いつの事だったか、時透くんに煉獄さんの継子になればいいじゃないかと言われた事があったような気がする。
そうだ、あれは確か、私が時透くんのお屋敷にお世話になり始めたばかりの時だった。

まさかあの時は、こんな事になろうとは夢にも思わなかったわけで。
相手はあの炎柱でいらっしゃる煉獄さんに、継子にならないかと直々にお誘いを頂けるなんて、それは夢にしても大層失礼な夢だった。

炎柱邸の前で、もしかしてやはり先日の出来事は体のいい夢だったのではないかと、頬を抓っている私に気付いき、表まで出てきてくださった煉獄さんは、今日も今日とてよく通る大きな声で私に言った。

「夢では無いぞ、みょうじ!」
「あ……! れ、煉獄さん。ええっと、ほっ本日はよろしくお願い致します!」
「うむ。よく来たな! さあ、中に入ってくれ。早速稽古といこう!」
「は、はい!(炎柱様の稽古、凄く緊張する……)」

煉獄さんに遅れないよう小走りで後を追う。
時透くんの霞柱邸も立派であるが、炎柱邸も負けず劣らずな立派な邸宅だ。

人生とは本当に何が起こるか分からないもので、幾ら尽くして懇願しても報われない時も有れば、定食屋で偶々居合わせたというだけで、一発逆転大勝利で継子になれてしまう事もあるらしい。
とは言え、私は“まだ”煉獄さんの継子ではない。
昨日の今日で、恐れ多くも早速屋敷にお邪魔しているが、“まだ”継子ではないのだった。
では一体どういう事か、それは順を追って話さなくてはならないだろう。私にはその義務があるのだ。

昨日、行きつけの定食屋で一悶着あり、酔っ払い男を撃退したところを炎柱である煉獄さんに目撃されていて、どうやらその心意気を買われたらしく、あれよあれよと継子にならないかと非常にありがたくも勿体無いお言葉を掛けて頂いたのだった。
高みを目指す隊士であれば誰でも喉から手が出るほどに欲してしまう貴重な誘いであるに違いなかった。
何せ、かの炎柱――煉獄杏寿郎その人である。
柱である事は勿論の事、剣技もさることながら、人望も厚い。鬼殺隊は彼無くしては語れない――言わば、要の様な方なのだから。
勿論、最年少で柱に据えられた時透くんも十分に凄い。
どちらにせよ分かっている事は、煉獄さんも時透くんも、私にとっては雲の上の存在だという事だ。

では何故、そのような雲の上の存在である煉獄さんの申し出を私は素直においそれと受け入れる事が出来ないでいるのか……。
そんなのは単純明快である。私が継子にしてもらいたいのは今も昔もただ一人――時透くんだけなのだから。
とても恐れ多いと知りながら、何様のつもりだと罵られても仕方が無いと思いながら、私は煉獄さんに断りを入れたのだった。本当、何様のつもりで。

しかし、煉獄さんは少しばかり落胆した風な様子を見せながらも、嫌な顔一つせず頷いてくれた。
そして私を責めるわけでもなくただの興味本位とばかりに「もし差し支えなければ、理由を聞かせてはもらえまいか?」と、尋ねる。
これと言って隠す理由が見当たらず、寧ろ正直に話した方がいいのではないかと思い、私は今現在自分の置かれている状況を話した。

時透くんの屋敷に住まわせてもらっていて、絶賛全力継子志願中なのだと伝えた。
すると、煉獄さんはあろう事か益々興味を持ったと言わんばかりに食いついてくる。
「そうだったか! よもや、君が例の隊士だったとは!」と。

何故私の事を知っているのだろうか?
例の隊士とは一体なんだ?

嬉々として話す煉獄さんとは対照的に、私の脳内は“?”で埋め尽くされる。
そして、彼は言った。
とまどう私を置いてけぼりにして。

「益々、君を俺の継子にしたくなった! 返事は今すぐでなくとも構わない。どうだろうか? 明日、早速稽古をつけるというのは!」
「へ?」
「俺の継子になるか、時透の継子になるか決めるのはそれからでも遅くはないだろう?」
「それはそう……ですけど、」
「先ずは、君の名が知りたい。聞かせてくれ」

煉獄さんは、時透くんとはまるで対局の存在だと思った。
時透くんが空に浮かんで気儘に流れる雲であるならば、彼は他者を巻き込み力強く流れる激流の様な人だ。

*** 

「さあ、遠慮せず打ち込んできなさい」
「は、はい!」

時透くんの稽古とはまた違った緊張感に包まれる。
稽古だと言うのに、何やら道場中の空気がピリピリとしていて、息苦しい。
普段、よく通る大きな声で発声する煉獄さんは、向かい合っている今、まるで人が変わった様に静としている。

そして、何よりも。

「それにしても煉獄さん、この木刀普通の物とは少し様子が違っている気がするのですが?」
「うむ!その通りだ。君に持たせている木刀は重さも太さも通常の物とは異なっている。限り無く日輪刀に近い重さだ」
「なるほど……通りで」

構えた木刀はずしりとして重く、今でこそそれを構え、振るうのは造作無いが、これを長時間打ち込むとなると中々に根気がいる。

「いつ如何なる時でも一の太刀で鬼を仕留められるとは限らない。十二鬼月ともなれば尚の事だ。戦闘が長引けば長引くほど疲労も溜まるだろう。その時になってこそ、日頃の稽古が生きてくる」
「はい!」

