あまりに突然の事だったので、状況を把握するのに手間取ってしまう。
そんな私に対して、やはり流石と言うべきか、時透くんは既に日輪刀を構えていた。
仲居さん姿で刀を構える違和感と言ったらないが、こんな不測の事態でも直ぐに対処出来るように刀袋で帯刀していたのかと驚く。
そして、時透くんはその素晴らしい反射神経を遺憾なく発揮して一度は部屋の外へと追いやった私を再び引き戻し、己の胸元にぎゅうっと押し付けるようにして爆風から庇ってくれた。
その行為に何の意味も無いのに、私の心臓はバクバクバクと暴れまわって、今何をすべきかその判断に遅れを取ってしまう。

「……ちょっと、いつまで縋り付いてるつもり?」
「うおわ! ごめん!」
「色惚けしてる暇があるなら早く刀を抜いてよ」
「は、はい! ……あ、」

判断が遅い。そんな風に叱咤された私は慌てて時透くんから離れて左の脇腹を探る。
しかし、私の手は呆気なく空を切った。スカッと清々しいくらいに空ぶった。

「時透くん」
「何?」
「日輪刀……部屋です」
「……」
「……うへへ」

時透くんは、ゴミか何かでも見るような目で私を見た。無言が恐ろしい。
一体お前は何をしに来たんだよ?煉獄さんと仲良く温泉にでも入りに来たのか、夫婦宜しく。そんな無言の重圧をかけられたような気がして、私の精神はひしゃげる数秒前だった。

「そんな事だろうと思ってた。……!」
「ははは、すみませ――っ!?」

時透くんは散々私の精神を鑢の如くザリザリと削った後、不意に何かを感じ取って、庇う様に再び私を胸に抱き、壁際にぎゅうっと押し隠す。
性懲りも無く、私の心臓は再び暴れだす。何でこんなにも苦しいのだろうか。
これが時透くんの腕の中だと思うと――嗚呼、息も出来ない。

「なまえ」
「……」
「なまえ! ちょっと……聞いてる?」
「あ゛! これから聞きます!!」
「本当、いい加減にしてくれない? あまり時間はないから、迅速に動いて」

時透くんは右に左に瞳だけを動かせて状況を判把握する。鬼の気配が近くに迫っている。それも一体じゃない。でも、少し変な気配も混じっているような。
時透くんはこんな時でも淡々と冷静に私に指示を出す。

「鬼は、僕と煉獄さんで対処するから、なまえはこの旅館にいる人達を守って。それくらい出来るでしょ? 僕の継子になりたいなら、それくらい全うして見せてよ」
「は、はい! 任せて!」

“僕の継子”
その言葉がどれ程心強かったか知れない。
まあ、実際まだ継子ではないけれど、でも、今までで一番の希望に満ちた言葉だったように思う。

「(嬉しそうな顔……)」
「時透くん? ――イダダダダ!」

何を思ったのか、時透くんは私の頬を抓った。ぎゅうっと。
しっかりと肉の付いた私の頬はさぞかし抓りやすかった事だろう。
困惑の眼差しを彼に向けると、相変わらずの無表情だった。

「そんなだらし無い顔は、僕の前だけにしておいて」
「何で抓って……?」
「分かったの?」
「わ、分かりました(あんまりよく分からないけれど)」

思い返してみれば、今日は時透くんにぞんざいな仕打ちを受けてばかりだ。
額を突っつかれて、手首に吸い付かれて、仕舞いには頬を抓り上げられる始末。

「それじゃあ、くれぐれもヘマしないようにね」

言うが早いか、伸びる手が早いか。
時透くんは私の浴衣の襟首をむんずと掴んだ。そして、次の瞬間私の身体は宙を舞う。
放られた。放り投げられた、時透くんによって。
投られた方向には私が煉獄さんと宿泊していた部屋がある。
成る程。さっさと日輪刀を持って自分の仕事をしろ――そこにはそんな意図が隠されていた。

