――嗚呼、暖かい。
まるで、微温湯に浸かって漂っているような気分だった。
叶うなら、この心地良い温もりにいつまでも包まれていたいなと思う。

直にぼんやりと意識が浮上して、パチパチと何かが小さく弾ける音が耳に届いた。
私を包み込む温かさに身を擦り寄せ「ん、ぅ……」と、くぐもった声を漏らして身動ぐ。
薄暗い部屋を照らす、ぼうっとした明るさがまたその心地良さに拍車を掛けて、もう一度眠りに落ちようと微睡んだ時だった。
ピシャリと私の眠気を覚さんとする声が耳を打った。

「目が覚めたんならさっさと起きなよ。なに堂々と二度寝を決め込もうとしてるの」
「んあ? ……へ?」

背後から響いたそれは、良く知った変哲のない声だった。こうも感情が乗らない声音も珍しい。
その声につられて振り向けば、それこそ鼻先が触れようかと言わんばかりの至近距離に時透くんの顔があった。
途端に、ドクン!と大きく心臓が跳ね上がって、頬が上気する。
思わず、いつもの色気もクソも無い悲鳴を上げようとして、それは一足早く行動を起こした時透くんによって阻止される。素早く口元を手で覆われた。
学ばない私の端的な行動は、彼に把握されているらしい。

「喚かないで。五月蝿いから」
「ふ、ふみまふぇ……あふぉ、ふぁんふぇふぉふぉふぇ?」
「……」

時透くんは、言語の解読能力の限界を感じたらしく、私の口元を覆った手を静かに退かせた。
そんな面倒臭そうな顔をしなくたっていいじゃないか。

けれど、少し嬉しかった。
以前、鬼との戦闘において負傷した時、目を覚ましたら時透くんは傍に居なかったから。
今回は、傍に居てくれた。それが、たったそれだけの事が、私は嬉しくて嬉しくて堪らない。

「あの、時透くん……私、一体何が……確か崖から落ちて、それから」
「今はあんまり動かない方がいいと思うよ?」
「へ? ――っ!?」

取り敢えず、この近すぎる距離をどうにかしようと時透くんから離れると、指摘された言葉と共に、私の身体を覆っていた羽織がハラリと肩から滑り落ちる。
肌が冷えた外気に晒されて、身震いした。

時透くんから向けられる刺さるような視線が痛い。
その視線を辿るようにして視界に映った自分のあられも無い姿に、私は今度こそ色気の無い悲鳴を上げた。
隊服が、そしてあろう事かその下に着込んでいたシャツまでも、私の身体から消え失せていたのだから。

「ぎゃああああ!!」
「……五月蝿いな。だから動かない方がいいって言ったんだよ」
「ふっ、ふふふふ服が! ……ぶえっくしょーい!」
「(変なくしゃみ……)」

それを見兼ねてか、私は再び時透くんの腕の中へと引き戻された。身震いをしていた身体は再度心地良い温もりに包まれる。
斯く言う時透くんも諸肌であるから、さっきまで微睡んでいた暖かさと心地良さとは、成る程。人肌の温もりであったらしい。
それを認識してしまったら最後、心地よかった筈の温度は酷く熱く感じてしまう。

お互い全身ずぶ濡れてしまったばかりに、身体を覆う物が無い。
濡れた私の羽織を仕方なしに肩に掛けた時透くんが、意識を手放していた間、ずっと私の身体を冷やさないように背後から包み込むようにして抱き締め、暖をとってくれていたらしい。

「あのまま濡れた服なんて来てたら風邪引くでしょ?」
「そ、そう……ですね」
「誰かさんが鈍臭くて川に落ちるから」

干された隊服が二組。それを見て思い至った。
そういえば落ちる瞬間、誰かに身体を掻き抱かれた感覚があったのを思い出して――。

「……私を助ける為に、時透くんも一緒に飛び込んでくれたの?」
「君がそう仕向けたんだよ。白々しいなぁ」

という事は。私を助けてくれたのが時透くんであったのだとしたら、この荒屋へ運んでくれたのも、服を脱がせて身体を温めてくれたのも全部時透くんであったのだとしたら。
その過程で起こるあんな事や、こんな事。あられも無い姿までも……考えたく無い事が脳内を埋め尽くした。

「色々とご迷惑をお掛け……しまして……」
「うん。別に何とも思わなかったから平気」
「……」

嬉し悲しい。悲喜交交。

背中には時透くんの温もりが、耳元には彼の息遣いが。時透くんをこんなにも近くに感じられる。
濡れた長い髪が肩に触れていて擽ったい。
私は恥ずかしさのあまり出来るだけ身を小さくして、早く隊服が乾くのを一心に願いながら焚き火の揺らぐ火を見ることだけに集中した。

