なまえが変だ。
それを言ってしまえば、もともとなまえは変だし、変じゃない所を探すほうが難しいくらい筋金入りの変人なのだけれど。
ならば、この場で僕が言いたいのは一体何の事なのかといえば、なまえの“様子”が変なのである。
変人のなまえの様子が変なのだ。
うーん、益々ややこしくなった。

そう、例えば……任務から戻って来ても屋敷に居ない事が増えた(その時の帰宅はいつも夜遅い)。
屋敷に居ても、僕が戻った事に気が付かない程、毎回死んだように眠っている。
更にはご飯を食べながら、洗濯を干しながら、昨日なんて着替えの最中にそのまま力尽きて寝ていた。
取り敢えず最近のなまえは暇さえあれば眠ろうとしているし、動く時には何やら屁っ放り腰で筋肉痛の身体でも庇うかのような珍妙な動きをしている。
まるでその様は、異国の珍獣でも見ているかのようだった。
只今、霞柱邸にて絶賛展示中。

そして、彼女の身に起きた何より大きなこの変化を語らずして、“なまえが変”だとは言えない。
ここ数日間、顔を合わせる度に何かが足りないような気がしていた、その正体。
それは、彼女の代名詞みたいなものだった、僕を捕まえてはしつこく強請った“あの”言葉を久しく聞いていない。

『時透くん!稽古付けてくださいっ!』

これには流石に違和感を覚えてしまう。
つい最近まで鬱陶しいぐらいに僕の周りを彷徨いては、せがんでいたくせに。
僕の稽古がいいんだって言ったくせに。

確か、最後になまえに稽古を付けたのはいつだったか……。
あの後直ぐに任務に出て、それから戻ったのが二週間後。
つまりは、最終稽古からかれこれ二週間と数日の間、一度たりとも“稽古を付けてくれ”と彼女の口から聞いていない。
驚く程に、ピタリと止んだ。
一体どんな風の吹き回しかと問わずにはいられないくらいの、それは違和感だった。

お陰で僕は、心に靄が掛かったような、すっきりとしない迷惑極まりないこの感情を胸に抱いたまま不本意な毎日を送る羽目になっている。
本当、何で僕がなまえなんかのせいでこんな目に。

「忙しそうだね」
「あ、時透くん! どうしたの?」

居間で何やらいそいそと出掛ける支度をするなまえを見つけて声を掛けた。
荷造りをする彼女は、一体何が入っているのか知れない大きな風呂敷を今日も用意している。

「これから任務? 私も、もう少ししたら出掛けるね。気を付けていってらっしゃい」
「……」

また出掛けるのか……。
そういえばなまえは、ここ最近毎日のように大きな風呂敷を背負って出掛けているようだが、何をそんなに熱心に通っているのだろう?
僕には言えない事なのだろうか?
……僕の事のは、土足で踏み荒らして行くくせに。

「ねえ。その前に、ちょっと付き合ってくれない? 身体、動かしたいから」
「う、うん! 勿論だよ! 時透くんから誘ってくれるなんて珍しいね」
「別に。偶々そういう気分だっただけだよ」
「うへへ、嬉しい!」
「……あっそう」

なまえは僕の申し出に、それはそれは嬉しそうな顔をして何度も頷く。

出来るんじゃないか、そんな顔も。
ここ数日間、漫ろだった意識が漸く僕へ向けられた気がした。

言わずとも向かった先は道場で、稽古だと分かると、彼女は子供のように瞳を輝かせる。
そして、僕はいつものように木刀を渡すと、なまえは何か驚いたような表情で手に握ったソレを見た。
特に何の変哲も無い、至って普通の木刀であるのだが……。

「最近は“稽古付けろ”って喚かないんだね。どうしたの?」
「え!? ど、どうもしないよ!」
「……ふぅん」

なまえは、態とらしく誤魔化す。
どうせなら此方に気取られないようにちゃんと誤魔化してもらいたいものだ。
思わず納得してしまうような言い訳を用意しておいてよ、ちゃんと。

せっかく僕手ずから白状の機会を与えてやったのに、なまえはそれを棒に振った。
それが稽古開始の火蓋を切ったとは、流石に彼女も気付かないだろう。

なまえが木刀を構えたのを視認して、声を掛ける事なく僕は床を蹴って距離を一気に縮める。
初手で放った素早い攻撃だったのに、在ろう事かなまえは即座にそれに反応を示して、攻撃を去なす。

「わっ!?」
「!(……去なされた)」

稽古だからといて、全力でないにしても、決して手を抜いたわけじゃない。
まぐれだろうか?それとも、僕の太刀筋を読んだのか?
今までの彼女だったなら、受けきれず弾かれていたか、尻餅をついていた筈なのに。
僕の攻撃は、彼女に去なされてしまった。

「へえ。じゃあ、これならどう?」
「っ!」

今度は早いテンポで緩急を付けて打ち込んだ。
道場には木刀同士がぶつかる音が忙しなく響動む。打ち込んでも打ち込んでも、なまえは食らいついてくるさまに、僕は、正直驚いていた。
先程の去なされた初手の素早い打ち込みといい、今といい……一体僕は誰を相手に打ち込んでいるんだろう?と。
それは、最初に受けた些細な違和感に過ぎなかったが、打ち合う回数を重ねる度に、その違和感は確信へと変わってゆく。
僕は、確かになまえを前に打ち込んでいる筈なのに、まるでそうじゃはない。
彼女でありながら彼女でない。
まるで何かが乗り移ったかのようなその太刀筋に、僕は覚えがあった。
大胆に、且つ繊細に。受け流しながらも攻めの姿勢は崩さない。確実に隙を突いてくる正確さと、前に前に打ち込んでくる力強いその太刀筋。