放られた瞬間、時透くんと視線が交わる。
「少しくらいは期待しててあげるから」と小さく言った彼の声が耳に届いて、私は受け身を取る。
己を奮い立たせ、床を蹴って部屋に駆け込む。

不思議だ。たった一言、時透くんに言葉を貰えるだけで、私はこんなにも頑張れる。
やっぱり時透くんは特別だ。格別だ。
ほんの少しでも構わない。私は必ず彼の役に立って見せる。

***

あれから、旅館に巣食っていた鬼は直ぐに退治された。
異能の鬼ではあったが十二鬼月だったわけでは無かった。何せ、柱が二人もいたのだから当然の結果だと言えた。
時透くんの指示通り、煉獄さんと時透くんの二人が鬼を切り、私は人々の安全確保に務めた結果、大事にはならず、爆風の衝撃で負傷した人はあれど、鬼の被害で亡くなる人は出なかった。

隠の方たちが事後処理を行う様を見ながら、安堵の息をつく。

「なまえ! 無事だったか」
「あ、煉獄さん……! お疲れ様でした!」

未だに名前呼びのままだった。
煉獄さんは、あまりに自然に名前を呼ぶので私もなんともなく返事をしまった。

「旅館の宿泊客を守ったそうだな。怪我人も出ず、無事に鬼も退治出来た。なまえの働きのお掛けだ。礼を言わせて欲しい」
「い、いいえっ! 私はただ必死で駆けずり回っていただけで……誉められるような事は、何も」
「謙遜しなくてもいい。君はよく働いた。君のお陰で救われた命が多くある」

嘘偽りのない煉獄さんの言葉は私の心に響いた。
素直に嬉しいと思う。
「感心、感心」と言って、ポンと頭に乗せられた手がくすぐったくて、心地良かった。

「私も、煉獄さんのお手伝いが出来て良かったです。沢山学ばせて頂きました」
「うむ! 夫婦役と言うのもなかなか新鮮でよかったな!」

学ぶって、そういう意味じゃないんだけれど――と思いつつ、苦笑する。

「時透の元で、励むといい。君はきっと強い剣士になる!」
「あ、ありがとう御座います……!」
「それから、気が変わればいつでも俺の元に来なさい。遠慮はいらない。君が望めば、俺はいつでも君を受け入れると約束する!」

不覚にも、その力強い言葉と、意思の籠った眼差しを前に意識を丸っと取り上げられた。
今の私は、意識も視界も煉獄さんに支配されている。

「ちょっと煉獄さん、なまえを口説かないでもらえますか?」
「っ、時透くん……!」

けれど、次の瞬間には私の意識は引き戻される。
他の誰でもない、時透くんによって。

「それは悪かった! 口説いたつもりは無かったが、やはり口惜しくてな!」
「なまえは面倒くさいよ? 寝相は悪いし、料理は壊滅的で人を殺せそうだし、急に変な事を叫ぶし……余所見ばかりするし」
「と、時透くん……それは流石に精神的に来るから……」

何かと思えば、ひたすら悪口を吐かれた。尊敬する煉獄さんに向かって、あまり公言されたくない事を垂れ流される。
おろおろしながら、時透くんの隊服の裾をひいた。
もう、よしてくれないか。そんな風に。

「でもね、そんな手が焼けるなまえを扱えるのは僕だけだから」

時透くんは、相変わらずの無表情で言う。
その言葉には、あまりに不釣り合いな顔をしていたと思う。

「なまえは、あげない」
「むう、……ははっ、そうか! そこまで言い切られてしまったのでは致し方なし!」

「だそうだぞ?」と、煉獄さんに話を振られた直後、私はまたもや卒倒した。
時透くんのその言葉は、言うまでもなく私の許容量を大幅に超えてしまったのだ。

「なまえ!」
「大丈夫です、放っておけば。いつもの事だから」

20200407


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