僕の名前は時透無一郎であって、断じて時透むい子では無い。
ついでに言えば、改名した覚えもない。

よくもやってくれたな、と思う。
誰に対してかなんて、語るまでもなく宇髄さん一択だ。面白がって、よくもまあこんな仕打ちをしてくれたなと思う。
それと同時に彼の任務の助けなんて、金輪際お断りだと思えるくらい、僕は今回の件に関して思うところがある。

いくら潜入調査だからって、僕が小柄で中性的な顔立ちをしているからって。
女装をして、薄っすら化粧を施して、剰えおまえは今日から時透むい子だなんで改名された日には、色々と限界というものがあってさぁ。
何で僕が旅館の仲居になんて扮さなきゃならないのか、得心する理由を述べてくれないかな?
まあ、どんな口舌を垂れたところで僕の腹の虫はおさまりはしないけれど。

とは言え、流石というのか宇髄さんが目を付けていただけあって、確かにこの屋敷は変だ。
外観やら内観やら、そこで働く人々がどうというのではなく、人でない気配が微かであれど混じっている。それこそ調べ甲斐はある。大事に発展する前に芽を摘んでおくにこした事はない。
仲居に扮して紛れ、必ず尻尾を掴んでやる。じゃないと割に合わないよね。こんな馬鹿馬鹿しい格好をしているのだもの。

見習いという名の一番下っ端の立場で潜入しているからか、この旅館は人扱いが荒いのなんのって。
何度も言うようだけれど、僕は仲居になりたくて此処に来たわけじゃない。情報収集をしに来ている。むい子じゃない。無一郎だ。
こんな所、さっさと鬼の情報を手に入れて去ってやる。
そんな思いをを腹の底に抱きながら、指示された替えの浴衣を手にして、なんの気無しに――そう、本当に偶々僕は受付の台帳へ目を向けたのだ。

そこに記された二人分の氏名に、僕の視線は釘付けになる。
瞬きを忘れてしまうくらいに、大きく大きく双眸を見開いて。

【煉獄杏寿郎・煉獄なまえ】

「……は?」

いや、誰?と言うか、煉獄なまえって何?何の冗談?
いつの間に嫁いだんだよ。僕はそんな事一言も聞いていないんだけど。

本当、彼女は逐一僕を煽るのが上手だな。
それはある種の才能のようだ。

これは是非、直接言祝いであげなきゃいけないなと思って、僕は受付を離れた。
時透むい子は今、頗る機嫌が悪い。

*** 

それから僕が取った行動は至って簡単明瞭だった。
まず、なまえと煉獄さんが泊まる部屋を調べて、その部屋に隣接した未使用の部屋に待機。
呑気に温泉から上がって来たなまえを捕獲するというもの。

「うおわ……!?」

色気もクソも無い声を上げるなまえを捕まえた。
腕を掴んでしまえばこちらのもの。勢い良くその腕を引いて空き部屋に引き摺り込むと、壁に追いやって素早く戸を閉める。
あまりに一瞬の出来事であったからか、なまえは一体自分の身に何が起こったのか状況を把握するのに時間を要しているようだ。

「な、何!?……え? 時透くん……に、よく似た女の子?」
「そんなわけないでしょ。本人だよ。言っておくけど、こんな格好したくてしてるわけじゃないから」
「そ、そうなんだ? 奇遇だね、こんな所で会うなんて。あ、でもよく似合ってるよ?」
「……」

そんな風に褒められたって嬉しいわけが無いだろう。男であるのに女装姿を褒められて礼なんか言う奴が何処にいるっていうんだ。
僕は無言で訴えてみた。
いや、そうではなくて。僕が態々彼女を待ち伏せて、空き部屋へ引き込んだ理由は、断じてこの姿をお披露目する為ではない。
僕はなまえを真っ直ぐに見ながら口を開く。あくまで冷静に。いつも通りの僕であるように。

「いつからなまえは煉獄さんのお嫁さんになったの?」
「う、」
「煉獄なまえって何?」
「あう、」
「僕そんな事ひとっ言も聞いてないよね?」
「うう、」
「ねえ? 黙ってないで何とか言ったら?」
「うえ、」

ドス!ドス!ドス!ドス!と、一言告げる毎に彼女の額を人差し指で逐一突っつきながら問い詰める。
詰問する僕に、彼女は突かれた額を手で庇いながら戸惑い気味に口を開く。
失言は許されない状況下だよ?さあ、どうする?

