俺は、一体何が嬉しくて休日にこんな場所へ来ているのだろう?しかも、職場の同僚と。

室内は甘ったるい匂いで満ちていて、目前の皿にはその甘ったるい匂いの正体である様々な和のスイーツが目一杯に盛られている。
それを優雅にぱくぱく口に運ぶ職場の同僚――胡蝶カナエは花笑んで「不死川くんも食べて? 凄くおいしいわよ」と皿を差し出した。

窓ガラスや壁に貼られたチラシには“年に一度!カップル限定半額和スイーツバイキング”と大々的に記載されている。

あれはいつだったか……金曜、いや、木曜の仕事終わりだったような気がする。
『不死川くん。今週の日曜日、付き合ってもらえない?』と、唐突に声をかけられたのは。
特に先約もなかったので二つ返事で了承したが、まさかこうも場違いな所だったとは。

カップル限定とだけあって店内にはカップルばかりで溢れているが、強面の俺を見て態とらしく目を逸らされるのはやはりいい気はしない。
その原因も自覚があるからこそ苛立ちが募るというもので……居心地は最悪だった。

悪かったなァ、不釣り合いでよォ。分かってんだよ、そんなことはァ。

「和スイーツバイキングだから、不死川くんの好きなおはぎと抹茶があってよかったわ」
「おう」

胡蝶の事だ。恋人役に相応しい男は――適任者はいくらでもいただろうに。何故、俺に白羽の矢が立ったのか今だに分からない。
とは言え、俺と胡蝶が店員の目に“恋人同士”として映った事が何よりの安堵であるが……。
何せ、今日は年に一度のカップル限定半額デー。割引対象外と見なされてしまったら、せっかく俺に声をかけた彼女の美しい顔に泥を塗るところだったのだから。

しかし、そんな彼女と同じ時を過ごしていても、俺の頭の中はなまえで埋め尽くされていた。
玄弥に“妹を思うなら、その感情は殺してほしい”と直々に釘を刺されたばかりだったから、余計に考えてしまうのかもしれないが……。

あの日の玄弥の言葉は正論以外の何でもなく、実に真っ当だった。
如何なる理由があろうとも手を伸ばしてはならないのだと、悩める俺の心にトドメを刺した。それはもう盛大に貫かれた。ぶっすりと。

「なまえちゃんの事で、何か悩み事?」
「……は?」

あっさりと言い当てられ、思わず声を上擦らせてしまった。
何か悩み事?ではなくなまえちゃんの事で、と胡蝶は言った。
その慧眼には平伏するばかりだが、言い換えれば見透かされる程に俺は分かりやすいのだろうか?

「あら、違ったかしら?」
「違わねェ……けど、何で分かったんだァ?」
「だって、不死川くんが悩んでいる時はだいたい玄弥くんか、なまえちゃんが関係している時だし」
「……そーかィ」

向いに座る彼女は、ふふっと淑やかに口元を覆いながら「不死川くんは優しいお兄ちゃんだから」と揶揄するような口調で戯けた。

易易と言い当てておいて、そこから根掘り葉掘り聞いて来ないのは、彼女なりの気遣いなのかもしれない。

「別に無理には聞かないけれど、体調には気を付けてね」
「?」
「隈が出来てるから」
「……」

その眼差しはどこか憐憫が漂っていて、伸ばされた指先が慈悲深く俺の目元をなぞったから、振り払う事をつい忘れてしまったのだと思う。
香水だろうか?花のような優がな香りが鼻を掠める。
俺が懸想する妹には似つかわしくない大人の女性の香りだと思った。

「兄妹って、色々あるものね。今は難しい年頃だからっていうのも、あるのかもしれないけど」
「そういうもんかねェ」
「でも、不死川くんのところはいつも仲良しよね。特になまえちゃんとは仲が良すぎるくらいだし」
「……」
「嫌味じゃないのよ? 仲が良いのは良い事だもの。ただ少し、たまになまえちゃんはまるで自分の世界が不死川くんだけ……みたいな、危うさを感じるから」
「いや、その通りだと思っただけだ。肝に銘じとくわ」

なまえをそうさせたのは、他でもない俺である。
そうあって欲しいと願ったし、そうでなければ嫌だった。

そろそろ本当に、けじめをつけるべき時が近付いてきているのかもしれない。
アイツの世界を、俺が独占していいわけがない。
そこにどんな理由があろうとも。

そう言えば、当の妹は今頃何をして過ごしているのだろう?
それこそ今日、一緒に出掛けたい場所があると言っていた。
しかし、先約があったばかりに誘いを断ってしまったが……。
帰りにコンビニでなまえの好きなアイスでも買って、ご機嫌伺いと洒落込むとしよう。

「今日は思い切り食べて帰りましょう! 疲れた時は甘いものに限るわ」

だから今日、俺を連れ出したのか。カップルデーにかこつけて、態々。
仕方なく自分の我儘に付き合わせるという名目にして、俺が気遣う必要のないように。
胡蝶のさり気ない心遣いに自然と口元が綻ぶ。

