嗚呼、僕とした事が。
こんな下らない血鬼術に掛かってしまうくらいには、注意力が散漫になっていたのだと思う。
そうじゃなきゃ、こんなへまはしないし、絶対にこんな術で足を掬われたりはしない。
急に成長してしまった身体には慣れないし、動き辛いことこの上ない。
視点の高さも、手足の長さも、刀を振るっても一足一刀の間合いが違いすぎて戦い辛くて堪らないんだけれど……一体どうしてくれるんだ。

支障が出る前に、大凡どの位で元に戻れるのか、身体以外に何か影響が出るのかその仔細を問う為に胡蝶さんの元を訪ねたのが小一時間前。
そこで偶々。それこそ本当に偶々、なまえと居合わせたから連れて帰って今に至るわけなのだけれど――。

そして、屋敷に戻って縁側に座っている僕達であるが、一向に彼女と目が合わないのはどうしてだろうか?
いつもお喋りな口は何処へ行ったのやら。
……まあ、僕がそうさせたようなものだけれど。

「ねえ、何か喋ってよ」
「え!? あ、ほ、本日はお日柄も良く……」
「僕の身体がこんな事になってるのにお日柄なんて良く無いでしょ? 喧嘩売ってる?」

違う。こんな話がしたくてこうして並んで座っているわけじゃ無い。
なまえは完全に成長した僕に戸惑っているし、普段通り切り出したってお話にならない状況だった。

「この間の事だけど、」
「ご、ごめんなさい時透くん! 浮気じゃ無いの……! 御天道様に誓って!」
「……」

今日は曇天だけれどね。
彼女が誓うと豪語した御天道様は今日はお見えでない。
けれどまあ、その心意気だけは受け止めてやらない程僕は鬼ではないので。
特に嫌味も交えず素直に言葉を返した。

「知ってるよ。丁度任務先で煉獄さんに会ったから、聞いた」
「そうなの?」

『端的に言う。なまえを継子にする気がないなら、俺に譲ってはくれまいか』とかなんとか、そんな事を言われたような気がする。
煉獄さんは彼女の素質を、その心持ちを甚く気に入っているようだった。
確かになまえはこの数週間の内に目紛しい成長を見せたし、純粋な強さを求め、極めるというのなら、これ以上ない誘いだと思う。
いっそ手放して煉獄さんの元で存分に鍛錬を積む。自由にしてやればいいのに。世の中的には、きっとそれが正解なのだ。

「煉獄さんに稽古を付けてもらってたのは、僕の傍に居たいからなんだって?」
「え゛!?」
「全部知ってるよ? 聞いたから」
「う、あ……あの、えっと」

だから白状したら?そんな風に俯いた彼女の顔を、首を傾げて覗き込む。
なまえは尋常じゃない程、おびただしい汗をかいていた。心配になるくらい。いや、引くくらい。
一体どれだけ知られたくなかったんだよ。

「強く、なって……時透くんの役に立ちたくて。そうしたら、継子にしてもらえるんじゃないかって思って……」
「……」
「何度も拾ってもらった私の命は、時透くんの為に使いたいから……」

小さな声で、歯切れ悪く彼女は言った。
彼女の本心を、継子に拘る真意を、僕は漸く知る事が出来た。
出会った頃に、僕は同じような事を彼女に尋ねた事があったけれど、これこそが彼女の真意だった。

暫くの沈黙を経て、僕はゆっくりと流れる雲をぼんやりと眺めながら、徐に口を開いた。

「くだらないね」
「っ、」
「僕の為に、命を使うの? 馬鹿じゃない? 大層な覚悟で結構だけど、僕は君の命を賭してもらわなきゃいけないほど軟弱に見えてるの?」
「そ、そういう意味じゃ……」

自分の思う正解は、必ずしも誰かの正解であるとは限らない。
僕の正解が、煉獄さんには不正解であったように、彼女の正解は僕にとって不正解だった。
それだけのことである。