「ち、違っ! これには訳があって、杏寿郎さんの任務で……」
「! ……は? “杏寿郎さん”って。随分と仲良くなったものだよね」

継子にしろってしつこいくらい僕に纏わりついてくるくせに、僕はまだ一度だって“無一郎くん”と呼ばれた覚えがないんだけれど。
そんな事はどうだっていいんだ、今は。どうだっていいのに。
「苛々するな……」と、ボソリと独言ちて、なまえの顎へ指を掛け、顔を寄せる。
鼻先が触れるか触れないかの際どい距離にまで顔が迫った時、それを拒み、遮るように口元を両手で覆われた。
中々の反射神経だと褒めてあげても良いくらいの、それは早技だった。

「……ちょっと、何のつもり?」
「こ、こっちの台詞……だよ」
「なんで泣きそうな顔するの?」
「……っ、」

モゴモゴと覆われた口で喋る。額の青筋が、彼女には見えていないのだろうか?
なにそれ。何でそんな苦しそうな顔をするのか僕には分からない。
ああそう、僕に口付けられるのが、そんなに嫌なのか。

「ココニホン! サムライ! ニンジャ!!」
「……ちょっと何言ってるのかわからないんだけど」

くわっ!と目をひん剥いて、物凄い形相で訳のわからない事を片言で叫ばれた僕は一体どうしたらいいのだろう?
その奇行と言ったら、頭が湧いているとしか思えない。
拒んだかと思えば泣きそうな顔をするし、意味の分からない事を叫ぶし、僕にはお手上げだった。

「……だって、挨拶なんでしょ?」
「は?」

なまえは僕から目を逸らして、また懲りもせず訳のわからない事を言った。
ゴニョゴニョと独言とも取れそうなそれを理解してあげたいなどと思える程、僕には寄り添ってやれる心根の優しさはない。
――特に今は尚の事。
拒まれた事で、静かに……そして沸々と苛立ちは増幅しているのだ。

無駄な抵抗なんてさっさとやめて、僕に触れさせたらいいのに。
そうしたら、この苛立ちは少しぐらい落ち着くと思うのだけれど。

「うぎゃ!?」

いつまでも僕の口を覆う彼女の手が窮屈で、邪魔以外の何物でもなくて、ベロリと掌を舐めると彼女は慌てて手を退ける。やっぱり、色気もクソもない声だった。
気取られている隙に、今度こそ彼女の唇を塞ぐ。抵抗なんて許さない――そんな風に。

「ふ……ん、ぅ……時と、く」
「……っ、は……」

離れた唇が“時透くん”と囁くから、折角解放してやろうと思っていたのに、角度を変えて再び唇を重ね合わせた。
この間から僕はなまえ相手に一体何をやっているのだろうか……?
何をそんなに、ムキになって。

「……顔、真っ赤なんだけど」
「だって、それは……時透くんが、」
「女の格好した僕に口付けられて照れるなんて、本当になまえは変態なんじゃない?」
「んな!?」

心外だと言わんばかりにわなわなと打ち震える彼女を見て、快哉を叫ぶとまではいかなくとも、少しだけ胸がすいた。
そして、駄目押しとばかりになまえの腕を取った。

「え? 時透くん……?」

今度は何をされるのかと困惑した表情で僕を呼ぶなまえを気にも留めず、彼女の細い手首を口元へと運んで、唇を寄せる。
ちゅ……と、柔肌を確かめるように短く口付けると、彼女は微弱な刺激に小さく肩を震わせた。
その反応を視界に捉えながら、直後、そのままきつく吸い上げる。
なまえはその刺激に顔を顰めた。

離れた唇の下に浮かび上がった鬱血痕は、白い肌に良く映えている。

「な、なななっ、何て事を……!」
「良かったね。煉獄さんと一緒にいる時もこれを見る度に僕の事、思い出しちゃうね」

んべ、と悪戯に舌を出す僕と、白目を剥くなまえ。
なまえは許容範囲を逸脱した僕の行為に目眩を起こし、その場にへたり込む。

「ほら、浮かれて温泉入って浴衣に着替える暇があるなら、早く任務をこなしなよ。此処は部屋数があって手間なんだから」
「い、言われなくても分かってるよ……」

これでやっと気が済んだ僕は、彼女を部屋から追い出そうと背中を押した――まさに、時だった。

「――っ!」

咄嗟に彼女の襟首を鷲掴んで部屋に引き戻す。
直後、ドオオオン!と大きな音がして爆風からなまえを庇うように腕に抱いて回避する。まるで旅館全体が大きく揺らぐような衝撃だった。

「(――煉獄さんかな)」

探す手間どころか、僕がなまえと戯れていた隙に常態は大きく変わっていたようだった。
僕だって霞柱だ。遅れを取るわけにはいかないと、肩に掛けていた刀袋から日輪刀を取り出した。

20200401


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