時透くんは一度屋敷を出ると中々戻って来ない。
それは言うまでもなく彼が柱であるからだ。
柱の警備地区は広大で、そこでの情報収集、鬼の討伐と様々な重要任務を担っている。
そればかりか、私が入れ違いで任務に出る事もあるので顔を合わせない時は数週間なんてざらだし、ひと月なんて事も優にあり得る。
そんな中で、時透くんの屋敷に居候させてもらえる事になったのはこの上ない僥幸だった。
ただ一つ、継子にしてもらえない事を除けば。
実の所、それこそが本懐であるので居候止まりではどうしても素直に喜べないというのが本音だ。

何度何回頼み込んでも彼は頑なに拒み続け、私を継子に迎えてはくれない。
だからといって諦める気は更々ないけれど。なんなら、彼が根負けするまで頼み込むつもりでいる。

時透くんに初めて継子にして欲しいと申請した時、『君……誰だっけ?』と小首を傾げられた時の衝撃といったらない。
けれど、たとえ命を救われた思い出を忘却の彼方へと追いやられても、無き物とされようとも、私が鮮明に覚えているのだから、それだけで十分だ。

「今日は会えたらいいなぁ……また稽古付けて欲しい」

いい加減素振りと打ち込み稽古三昧な日々には辟易としていたところだ。
柱である時透くんが、それこそ気分でつけてくれる稽古は本当に学ぶべき事ばかりで、未熟な私への的確な指摘や指示のお陰で、最近の戦闘でも僅かながらに余裕を持って立ち回れている様な気がする。
それでもまだまだ私は未熟で、時透くんの足元にも及ばない。その程度で言えば彼の足元どころか足先に触れる事すらかなわない程に歴然とした実力差がそこには存在している。

そう思うと、いつまで経っても継子にしてもらえないのは、ただ単に私が弱すぎて時透くんの継子になれる器では無いからでは?
無い頭で今更ながらに悟った。そして、私は今すぐにでも屋敷に戻ってらひたすら素振りと打ち込み稽古に勤しもうと決心した。見込みが無いと時透くんに追い出されてしまう前に。

そんな私が任務を終えた足で向かう先は、時透くんのお屋敷……ではなく、鬼殺隊員であれば必ず一度はお世話になる場所、蝶屋敷――蟲柱、胡蝶しのぶ様のお屋敷だ。
治療と言う程度では無いけれど、昨夜の戦いで裂傷を負った腕に薬を塗布しようと軟膏の包紙を開けて、うっかり薬を切らしていた事を思い出したのだ。
使う時になって切らしている事に気が付くのだからどうしようもない。
いつも懐に忍ばせている軟膏は本当によく効いて、生傷の絶えない私にとって必需品であるそれは蝶屋敷で頂いているものだった。
胡蝶さんの調合する薬は本当に良く効く。
それは塗り薬から飲み薬まで、彼女が調合するありとあらゆる薬は全て例外なく素晴らしい効能だった。
そして、良薬は口に苦しという事だけあって、言葉に違わず味は中々の破壊力。
願わくば、外傷だけでお世話になりたいものだ。
最近は特にお世話になりっぱなしのこの軟膏であるが、任務での怪我に銀子ちゃんの嘴攻撃も加わって、いつもに増して減りが早い。

ひと月近く時透くんと会っていないせいか、額の傷も随分と良くなっていて、つい先日包帯からガーゼを貼り付けるだけというお手軽手当てに様変わりした。
ガーゼの上から額の傷へ触れつつ思い出すのは、解けかけた包帯を時透くんに巻き直して貰った出来事。自然と笑みが零れる。
顔を合わせても、言葉を交わしても、いつも淡白な時透くん手ずから巻いてくれた事がとても嬉しくて、幸せで……。
だから、その包帯を解く時は断腸の思いだったのだ。
きっとそれを時透くんに話すと馬鹿にされるかもしれないが。いや、むしろ何の反応すら返してくれないかもしれない。
それでもいいのだ。それでも私は、時透くんと一緒に他愛無い話が出来たらそれでいい。
そして、あわよくば継子にしてもらえるともっといい!

そうこうしているうちに蝶屋敷へと辿り着き「こんにちはー」と、挨拶をしながら敷居を跨いだ――まさにその時だった。

「もう嫌だー! 無理無理無理!! ほんっと、これ飲んだら逆に気分悪くなるって!」
「だ、駄目です、善逸さん……! ちゃんとお薬を飲まないと治らないです」
「だってこれ凄っごく苦いじゃん! しかも一日五回も飲めなんて、血も涙もないよ! もーヤダほんとヤダ!!」
「ぜ、善逸さん」

不意に耳を打つ、聞き覚えのある懐かしい声とその名前。
玄関の引き戸へ掛けていた手を外し、引き寄せられるように声のする方へ向かう。

会いたかった。ずっと、どうしているのだろうかと心配していて。
懐かしい面立ちを頭に浮かべながら、揃いの柄の羽織をぎゅうっと握り閉める。
逸る気持ちも相俟って、その足取りは自然と速まり、あっという間に中庭へと辿り着いた。

