『恋だから』

ここ最近の悩みであったこの苦しみの正体を、善逸はズバリ一言で解決に導いた。
これは肺の痛みなのだと頓珍漢な事を言う私に、お門違いも甚だしいと助言した。
胸の痛みで、即ち心の痛みで――果たして私は、時透くんに恋情を抱いているのだと善逸は言った。
でも、私はそれを素直に受け入れられずにいる。
これは、恋ではない。恋であってはならない。
何故か……なんて、そんな事は甚だ愚問だった。

最近、漸く時透くんの継子にしてもらえそうな兆しが見えてきたのだ。
それを、こんな邪で、鬼を狩る上で必要のない邪魔にしかならない感情を……しかも上官である時透くん相手に抱くなんて言語道断。
万が一、こんな浮ついた気持ちを彼に悟られてしまったらどうなる?
あの時透くんの事だ……きっと気色悪い事を言うなと辛辣な言葉を浴びせられて、そんな事に現を抜かす暇があるのかと罵られ、実におめでたい頭だと見下げられ、終には見放されてしまうだろう。

とどのつまり、継子の道は閉ざされてしまう。

もしも、この感情が、この胸の痛みが、善逸に指摘された通りに時透くんへの恋情で恋慕だったとして。
幸いにも私は、まだこの気持ちに関して確信のようなものは得られていない。
胸の苦しみも、高鳴る鼓動も、言われてみればそうなのだろうか?程度に留まっていられる。
今ならまだ、引き返せる。何も無かった事に出来る。勘違いで済ませられる。
そうすれば今まで通り継子志願者として、尊敬する時透くんの傍に居られる。
私が望むのはそれだけだ。私の願いはそれだけなのだ。

だから知りたく無い。知らなくて、いい。

徐に隊服の袖をたくし上げ、手首を見る。
先日、時透くんに付けられた鬱血痕は、すっかり無くなった。綺麗さっぱり消えて無くなって、ホッと息を吐いた。

「良かった……」

あれには随分と悩まされたものだった。
任務中、日常生活を送る最中、視界に入る度にあの日の事を思い出してしまって堪らなかった。
こんなもの無くたって、私は時透くんの事を忘れないのに。誰と居たって、何をしていたって私の願いはたった一つ。貴方の継子にしてもらう事だけだもの。
だから、やっぱりこんな想いを秘めておくわけにはいかない。

ねえ、時透くん。全部気のせいにするから。
必ずこんな感情、無かった事にしてみせるから。
だから、まだ望みを抱いていてもいいよね?

私は祈るような気持ちで、痕が消えてしまった箇所を指で撫でた。

「ああ、消えちゃったんだ? 僕が付けた痕」
「ぎゃあああ!」

突然背後で声がする。正確には耳元で、声がする。
直後に、にゅっと肩から時透くんの顔が生えて、私は絶叫した。
肩に顎を乗せ、手首を掴みながらいつもの感情の籠らない口調で変哲もなく言うから、私は危うく口から心の臓がまろび出るところだった。

「(……あ、逃げた)五月蝿いな。いきなり耳元で大きな声を出さないでくれる?」
「と、時透くん……何でそこに――い゛! あ゛!」

慌てて時透くんに掴まれていた手を払って距離を取ると、勢い余って棚にゴチン!と後頭部をぶつける。
そして、泣きっ面に蜂とばかりに、棚の上にあった救急箱が頭上目掛けて落下して、再びゴチン!と鈍い音を立てて脳天に直撃したのだった。
堪らず私はその場に頭を抱えて蹲った。痛い。ただただ痛くて堪らない。

「何でって、此処は僕の屋敷なんだから戻ってくるのは普通でしょ?」
「ソ、ソウデスヨネ」
「何? その変な喋り方。何でこっち見ないの? 僕をおちょくってる?」

私は時透くんから目を逸らして言った。先程の心の葛藤も手伝って、思わず片言になってしまう。
なので、決して時透くんをおちょくってなどいない。
あえて言葉にするならば、これは不可抗力だ。

目線こそ合わせていないものの、逸らした視界の中に時透くんの隊服と、色変わりをした毛先が映り込む。
頭部の痛みに蹲る私の視界に時透くんのそれらが映り込むのだ、即ちそれは、時透くんが私の目線の高さに合わせてしゃがみ込んでいると言うこと。