「それが僕の傍にいる為の理由になり得るなら、僕はなまえを一生継子にはしないから」

してあげない。絶対に。
だって僕は、君の命なんて賭して欲しくは無いし、その必要も無いから。
そんなもの、なまえには望んでいない。

「じゃ、じゃあ、どうしたら……」
「その、無い頭で精一杯考えなよ」

僕の傍で、うんと悩めばいい。

「だから、諦めちゃ駄目だよ? 僕の事」
「!」

うんと悩んで、ずっと追いかけて来たらいい。
気が向いたら、その時は立ち止まって振り向いてあげてもいいから。

「ところで、いつまでそうしてるつもり?」
「えっ!?」
「何でこっち、見てくれないの?」

最初からずっと感じていた違和感はこれだった。
そう言えば、蝶屋敷の病室で驚いた顔をして以来、一向になまえと視線が交わらない。
否、彼女が意図的に合わせようとしないのだ。態と逸らし続けられているような気がしてならない。
だって、僕はずっとなまえの方を向いているのだし。
それで目が合わないのだから、原因は自ずと彼女だ。
つまらないなと思って、僕は彼女の手に自分のそれを上から重ねてみた。

「そ、それは気のせいだと思われま――うぎゃあ!?」
「……」

実に失礼な反応がかえって来た。
下敷きになっている手を必死に引き抜いて逃げ出そうとする彼女を見て、思い当たってしまった。
顔は真っ赤だし、汗が凄いし、言葉遣いが可笑しいし。

「ひ、ひえっ……!」
「(必死だなぁ……)」

その一挙手一投足が僕の加虐心を焚き付けてしまった事、後悔すればいい。
既に一杯一杯であろうなまえを追い込むかの如く、僕は言う。

「それにさぁ、諦めたら惜しいと思わない?」
「んなっ、ななな何がでしょうか!?」
「五年後の僕だよ? これ」

意地悪く言って、掴んだ彼女の手を頬へ添えると、これ以上ない程に真っ赤になって、なまえは、鯉のようにパクパクと口を開けていた。
これぞ、本当の“言葉にならない”。

「折角だから、もっと触ってみる?」
「と、時透……くん! これ以上は、ちょ、無理……本当に」
「何が?」
「いや、時透くんなんだけど、なんだか知らない男の人みたいで、その……」
「元はと言えば、こうなったのはなまえのせいだよ。責任、とってくれるよね?」
「え……っ、」

君が僕を煩わせるから。
僕をどうしようも無い気持ちにさせて、気が散ってしまって、こうなった。

『きっと数日で元に戻りますよ。もしかしたら、その期間の記憶は忘れてしまうかもしれないですが……』

不意に胡蝶さんの言葉を思い出す。
忘れる事なんて、別に大した事では無いと思った。だって僕は今までも似たようなものだったからだ。
記憶の保持が難しい。過去の事をあまり覚えていない。
僕の記憶は霞がかったまま。

じゃあ、僕はなまえのこの表情も、忘れてしまうのか――。

そう思った時、ほんの少しだけ惜しいと感じてしまった。
覚えていたいなと、思った。
だから、もしも僕が今を忘れてしまっても、なまえには覚えておいて欲しいと、そんな事を思ってしまって。

「ごめんね、僕は狡いんだ」
「と、きと……くん?」

伸ばした手は、彼女の首を撫で、そのまま後頭部へと回り込む。
引き寄せると互いの鼻先が擦れて、刹那。僕は彼女に唇を重ねた。
そこに確かな感情は無くとも。

そうだなぁ……例えば、鈍感過ぎるなまえが、今後余所見なんて出来なくなる程度には、その身に刻んでくれたらと思うけれど。

唇を離して数秒後、彼女の右の鼻穴から鼻血が垂れて、卒倒したのは言うまでもない。

20200321


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