、私はさっさと小間物屋を後にしたのだ。
またしても可愛気の欠片も感じられない態度をとってしまったと、一歩、また一歩と小間物屋から遠のく度にじわじわと感情が湧き上がり、胸に迫る。

じゃあ、どんな反応をすれば良かった?
これ以上彼と関わっていると、知らなくていい感情にまで気付いてしまいそうで怖い。

歩きながら器用に髪を束ねて、先ほど買ったばかりの紐で一つに縛った。
結局、目当ての結い紐も適当な色を選んでしまったし、そして何より、やはりリボンも欲しかったと落胆する。
誰のせいかなど、口にするまでも無い。

気になったリボンも、新たな恋も、その両方を掴み損ねた私の行き場の無い感情の矛先を彼に向けて気を楽にしようとしているだけの――そう、これは八つ当たりだ。

「……だから、まだ何か用!? 人の恋路を邪魔しておいて!」
「あれは恋路とは呼ばない」
「なっ、それは義勇には関係ないと思うんですけど!?」
「関係ある」
「何でよ?」
「関係ある」
「二回言わなくても聞こえてるから!」

聞きたいのはその行動の意味であって、関係性の有無では無い。それに、二度も言わなくていい。
振り向いた先に立つ義勇へと当たり散らすが、暖簾に腕押しと言うのか、幾ら声を荒げてみても彼はその能面のような表情を微塵も崩さなかった。
きっと、己が行動は一つとして間違っていないと思っているからだろう。
私からすれば迷惑極まりないし、鬱陶しくも思えてしまうその行動であるが。

「俺はお前を好いている。だから、関係ある」
「っ! ……ああそう。でもね、私昨日ちゃんと答えたよね? 誰かさんが“雨の音で聞こえなかった。だから俺は何も知らない”なんて言うもんだから!」
「それは俺の真似か? あまり似ていないが」
「そこは突っ込まなくていいの! もういい」

これ以上彼と話した所で、またしても不毛なやり取りが繰り広げられるだけだと踏んで、私は義勇に背を向けて歩き出した――が。

「ぐえ!」

背後から伸びた義勇の手が、私の隊服の襟首を掴んで引き止める。
そのせいで隊服の詰襟が喉に食い込み、えずいてしまった。
もっと他に掴む所はあったろうに。肩でも腕でも、あったろうに。何故に襟首。
そして、彼は相変わらず言葉が足らない。
いくら私でも、何か一言掛けてくれれば立ち止まる事を考慮した。

「ちょ、何す……」
「そのまま、じっとしていろ」
「はぁ?」

何をするのかと再び食ってかかろうとする私であるが、背後で布が擦れる様な音がして、はたとした。
髪の結び目に手をそっと当てがうと、手に触れる布切れの様な感触。

「え……これって、まさか」
「本当は欲しかったんだろう?」

その言葉に、その布切れの正体が先ほど私が心を躍らせ、眺めていたリボンであるのだと知り、言葉に詰まる。
可愛気もなく余所見ばかりで、挙句の果てにはその告白に望みはないと言葉をぶつけた私である。
そんな私に贈り物だなんて相当なお人好しであると口にしそうになり、喉の奥へと引っ込めた。
ゆっくりと振り返ると、そこには満悦に微笑む義勇の表情があった。

「お前には、“この色”が一番似合う」
「っ、」

いつも感情の知れない鉄仮面の様な面をしているくせに、このタイミングでその表情は狡いと思うのだ。

「……ちゃんとお金払う」だなんて、ありがとうよりも先に出た言葉は相変わらず可愛気がない。本当、救いようのない程に。

「必要ない。その代わり、いつも付けていてくれ」
「……何で?」
「お前は、余所見ばかりだからだ」
「いや、余所見って……」
「俺は、お前にとって都合の良い男になるつもりはない」

義勇は、私の髪から長く垂れ下がったリボンを手に取り、見せつけるかのような仕草でそれに唇を寄せた。
お前は俺の物である――そんな風に。
相手が私でなかったら、きっと見惚れてしまうであろう仕草だった。

「断じて俺は、そんなモノに成り下がるつもりはない」
「……何よ、それ」

髪に結ばれたリボンの色が何色であるのかなど、尋ねるまでもないことだった。
歩き出した私の髪を彩るその深い青のリボンが風に靡き、ゆらりゆらりと揺れている。睨めつける様な視線を後頭部へ投げた。
いつでも義勇の事を思い出すように――そういった意味で髪に結んだというのなら、成る程これはなかなかに鬱陶しい。
つまりそれは、酷く効果的という意味である。

20200719(20230626 加筆修正)
第4回BLove小説・漫画コンテスト応募作品募集中!
テーマ「推しとの恋」
×
- ナノ -