「ありがとなァ」
「なんの事かしら? 私が不死川くんに付き合って欲しかっただけだもの」
「それでも、感謝してる」

***

バイキングを出て胡蝶と別れた俺が向かった先はコンビニだった。
会計を済ませ、提げたビニール袋の中には箱入りのアイスが二箱と、プレミアムと銘打ったちょっとばかり値の張るソフトクリーム。
あれだけ甘い物を食べておいてまだ甘い物を食べるのかという問いにはきっぱりノーだと答える。
箱のアイスクリームは下の弟妹達に。そしてこのプレミアムソフトクリームは何やら外出先から戻るなり塞ぎ込んでしまったらしい(寿美からメッセージが入っていた)世話の焼ける最愛の妹に。
出かける約束を断ってしまった詫びも込めて。

実家に辿り着くと、手土産のアイスに弟妹達が我先にと群がる最中、先程メッセージをくれた寿美へ声をかける。

「なまえと玄弥はァ?」
「玄兄は午後から部活。お姉ちゃんは部屋でストライキ継続中ー」
「ストライキって……なんだそりゃ」
「知らなーい。だって、何回声かけても出てこないし、お昼ご飯も食べないんだもん」

成る程。それでストライキか。

「ちょっくら様子見てくるわァ」
「実兄なら絶対出てくると思うよ。お姉ちゃんブラコンだし」

ブラコンにシスコンなのだから世話がない。
ソフトクリームを冷凍庫に放り込んで、階段を上る。さて、一仕事だ。

ノックをしても声を掛けても、うんともすんとも言わない部屋のドアを静かに開けると、ベッドがこんもりと膨らんでいる事に気付いた。

「なまえ」

再度声を掛けても反応がない。どころか盛り上がった布団はぴくりとも動かず、凝視すると僅かにそれがゆったりと規則的に上下していた。
どうやらふて寝継続中であるらしい。

一瞬、その布団を思いきり剥ぎ取ってやろうかと思ったが、テーブルの上に放られた一枚のチラシが目に止まり、思い留まる。
それに見覚えがあったからだ。見覚えがあるなんてものじゃない。さっきまで俺はその場に居たのだから。
“年に一度!カップル限定半額和スイーツバイキング”チラシには大々的にそう掲載されていた。

まさかとは思うが、なまえが俺を誘って出掛けたかった場所とは此処だったのだろうか?
胡蝶とは年齢も近いし、美女と野獣程度の認識で割引を受けられたのだろうが、流石になまえと俺では無理がある。
それこそこんな見てくれであるし、下手をすれば通報案件だったかもしれないのに……。
兄妹だったなら通っただろうが、罷り間違っても恋人同士には見えない。決して、恋人には。

なまえには申し訳ないが、こればっかりはカップル割引なんて危険な橋を渡る事なく済んで良かったと思ってしまった。

安堵したくせに、苦い感情が胸を締めている。
ベッドサイドに腰掛けると、体重でスプリングがギシリと鈍く唸る。
起こさないようにそっと布団を捲ると、そこからあどけない寝顔が現れる。

傷跡一つ見受けられない柔らかな頬を指先で撫でる。
「……んう、」と、くぐもった声が漏れ聞こえたが、未だ妹は夢の世界の住人であるようだった。

自分とは似ても似つかない寝顔。けれど、俺の目にはその寝顔が酷く懐かしいものに映る。
寸分違わず、脳裏に浮かぶ愛おしい女のそれだった。

「……」

本懐を遂げたいと、もう一人の自分が顔を出す。
無理矢理に押さえ込んで、塞いで、仕舞い込んだはずの感情がドロドロと染み出すのが分かる。

欲しい。我が物にしてしまいたい。奪われてたまるか。渡したくはない――誰にも、何にも。
運命って奴にも、何人たりとも。

『風柱様』

――嗚呼、呑まれる。呑み込まれてしまう。

「っ、!」

記憶の中の彼女が俺を呼ぶ。
どうして、こんな時に。……否、こんな時だからこそなのかもしれない。

手を伸ばせば触れられる距離にいる。どうにでも出来る。
けれど、懸命に繋ぎ止めた理性が俺を踏み止まらせていた。
こいつは、あの頃のなまえじゃない。今は妹である、と。
玄弥にあれだけ釘を刺されておいて尚、こんな感情に引っ張られてしまう。

抑えろ。落ち着け。守ると決めた。

「(出来てたろ、今まで。……今更間違えるんじゃねェ)」

握り締めた掌に爪が食い込み、小さな痛みが走る。

「実、兄……」
「っ!」

自傷までして奮い立たせた理性は、寝言一つで掻き消える。
なまえの顔の横に手をついて上半身を屈める。決して手折ってはならない花を手折るために。

何があっても守ると決めた。
今世こそは俺より先立つ事がないように、取り溢す事のないように、今度こそは必ずと心に決めていたはずだった。そのために心をも殺したはずだった。
けれど、それはいとも簡単に揺らいで、心の根元に横たわる感情をどうにも出来なかった。
いつの間に“守る”ではなく“手に入れたい”にすり替わってしまったのか――違う。何も変わっちゃいない。
初めから俺は“手に入れたかった”のだ。それがたとえ、間違っていると分かっていても。

重ねた唇に柔らかな感触が伝って、胸の奥が燃えるように熱かった。
皮肉にも、鼻を掠めたのは花のような優がな香りではなく、あどけなさの残る甘い香りだった。


20240718
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