「耳まで真っ赤」
「……っ、だって、恥ずかしさのあまり、死んでしまいそうですから」
「なんで敬語?」
「き、気のせいであります!!」
「ふーん。……さっきは死に損なったもんね」
「そ、そうで御座いますね!」
「日本語大丈夫?」
「――っ! と、ときと……くん」

状況把握に時間が掛かる。
今、私の身に何が起こっているのだろうか?
背中に感じていた僅かな温もりが、今はどうだろう?きつくきつく抱き締められている。
他の誰でも無い時透くん、その人に。私が恋情を寄せて止まない愛しい男の子に――抱き竦められている。

「お願いだから、無茶しないで。心臓止まるかと思った」
「え?」
「命なんて賭してくれなくていいって言ったよね?」

言った。彼は以前、継子にする条件として、確かにそんな事を私に言った。
だから、そんな心持ちでは絶対に私を継子にしないと言った。
その言葉で私はどれだけ腐心した事か。どうすれば貴方の傍に置いてもらえるのか、どれだけ考えあぐねたか知れない。

「ねえ、どうして急に離れていくの?」
「そ、それは……」

出来るなら、叶うなら、私だって時透くんの傍にいたかった。
けれど、無理だった。
だって私は、抱くべきでない感情を貴方へ抱いた。
そどうせ叶わない願いだ。けれど、まだその小さな芽を摘みたくはない。
決して、花が咲く事が無くても。
蕾にすらならなくたって。
まだその小さな小さな芽を踏みにじって、無かった事だけにはして欲しく無かった。

我が儘で、どうしようもない欲張りな人間なのだ……私は。

「やっぱり煉獄さんがよかった?」
「ち、違うよ!!」

時透くんがあまりに見当違いな発言をするから、私は思わず振り返った。
再び至近距離で視線が交わる。
これには少し時透くんも驚いたようで、茫洋とした瞳を瞬かせる。

「そう、じゃない……だって、私は……」

私は今更何を口にしようとしたのか。言ったところで、どうなるわけでもないのに。
むしろ嫌悪されて、それで終わりだ。
それこそ生きていけない。時透くんにそんな反応を抱かれてしまったら。

「じゃあ、何で?」
「えっと……ちょっと時透くんに甘えすぎたかなって!」
「なにそれ。今更すぎない? はい、却下」
「へっ?」

き、却下……!?
まさかの返答に私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
いや、確かに私は嘘をついて誤魔化してしまったけれど。

「次は?」
「つ、次? ……ええっと、も、もう一度自分自身を省みようかと思いました……」
「それ、今しないといけない事なの? 僕から離れてまで? 納得いかないから却下。はい、次」
「ええっと、ええっと……」
「はい、却下」
「う、あ、待って」
「却下」

却下。あれもこれも却下、却下、却下。
またしても、時透くんのお気に召す返答では無かったらしい。
終いには、何か言う途中で却下された。もう何なの、一体。

「まだ他に何かある?」
「……ない、です。多分」
「僕はなまえに、僕の継子になるよりも重要な事が他にあるのかって聞いてるんだけど?」
「へ……?」

その言葉に、私は視線を逸らした。昔から疾しい事がある時、私はいつも斜め下へと視線を逃す。

あるよ。ある。
私はこの恋心を選んだのだから。あれだけ焦がれた継子の席を明け渡してまで、こんな色ボケした感情を選択したのだ。

けれど、逸らした視線の先に映し出された“もの”に、私はまたしても心をきつく握り締められたような感覚を覚えた。
涙が出そうだ。苦しい。
足手纏いだと遠ざけられて、邪魔だと邪険にされたとばかり、思っていた。
右足首へときつく巻かれた手拭いが、彼の心遣いが、こんなにも嬉しい。

「駄目だよ、目を逸らしたら」
「……っ!」
「僕に言うこと、あるでしょ?」

時透くんの両手が私の頬を包み込んだ。もう逸らせない。逃げられない。
だってもう、私の心は時透くんへの想いで溢れて止まらないのだもの。

「と、時透くんが……好き、なの……」
「!」
「でも、こんなのくだらないって……必要ないって、気色悪いって時透くんは思うだろうから……でも、それを時透くんの口から聞きたくなくて……それで」

だから、受け止めてくれなくていい。ただただ許可が欲しい。
関わらないようにするから、どうか、思っていていいって。勝手にしろって、言って欲しい。

「だから……離れたの? 僕から?」
「……時透くん、あの――っ、」

私は幾ら長く時透くんと時間を過ごしても、彼の思考を読む事は出来なかった。
それはきっと彼も同じであったと思うけれど。
少なくとも、恋心を守る為に継子を諦めるなんて事、時透くんには到底理解が出来なかっただろうから。
だから、私も分からない。
どうして今、時透くんは私に口付けたのか。その理由も、心の機微も。