私は木刀を構え、間合いまで距離を詰めると一気に煉獄さん目掛けて飛び掛かったわけだが、果たしてその打ち込みがどうであったかなど考えるまでもなかった。

「れ、れんご、くさん……参り、まし……た」
「む! よし、では少し休憩を挟むとしよう! 丁度、昼時だ」
「(た、助かった……)」

あれからの私はと言うと、気合い十分煉獄さんに向かっていったのは初めだけで、終わってみれば床板に大の字でぶっ倒れたまま起き上がれないほどの疲労に襲われていた。
流石は炎柱の稽古。
そんな中、ふと思い出す。昨日、同期の隊士がボソリと口にしていた言葉を。

『炎柱の継子に志願した奴ら稽古に耐えれきずに根こそぎ辞めて行くらしいぞ』

「これは確かに……そうかも」
「どうかしたのか?」
「い、いえ! 私は頑張りますから!」
「? 何のことだか分からんが、うむ。良い心がけだ!」

汗を流しサッパリしたところで、縁側に座って休んでいると、不意に私の隣へどっかりと腰を下ろした煉獄さんは、昼食で何か食べたい物は無いかと私に問う。
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、私は持参した大きく膨れ上がった風呂敷を膝の上で解いた。

「煉獄さん、私、おにぎりを握ってきました!」
「おお、それはありがたい!是非頂こう!」
「ちょっと待って下さいね……はい!どうぞ」
「む、」

煉獄さんに手渡した、おにぎりと思しきそれを見て、彼は双眸を大きく大きく見開いた。
何事にも動じなさそうな煉獄さんも、それを見て流石に驚いた様だった。
「よもや……」と漏らしながら、自分の顔ほどの大きさがあろうかというおにぎりを前にして。

「これはまた巨大な握り飯だ……」
「煉獄さんは沢山召し上がるかと思いまして、特別です!具も色んなのが入っているんですよ!あ、何が入っているかは食べてからのお楽しみです」

私は料理の腕が壊滅的なので、失敗せずまともに形になる物といえばおにぎりくらいだ。
煉獄さんは始めこそ驚いていたが、そのうち「頂きます」と言っておにぎりに齧り付いた。

「うまい! うまい! うまい!」
「ほ、本当ですか!?」

むしゃむしゃ、もぐもぐ、見ていて気持ちがいいくらいの食べっぷりで私の作ったおにぎりを食べてくれる。
初めての経験だった。こんなにも私の作った料理(果たしておにぎりは料理と呼ぶのか?)を美味しいと言ってくれた人は。
ホワホワとした暖かな気持ちになる。自分が作った料理を褒めてもらえるというのは、こんなにも嬉しいものなのか。
煉獄さんは教え上手の褒め上手。

おにぎりを齧るに連れ、梅が出て、おかかが出て、鮭が出た。
変わり種で卵焼きも中に入れたのだが、味付けをしてしまったのが良くなかったらしく、煉獄さんは一瞬「うまい! うま……んぐ、」と詰まってしまっていた。

ごめんなさい。味付けをしてごめんなさい。

「みょうじ、一つ聞いてもいいだろうか?」
「何でしょう?」
「何故、時透なのだろうか? 彼には君を継子に迎える意思が無いと聞いたが?」
「あはは、そのよう……です」
「君には十分、伸び代がある。俺の元で励み、鍛錬を積めばきっと立派な鬼殺の剣士になれるだろう」

確かにそうなのかもしれない。
時透くん本人にも、強くなりたいなら初めから煉獄さんのところへ行けと言われた。
稽古を付けてくれる頻度は増えたが、いつまで経っても時透くんは私を継子にはしてくれない。

――不毛、なのだろうか?
私が彼の継子になりたいと望むのは。
継子になって、彼の役に立って、少しでも恩を返したいと思うのは。

「私、以前任務で死にかけた事があったんです」

手に握ったおにぎりを見ながら、私は口を開く。
煉獄さんは隣で静かに私の話に耳を傾けてくれていた。

「そこを寸でのところで助けてくれたのが、時透くんでした。先日の任務で重症を負ったのを助けてくれたのもやっぱり時透くんで、私、彼に助けてもらってばかりなんですよ」
「……」
「本当はあの日、私は死んでました。時透くんに拾ってもらったようなものなんです、私の命なんて。だから、時透くんの為に使いたいって思うんです……この身も、この命も」

「弱いくせに何を言ってるんだって感じですけど」と戯けて見せた。
けれど、煉獄さんはそんな私を馬鹿にするわけでも鼻で笑うわけでもなく、真っ直ぐに見つめて頷き、背を撫でてくれた。

「そうか。そういう事なら尚更俺を頼ってくれて構わない」
「え?」
「俺で良ければ幾らでも力を貸そう。継子でなくても稽古くらいはつけてやれる」

煉獄さんはとても優しげな笑みと、力強い言葉をくれた。
自分の本心を吐露したのが彼で本当に良かったと思う。

「だがやはり、少し惜しくはあるな! どこまでも真っ直ぐな君みたいな人間を俺はとても好ましく思う。己の意思を託すなら、やはりそういった者がいい」

「精一杯励みなさい」と言ってくれた煉獄さんの言葉を、今日という日を、私は一生忘れない。

20200313


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