朝、目が覚めると視界に映り込んだ手が一回り小さくなっているのを見て、嗚呼、僕は漸くあの忌々しい血鬼術から解放されたのだと安堵した。
たった二日間の出来事ではあったけれど、確かめるみたいに手を何度も握って開いてを繰り返せば何処がどうと言うわけではないが、酷く懐かしいような気分になった。

「(ああ、しっくりくるな……)」

掲げた手から視線を横へ移すと、右の鼻穴へカピカピになった鼻血付きの栓をしたまま眠る間抜けた寝顔があって、僕は言葉を発する事を暫しの間忘れ、ソレを観察していた。
そういえば、結局僕は血鬼術を受けていた間の事をしっかりと覚えているなと思った。
術が解けた後でも昨日の事が鮮明に蘇る事から、胡蝶さんが危惧していた記憶に関しての云々かんぬんは平気だったみたいだ。
翌朝を迎えた僕に残った物は、目眩くなまえとの忘れ去りたいあんな事やこんな事をしでかした昨日の思い出。
総括すると、昨日の僕はどうかしていた。

それはそうと、どうして僕がなまえと一緒に寝ているのか気になるって?知りたい?

まあ正直、そんなのは僕だけが知っていればいい事なんだけれど、結論から言えば別に僕と彼女の間に何かイイコトがあったわけでは無い。決して、無い。
どちらかと言えば僕は被害者である。
僕は彼女の抱き枕になった覚えは無いのだから。

頬杖をついてその不細工な寝顔を眺めながら髪を梳くと、なまえは微睡ながら僕の名前を呼ぶ。
不思議と悪い気はしなかった。

「ん……時、と……くん?」
「おはよう」

「おはよう」と、寝癖の付いた爆発頭でえへらえへらと笑む。鼻栓も手伝って、締りのない顔に拍車が掛かっていた。
そこから僅か三秒後。意識が覚醒したのか、彼女は声にならない声を上げて跳ね起きた。なんて今更なのだろう。
鼻息を荒くするから、鼻栓がポン!と抜けて勢い良く此方へ飛んできた。汚っいなぁ。
朝っぱらから騒がしいことこの上ない。

「え!? あ、え!? 何で一緒の布団で寝て……?」
「言っておくけど、誘ったのは君だからね」

別に何もしてないないけれど。
僕が君の抱き枕になった以外は。

「え゛!? さ、誘っ!? ……あ、時透くん元に戻ったの?」
「お陰様で」
「そ、そっか! ……そっか。よかった。うん、よかったね……」
「……」

散々騒ぎ立てた彼女は、元に戻った僕の姿を視認するなり、何やら少し残念そうな顔をした。
あからさまに静かになって、目を逸らして寂しく笑う。

――何それ。十四の僕じゃ不満なの?

何故か、彼女の反応に対して腹の底にふつり……と、感情が湧く。
気泡のように、コポコポと。少しずつ、それは湧き上がって来た。

「そう言えば、誘うって何!?」
「……」
「私やっぱり昨日、あれから……やらかしたのかな?」
「……」

昨日はあれだけ僕に対してどぎまぎして、ろくに目も合わさず、しどろもどろだったくせに。
僕が元に戻った途端にこれだ。そんなになまえは十九の僕がお気に召していたのか。
感情の矛先が将来の自分であった日には、どうする事も出来ない。

「時透く――っ!?」
「そんなに知りたいなら、教えてあげようか?」

のそのそと布団から這い出ようとする彼女を引き止めて、言う。
掴んだ腕を勢い良く引くと、油断していたなまえは容易くゴロンと僕の下へ転がり込んだ。
逃げ出せないように上から覆いかぶさると、僕の水色に脱色した毛先が檻のように垂れて、彼女を囲い、閉じ込める。
なまえは、心底驚いた様に瞠目する。