「ちゃんと、話して」
「っ、」
「君のことだから、きっと一人で空回って、息巻いて勝手に自己完結したんだろうけど。これからは、絶対に話して」

「じゃなきゃ、許さない」と、彼は言った。

「欲張っても……いいの?」
「今更だよ、そんなの」
「時透くん、時と、くん……」
「ほら、ちゃんと言ってよ。なまえはどうしたいの?」

望んでいいのなら。全てを、望んでしまっていいのなら。

「わ、私……時透くんの継子になりたい……!」
「うん」
「それから……」
「それから?」
「時透くんの傍にいたい。……時透くんが、大好きなの」

わんわんと声を上げて泣いて、顔から出るもの全てを垂れ流しながら感情を吐露した。
その様を時透くんは酷く冷め切った目で見ていたけれど、最後には「仕方がないなぁ」と言って、私を腕に抱いてくれたのだった。

***

「と、時透くん待って……!」
「歩くの遅いんだけど。僕、前もって言ったよね? 今日は回る地区を決めてるからって。そんなにちんたら歩かれると日が暮れるんだけど。置いてけぼりにされたく無かったらさっさと歩いて」
「は、はい! ……えっと、師範!」
「……」

時透くんは、酷く嫌悪感を滲ませた顔で此方を見た。
どうやら、この呼び方はお気に召さないみたいだった。

「その気色悪い呼び方はやめてって言わなかった?」
「だって、私は時透くんの継子だし、普通じゃないの?」
「呼び方、教えなかった? 君は僕の“継子だけじゃない”でしょ?」
「!」

いつも通り変哲もない声音で時透くんは言う。
一応肩書きは変わった私達だけれど、その素っ気ない態度と口調は特にこれといって代わり映えしない。
けれど、然りげ無く彼が口にする言葉が確かに私達の関係性に変化を思わせる。
私は、時透くんに催促された言葉を少し気恥ずかしく思いながら口にした。

「う、うん! 無一郎くん……無一郎くん!」
「何?」
「うへへ……無一郎くん」
「その笑い方どうにかならないの?」

私は、時透くんの目を盗んでこっそり彼の手に自分のそれを重ねようと伸ばした、まさにその時だった。
ここは町の往来だと言うのに何処から見ていたのか、空の彼方から黒光りする何かが此方へ向かってもの凄い勢いで飛んでくる。
そして、ドゥルルルルル!!と私の額に嘴を突き立てんとし、襲いくる――銀子ちゃんだった。

「悪鬼滅殺、悪鬼滅殺ゥゥウ!」
「ぎ、銀子ちゃん、私は悪鬼じゃないから……! 仲良くしよう! ね!? ……イダダダダ!!」
「なまえ滅殺ゥ、滅殺ゥゥウ!」

時透くん大好き至上主義である彼女の怒りは頂点に達してしまったらしい。
事あるごとに私の額を狙ってくる。これもまた日常と化している光景であった。
「フン!」とそっぽを向いて、また何処かへ飛び立った。
私が銀子ちゃんと仲良くなれる日が来るのは当分先のようだ。

「痛い……私の額、いつか本当に穴が空くよ……」
「いっそ、空いてみたらいいんじゃない?」

突かれた額を涙目で押さえる私の、もう片方の空いた手を、時透くんはさりげなく引いてくれる。
その優しさに私は頬を染めて驚いていると、彼は悪戯に“んべ”と舌を出した。
それはまるで、私の行動なんて全てお見通しなのだと言わんばかりに。

私は、死に損ない継子志願隊士から、果たして、霞柱・時透無一郎の継子兼恋人という夢のような、けれど確固たる立場に昇格出来たのだ。

後日、時透くんは、こんな筈ではなかったのだと、とんでも発言をしてくれた。
ともすれば、継子に止まらず恋人になれた現状は奇跡だとしても過言じゃない。
それなら……と、必然的に沸き上がった疑問を時透くんに投げ掛けてみる。

「ねえ、そういえば何で私を居候させてくれたの?」と問うと、彼は答えた。
いつもの芒洋とした瞳で「うーん、何でだろう?」と、小首を傾げながら。
決してロマンチックな台詞は返ってこないと分かってはいたが、しかし、何処までも彼らしい、それは返答だと思う。
霞がかった彼の記憶の前では、総じて“そういうもの”らしいので。

「どうでもよかったから、忘れちゃった」

Fin.
20200415


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