「そ、そういうつもりじゃ……」
「じゃあ、どういうつもり?」

目を合わせるのが少し怖い。
善逸に指摘されて、自分の気持ちを再び心の奥深くに押し込もうと決めたばかりなのに、いざ本人を前にして、言葉を交わせば否応にも意識してしまう自分がいる。
今、顔を上げれば何かが変わってしまいそうな気がしてならなかった。
この状況をどう切り抜けようかと、無い頭を懸命に働かせて考える。
しかし、それは不意に頭へ乗せられた手によって停止する。全てを瞬時に取り上げられた。

「――っ!」
「鈍臭いなぁ。そんなに痛いの? ちょっと見せて」

溜息と共に時透くんの手が頭に触れて、途端、トクン……と淡い音を立てて心臓が跳ねる。
あの時と同じだ。胸が苦しくなって、脈拍がぐんと上昇して、息をするのもままならなくなる。

『それ、恋だよ。なまえ、好きなんだよ霞柱の事。だからそんなに“胸”が苦しいの』

「や、やめて……!」
「!」

私は、思わず頭に乗せられた時透くんの手を払ってしまった。
はたと気付く。そこにどんな理由があれど、こんなにもあからさまに、私の方から時透くんを拒んだのは初めてだったかもしれない。

絡まった視線に、私の心が悲鳴を上げる。
驚いたように双眸を見開いた時透くんの表情が、鮮烈に私の視界へと映り込んでいた。

振り払った手に、悪意なんて微塵もなかった。信じて欲しい。
けれど、こうするしか他に無かったのだ。

今更、そんな風に優しく触れないで欲しい。
忘れられなくなってしまう。
一度は手放すと決めた心が揺らいでしまう。
これ以上、思い知りたくはない。

「あ……ご、ごめん……時透くん」
「……」

一瞬伸ばしかけた手を、私は躊躇いがちに引っ込めた。
触れるのさえ、憚られる。
もう、どんな風に時透くんと言葉を交わせばいいのか分からないくらい、私は、感情を拗らせてしまっていた。

「でも、もう……こういうの止めて、欲しい」
「どうして?」
「だって、こんなの、意味がない、し……必要がないよ」

触れられる度に私は、貴方に抱く思いが大きくなってしまう。
貴方が見下す感情を、抱かずにはいられなくなる。
隠せなくなる。側にいられなくなる。
そんなのは嫌だ。
――嫌だ、嫌だ、嫌だ。

「……ねえ、誰に何を吹き込まれたのか知らないけど、その程度で僕の事を拒んだつもりでいるなら、考え直した方がいいんじゃない?」
「え、――っ!」

不意に伸びてきた手で頬を包み込まれ、強引に顔を上向かされる。
視界一杯に広がった中性的な時透くんの顔は、相変わらず無表情であって、私に感情を読み取らせてはくれなかった。
時透くんがこんな表情で私へ口付ける時は、大体機嫌が悪い。
拒んだ私への憂さを晴らすかのように重ねられた唇が、抑え込んでいた私の心をこじ開ける。

「……ん、ふぅ……は、ゃだ」
「はぁ……うるさいな……少しくらい、黙っててよ――」

一瞬離れた唇で紡ぐ言葉は、精一杯の懇願だった。
それでも、角度を変えて塞がれた唇に私の言葉は全て飲み込まれてしまった。
どうか、これ以上暴かないでほしい。
どんなにそれを願っても、時透くんに触れられる度に私の身体は熱を帯びてしまって仕方がない。
嫌では無かった。寧ろ、もっと触れたいとすら思ってしまった。
知りたく無かった。本当の気持ちなんて。

「どうして拒むの?」
「と、きと……くん?」
「散々尻尾振って、まとわりついて。口付けだって何度も受け入れといて。今更触るなだなんて、どの口が言ってるのかと思って」

何の話をしているのか、分からない。
時透くんが、何を言いたいのか分からない。
でも、確かに分かることは、私はもうこの感情から逃れられないと言う事だ。

視界が滲んで、時透くんの顔が見えなくなった。
それは私の感情が溢れた証拠だった。

「……何で泣くの。泣く程嫌だってこと?」
「……め、る」
「え?」

もう、初めみたいな純真な心ではない。
思い知ってしまった。

――私はただ、貴方の継子になって傍に居たいだけだった。

あわよくば、いつもみたいに嫌味がほしい。
たまには優しげな表情を浮かべて誉めてくれるだけでいい。
そんな日々が欲しいだけだ。
隣にいたい、それだけだった。

「もう、時透くの継子……や、める」

せっかく兆しが見えていたのに、自分の手でそれを棒に振った。
だって私は、貴方に恋をしてしまった。
ちゃんと離れるから。もう、まとわりつきはしないから。
だからどうか、貴方が一番毛嫌いするであろうこの感情を抱く事を許してほしい。

20200412


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