「善逸……!?」
「はいはいそーだよ! 俺が善逸だけどそれが何ぃ!?」

相変わらずの騒々しさだった。良くも悪くも、それは紛れも無く私の見知った人物である事を肯定する。
互いの視線が交わると、一瞬、水を打ったように辺りが静まり返った。

「……へ? も、もしかして……なまえ?」
「っ、そうだよ! 久しぶり、善逸!」
「うわぁあん! 会いたかったよなまえー!!」
「うんうん。私もだよ! 相変わらず元気そうだね」
「これのどこが元気に見えるんだよー! でもなまえに会えたからちょっと元気出てきたかもしんない!!」

暫し固まったかと思えば、また急に騒がしくなる。
まるでそれが当然であるかのようにどちらからとも無く抱き合う私達の様子に、なほちゃん、きよちゃん、すみちゃんの三人組はポカンとして呆気に取られている。
それもそうだ。私自身、蝶屋敷で良くお世話になっているとはいえ、善逸との事を話した事は無かったし、そもそも善逸が鬼殺隊に入っていた事すらたった今知ったばかりなのだから。
わんわん泣きながら腰に縋り付いて来る様子に、相変わらずだなと苦笑しながら、ヨシヨシと金糸の髪を撫でてやる。酷く懐かしいこの感じ。
しかしまあ、師範の元で共に修行していた時に良く撫でていた髪は、確か黒かった様な気がしたが……。随分と様変わりしてしまったものだ。

「あの、なまえさんは善逸さんとお知り合いなんですか?」
「うん! そういえば話した事なかったよね。私達、同門なの。で、善逸は私の弟弟子なんだ」
「えー! そうだったんですね」
「そうは言っても、師範が善逸を連れて来て直ぐに私は最終選別を受けに行ったから、一緒に修行したのは少しだけだったんだけど……」

私と善逸の関係に興味津々とばかりに瞳を輝かせる三人から、私より下にある弟弟子の色変わりした頭へと視線を戻し、先程から感じていた違和感の正体を突き止める。

「それはそうと善逸。なんだか……縮んだ?」
「縮みたくて縮んだわけじゃないんだよ! んもーすっっごく怖かった! 臭いしキモいし怖いし痛かったしで最悪だっんだから!!」
「……鬼の話?」
「鬼の毒です」

そう。私より上背があった筈の善逸は文字通り縮んでいるようだ。
縮んだと言うか、手足だけ短くなっている。袖とズボンの裾がだらしなく弛んでいた。
その経緯を鼻水と涙と唾でグシャグシャにした顔で訴えてくる彼の話を咀嚼するに、おそらく血鬼術の一種でこのような姿になっているのだろうか?と、小首を傾げていると、きよちゃんがすかさず解説を挟んでくれる。
有難い。この、痒いところに手が届く感じ。

「先日の那田蜘蛛山で、善逸さん鬼の毒で四肢が縮んでしまって……あと、痙攣もあって一番重症だったんです」
「あの任務、善逸も参加してたの? 結構被害が出たって聞いてたから……」

那田蜘蛛山の任務と言えば、送り込まれた隊士がほぼ壊滅し、最終的に柱二人が召集されたと聞いた。十二鬼月を討伐したとも。
その過酷な任務に善逸も参加していたのか……。
手足が縮み、毒に侵されながらも懸命に戦ったのか。
いつも師範から逃げ回って、泣き喚いて、弱音ばかり吐いていた善逸が。

「頼もしくなったね、善逸」
「! へへ、まあ……それほどでもあるけどっ」

素直に弟弟子の成長を嬉しく感じる。
あの、弱音を吐いて泣き弱ってばかりだった善逸が、今では立派に鬼狩りとして任を全うしているのだ。
その当時を知っているからこそ、姉弟子として万感の思いだった。
……まぁ、相変わらずの所もあるようだけれど、それはそれで善逸らしさを感じられて安心する。
また師範に手紙を出そう。

「そういえばなまえさん、今日はどうしたんですか? お怪我でも?」
「ううん。大した怪我じゃないから治療は大丈夫なんだけど、軟膏が無くなちゃって」
「そうですか。すぐ新しい物を用意しますね!」
「ありがとう」

パタパタと駆け出すなほちゃんを見送って直ぐ、入れ替わりでアオイちゃんが姿を現す。
そして、私に縋り付いた善逸を見つけると「薬も飲まないで何してるんですか! また人様に迷惑をかけて、まったく貴方って人は!」と喝破し、私から引っぺがすと屋敷の中へ引きずって行く。
今日も、蝶屋敷は平和だった。

「うわーん! ヤダヤダヤダ!! なまえー!」
「さっきからそれしか言えないんですか!? 貴方が一番重症だって自覚あります!?」

善逸の往生際の悪さと言ったら相変わらずで、ここで手を差し延べたのでは治療にならないと割りきり、満面の笑みで見送った。

「頑張れ善逸! またお見舞いに来るから」
「本当に!? 絶対来てよ?」
「勿論。あ、私も早く戻らなきゃ! 今日こそ時透くんが帰って来るかも」
「え!? ちょ、時透くんて誰!? 聞いてないんだけど!?」

時透くんが帰って来たら今日の出来事を話したい。
大切な弟弟子が立派な鬼殺の剣士になっていたよ、と。
そしていつか、共に任務に当たれたらこんなにも喜ばしい事はない。

騒ぐ善逸の声を背中で受け止めつつ、なほちゃんから軟膏を受け取り、蝶屋敷を後にした。

20200201


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