しかし、まだまだ荒削りで完成させられていない剣技は、僕の前では無力に等しい。
確信を得たところで、決定的な一打を叩き込み、今度こそ僕はなまえの木刀を弾き飛ばした。

もう十分だ。よく分かった。そして、理解した。
僕が不在にしていた間、彼女が何処で何をしていたのか。
ここ最近彼女の身に起きている異変の、大まかな訳を。

「別に隠さなくたっていいのに」
「え?」

なまえは息を弾ませ、遠くへ飛んで行った木刀を拾って戻ると、僕の言葉に首を傾げる。

完全にとまではいかなくとも、多少なりとも似てくるものなのだ。
緩急の付け方も、振りも、打ち込みも。呼吸の流れから筋肉の動かし方まで、間合いの取り方その諸々が、その師範代に。
なまえの太刀筋は、“僕が知っている彼女”の物とは完全に違う代物だった。
なまえは確実に強くなっていた。その進歩と言ったら、目を見張るほどで。
それは、彼女にとってこれ以上ないくらい喜ばしい事である。
喜ばしい事であるのに……。

――どうして僕は釈然としないのか。

「もういいよ。出掛けるんでしょ?」
「あ……! 急がなきゃ! 時透くんも任務頑張ってね」

道場を慌ただしく出て、だんだんと遠のいて小さくなる背中を見つめながらに思う。
何で僕はこんなにも、面白くないと感じてしまうのだろう?と。
理由は、なんとなく分かっている。
それが僕ではなく煉獄さんによって手掛けられた強さであるからだ。
そして、この短期間で実力をつけたなまえを前にして思わずにはいられなかった。
彼女は煉獄さんの元で稽古をした方がいい。それが彼女の為だろうって。

*** 

僕は、夕方になってやっと屋敷を出た。言わずとも任務が入ったからだ。
彼女に稽古を付けていた時には、特に任務なんて入っていなかった。
そもそも僕は任務で出掛けるなんて一言も言って無かったし、勝手になまえが勘違いをしていただけだ。

まあ、別にそんな事はどうだっていいんだけれど。

あれからなまえは屋敷に戻ってくる事はなく、彼女の元にも出先で任務でも入ったのだろうと、ぼんやりと思った。

それにしても、無闇に口にするものじゃないなと思った。
『煉獄さんの継子になればいいのに』なんて。
いや、あの時は本当にそう思ったのだ。それでいいと思ったのだ。
だったら、今は?
今も僕は以前と変わらずそれでいいと、本当に思っているのだろうか?

「(よく、分からないや……)」

何でなまえの事を考えると、こうも胸の辺りがモヤモヤとするのか。
僕は、一体なまえをどうしたいんだろうか。
継子にしてやるつもりもないのに稽古なんか付けて。
――こんな風に繋ぎ止めて。

目的地に向かう途中、僕はとある場所で足を止めた。
否、止めずにはいられなかったと言うべきだろうか。

なまえと、煉獄さん。

そうか、確か此処は煉獄さんの……炎柱邸の前だった。
二人は屋敷の前で向かい合うようにして話をしているが、此処からでは会話までは聞き取れない。
でも、彼女と煉獄さんの間には、仲睦まじいという言葉がとても似合うような気がした。
よく、笑っている。
煉獄さんの大きな手がなまえの頭を撫で付けて、彼女はそれを嬉しそうに受け入れていた。

「……」

この感情は何と言う名前なのか、誰か僕に教えてくれないかーー。
チリチリと胸の奥が焼けるような思いがする。

……僕に、彼女を思う心なんてものがあればの話だが。

ペコリと下げた頭を上げ、煉獄さんと別れた所で、なまえは漸く僕に気が付く。
目が合うと、慌てた様子で此方に駆け寄って来た。

「と、時透くん……!?」

そんなに驚いた顔をしなくてもいいのに。
ああ、そうか。僕に内緒で煉獄さんの元で稽古を受けていたから、屋敷から出て来た姿を目撃されたのが気まずいのだろう。

「ふうん。なんか最近変だなって思ってたけど、そういう事だったんだ?」
「え?」
「いつからなまえは煉獄さんの継子になったの?」
「な、なってないよ! まだ!」
「へえ……“まだ”、なんだ?」
「いや、そうじゃなくて、間違えた! これには訳があって……!」

しどろもどろになっている様が、言葉を紡げば紡ぐ程、僕の感情を逆撫でていると彼女は気付いていない。
言い訳ばかり並べる暇があるのなら、いっそその口を閉じてくれればいいのに。
これ以上、僕を苛つかせないでくれないか。

「ちょっと待って! は、話を……!」
「僕は君と話す事なんて無いから、もう行くよ。ああ、ついてこないでね。任務なんだ」

必死に縋ってくるなまえを横目に踵を返す。
そして、僕は一度立ち止まって振り向くと、背後に立ち尽くしたままのなまえを見る。
そして、捨て台詞よろしく言ってのけた。
んべ、と舌を出して。

「なまえの浮気者」

なまえの絶望に満ち満ちた顔といったらない。
まるでこの世の終わりであるかのような、そんな顔だった。

20200314


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