「捕まえた」
「っ!?」

まあ、教えるも何も昨晩は何も無かったのだけれど。
就寝前に、鼻血を出して卒倒したなまえの様子を見に行ったら、寝惚けた彼女に抱きつかれて、剰え中々の腕力で僕の浴衣を掴んで離さなかったので、抵抗するのも面倒臭くなってそのまま眠っただけで。

だから、僕は今現在、彼女に対してはったりを利かせているだけだ。
昨日は確かに僕の一挙手一投足に対るす彼女の反応を見て面白がる節があったのは認める。伝えた言葉も全てが嘘では無かった。
けれど、成長した僕と元の僕と――その落差に、らしくも無い焦燥に似た感情を抱いてしまった。

見せてよ。十四の僕に対しても昨日みたいな反応をさ……。

胸元が肌けた浴衣の下から覗いた僕の腹部をギョッとした様子で見るなまえの手を取って、そこへ誘導する。

「触ってもいいよ?昨日は恥ずかしがってあんまり触ってくれなかったもんね?」
「んなっ!?」
「なんとも無いんだよね? だって僕はもう十九の僕じゃ無いんだから」

何で最近の僕は、彼女が絡むと心穏やかで無くなるのだろう?
あの弟弟子にしたって、煉獄さんにしたって。
僕にしか興味がなかった時には特別なんとも思わなかった。どうでもよかったから。
彼女の世界の中心は紛ごうことなく僕だったから。

どうだっていいこの気持ちの名前を知りたいと、今は、そう思う。

「あからさまにガッカリしたような顔してた」
「ち、違うの……!」
「何が違うの?」

ガッカリしてたろ。僕が元に戻ったから。
別に誤魔化さなくたっていいのに。
その返答次第では、手酷くしてやろうなんて思ってしまった僕は、いよいよ頭が可笑しい。
相手はあのなまえだって言うのに。

そもそも僕は、どうしてなまえを屋敷に居候させたんだっけ?
はなから継子にする気なんてなかったくせに。
どうして僕を諦めないでいてほしいって。煉獄さんに靡かないでいてほしいって思ったんだっけ?

「時透くんが元に戻った事は本当によかったと思ってるよ! 本当に! ……ただ、大人の時透くんに稽古をつけて貰いたかっただけなの」
「は?」

大人の僕に、稽古?
大人もクソも中身は十四の僕であるのに?
そりゃあ、腕力や間合は違っていたかもしれないが。

ほんの僅かな間、大人になった僕としたい事が何を差し置いても稽古だなんて……。
そうだった。彼女は鍛錬馬鹿だった。口を開けば稽古に継子に騒がしく、脳みそまで筋肉で出来ているのかと思ってしまうほどの脳筋女だった事を思い出した。
だから、煉獄さんに気に入られたのかもしれない。
きっと血迷っていたんだ。最近の僕は。きっとそうだ。

そう思った瞬間、彼女を組み敷いている自分がとても馬鹿馬鹿しく感じられてしまった。

「はぁ……もういいよ。馬鹿らしくなってきた」
「え?」

なまえの上から退けて、肌けた浴衣を直すと布団から離れる。
すると、不意に背後から浴衣を掴まれて行手を阻まれた。
振り向くと、そこには正座をして、顔を俯かせたままのなまえが申し訳ない程度に僕の浴衣の裾を掴んでいて――。

「お、教えてくれないの……?」
「何を?」
「一緒に、寝てた……り、理由……です」
「……そんなに知りたいの?」

知ってどうするの?そう問いかけようとして、辞めた。
彼女みたいなタイプは、言葉より行動の方が良く伝わるだろうし。
耳まで赤く染まったなまえに気が付いて「あの、時透くん……」と、僕の名前を呼ぶ彼女へ手を伸ばす。
飽くまでも無表情だった。僕が僕である代名詞みたいな顔で、彼女の頬を鷲掴んだ。
グニっと押し出された彼女の唇へを見て、僕は、一体何をしているんだろうかと自嘲して、唇を重ねた。

「これでいい?」
「……っ、え? ……え!?」

なまえは放心して、そして状況を理解し、茹で蛸の如く一層顔が真っ赤に染まった。
その脳内で、またややこしい想像をされては堪らないので、僕は先手を打つ。

「別に深い意味なんてないから、変なこと想像しないでよね。なまえの変態」
「へ、変態……」

“本当は、別に何もなく、君が寝ぼけて僕の浴衣を掴んで離さなかっただけだよ”
“抱き枕みたいに纏わりついて来たから、仕方なく一緒に寝ただけ”

その事実はもう少し僕の胸の中だけに留めておく事にした。

***

あれから僕は、またもや放心したなまえを屋敷に残して蝶屋敷へ赴いた。
言うまでもなく、身体が元に戻ったので胡蝶さんに一通りの検査をしてもらう為だ。

「思ったより早く術が解けてよかったですね。血鬼術においての外傷は見られませんし、身体機能も別段問題はありません。とはいえ一時的に身体が成長したわけですからね、違和感を感じる箇所はあります?」
「いえ、特には。普段と変わりません」
「そうですか。でしたらもう、大丈夫でしょう。任務の復帰許可も出しておきますね」
「ありがとう御座います」

前を開けていたシャツと隊服のボタをとめる僕を見ながら、胡蝶さんは問う。

「そう言えばみょうじさんのご様子はどうです? ちゃんと療養しましたか?」

胡蝶さんの問いに「うーん」と声を漏らして右上に視線をやって、色々と思いを巡らせる。
まあ、説明するのは難しいけれど、結果、強制的に眠らせた様なものか……。

「あれからすぐ翌朝まで寝ていたので十分だと思います」
「よっぽど睡眠不足だったんですね。まあ、診たところ心的な要因が原因だったみたいですしね」
「そうですか」
「あらら? てっきり時透くん絡みかと思っていましたが、違ったでしょうか?」

胡蝶さんは、ふふっと、事情を知っているかのように笑みを浮かべる。
何でもお見通し――彼女からはそんな印象を受けてしまう。
ボタンをとめ終えた所で、今度は何事なのか、医務室へ宇髄さんが顔を覗けた。

「よお、時透お前もいたのか。もう普段の姿に戻ってるんだな。血鬼術で派手に大人になったらしいじゃねーの」
「はあ、まあ(派手に大人になるって何だろう?)」
「宇髄さん、どうかされたのですか? 特に怪我とは見受けられませんが」

胡蝶さんが宇髄さんに問うと、馬鹿正直に「怪我で来たわけじゃねぇんだよ」と言った。
じゃあ、この人は一体全体何をしに来たのだろう?

「胡蝶に頼もうと思っていた任務があったんだけどな……時透、お前代わりに手伝え」
「嫌です。何で僕が?」
「今回の任務は適当に声を掛けて回るわけにはいかねーんだわ。お前が丁度いいんだよな。可愛らしい顔つきだし、小柄だしな」

地味に喧嘩を売られているのだろうか?
小柄だとか、可愛い顔つきだとか。少なくとも男に向かって言う文言では無い。
顎に指を添えて、何やら品定めでもするかのように僕を見る宇髄さんに対して、任務内容を知っているからか「それは名案です」と胡蝶さんが言った。
相変わらず、無表情の僕とは真逆の笑顔でパン、と手を打った。何が名案だよ。
ただ面倒事を押し付けられただけであるような気がしてならない。

「丁度、任務の復帰許可も降りたばかりですしね」
「ちょっと胡蝶さん、余計な事言わないでよ」
「何だ時透、お前暇なんじゃねーか」

暇っていうなよ、暇って。
僕は断じて暇人なんかじゃ無い。

「まあ、宜しく頼むわ! お前が適任なんだよ」
「……くだらない任務じゃないよね?」
「お前にぴったりなド派手な任務だ」
「仕方がないな……今回だけですよ」
「おう! 恩にきる」

きっとろくな事では無いと分かっていながら僕は宇髄さんの任務を受けた。

20200325


「#甘甘」のBL小説を読む
BL小説 BLove
×
- ナノ -