◎モブキャラ出てきます

あれは、夢だったのだろうか?
その全てが、死の淵に立つ私の都合のいい夢だったんじゃないかって、そう思わずにはいられないくらい、私はあの瞬間言い様のない幸福感に包まれたのだった。
時透くんの声が聞こえた。その腕に抱いて貰えた。たったそれだけの事だったのに、私は涙が出るくらい幸せだなぁって思えたのだ。
嗚呼……このまま死んでしまってもいいやって、思ってしまうくらいには。

「……ちょっと休憩を、させて……下さい」
「僕の稽古を舐めてるの? まだ始めたばかりなんだけど」
「な、めて……ないけど、も」
「そんな事だからあの程度の鬼相手に死にかけるんだよ」

時透くんによって絶賛鍛え直し中の私は、こうしてしっかりと逞しく生きていた。
そう、またしても死に損なった。
そして、やっぱりあの時の優しい優しい時透くんは、私の都合のいい夢の中の時透くんだったみたいだ。
あの一件から、いつもに増してその扱きっぷりに磨きが掛かっている様に感じてしまう。
仕方が無いのかもしれない。偶にではあるが、直々に時透くんから稽古を付けて貰っていたというのに、あの様だったのだから。
つまり私は、遠まわしに時透くんの面子を潰してしまったわけだ。
だとすれば、私は彼の地獄のような扱きを甘んじて受け入れる以外の選択肢はない。

あの任務で、私は腹に鬼の手がぶっ刺さり、大量出血した。
流石に三日間ほど昏睡したものの、その回復力といい、あれだけの深傷を負っておきながらの復活劇に医者も大層驚いてた。
生死を彷徨った後、無事に木目の天井を拝む事が叶って、それから更に二週間を寝たきりで過ごした後、めでたく抜糸。
そして傷が開かない程度に素振りやら体力回復の走り込みをして過ごし、昨日無事に任務復帰を果たしてからの今現在――時透くんの稽古に励んでいるのだった。

任務復帰を果たしたと言っても、大して強敵で無かった鬼の討伐に比べ、この稽古は何倍もしんどい。いや、何十倍も。
この一ヶ月半で落ちた筋力と体力を嫌でも実感してしまう。今まで通りの私であったなら、もう少し食らいついていけた筈なのに。

「大体さあ、何であんな血鬼術で下手を打つのか意味が分からないんだけど」
「う゛……」

思わず言葉に詰まった。反論出来るわけがない。
そうは言っても私が見たのは時透くんの幻覚だったのだからと主張したところで、それが何だと返されて終わりだろうから。
あろう事か『いつも頑張ってるね』とか『こっちにおいで』だなんて、褒められた挙句に優しい言葉を掛けられてしまって、刀を下ろさずにはいられなかった。それこそ無意識のうちに。
幻覚の時透くんと実物の時透くんの振り幅と言ったらない。
そして、不意に思い出すのは腹を貫かれながら聞いた、鬼の言葉だった。

『お前がその男と結ばれることなんて一生涯無いとも知らないで』

咄嗟にそんなのは既知の事実であると反論したが、今になって思い返すとほんの少しだけ心に靄が掛かったような……どこかすっきりとしない気分になってしまった。
何故だろうか?
私の本懐は、時透くんの“継子”になりたい――それ一択だと信じていたのに。いや、今も信じているのだけれど。
あれからほんの少し、私の心は事あるごとに揺れている。

「ほら、気が漫ろになってるよ」
「あだ!!」

去なし損ねた時透くんの打ち込みが容赦無く私の脳天に振り落とされた。
待って待って。時透くん、それ木刀。
下手をすると西瓜の如く私の頭はパックリと左右に開いて割れるだろう。

「いい度胸してるね。継子でも無い君を、柱である僕が態々時間を割いて稽古を付けてあげてるって言うのに。考え事をする余裕があるんだ?」
「ひっ! 滅相もございませ――うわっ!」

時透くんはその手を緩める事なく、容赦無く打ち込んでくる。
心なしか今までの稽古よりも緩急の付け方や打ち込む速度が早く、正確で鋭い様な気がするのはきっと気のせいじゃない。
それを受け流す事など到底出来ず、私はただただ容赦無く打ち込まれる木刀を自分のソレで弾くのがやっとだ。
とてもじゃ無いが、去なせない。打ち返すだなんて夢のまた夢。

「ねえ、なまえ。いい事教えてあげようか?」
「いい事? ……っ、うぐ!」
「そう、いい事。僕が見せられた幻覚が誰だったのか知りたくない?」

何でそんな涼しい顔で息一つ乱さず、会話をする余裕を見せる事が出来るのだろう?
彼の言うところの“無駄口”を叩きながらでも、その打撃の威力も精度もブレることはない。
それは、私と彼の実力の差をまざまざと見せ付けられるには十分過ぎて、打ち込みを受け続けたせいで、木刀を握る手もいよいよ痺れてくる。握力の限界が近い。
いつ手から木刀がすっぽ抜けてもおかしく無い。
そして、このタイミングでの“知りたくない?”という誘惑。

知りたい。
だって多分あれは、術に掛かった本人の心の中を映す血鬼術だったに違いないのだから。
そうでないと、私が時透くんの姿を見るわけがない。
だとすると、あの幻覚が喋った言葉は、きっとその人物に求めている言葉であるのだろう。
少なくとも、私は時透くんにそんな言葉を掛けて欲しいと思ってしまったのだもの。
だから、刀を下ろしてしまって、幻覚と分かっていながら彼の元へ向かいたいと思ってしまった。

けれど――

「し、知りたくない……!」
「へぇ。どうしてそう思うの?」

もしも、その話を時透くんが聞かせてくれたとして、その口から私以外の名前が出たら?それが女性だったら?
そんな事を考えてしまった挙句、それがとても嫌だと思ってしまった。とても、耐えられないと思ってしまった。
どうしてか分からないけれど、どうしても嫌だった。

「嫌だから!」
「意味が分からないんだけど(嫌って……)」
「だって――うおわっ!?」

最後の一刀を撃ち込まれる、正にその時、私は急にバランスを崩す。
双眸を見開いた時透くんを捉えていた筈の視界が上向く。一瞬の浮遊感を経て、受け身を取る間も無く背中から派手にすっ転んだ。

どうやら床に落ちた汗に、足を取られてしまったみたいだ。

「痛い……」
「……はあ。全く、何やってるの? 鈍臭いな」
「ごめんね……鈍臭くって」

時透くんは溜息をついて、未だに転んだままの体勢である私の傍にちょこんと可愛らしく座ると「ほら、手。早くして」と、私を引き上げてくれた。

「ありがとう」
「うん。……なまえ、あのさ」

私を引き上げて、時透くんは何か言いたげに口を開いた、その時だった。
開けたままにしていた道場の扉から、時透くんの鎹鴉が勢いよく飛び込んで来て「任務ゥゥウ!」と鳴いた。
そして時透くんの鎹鴉はカァカァと鳴きながら旋回したかと思うと、何故か私の方へ向かって突撃してくる。
まさかこの流れは。既視感に駆られたが時既に遅し。
ドゥルルルル、と工事現場のドリルよろしく私の額にその鋭利な嘴を突き立てた。

「イタタタタタ! ちょっ、痛い痛い痛い!!」
「……」

私の額は工事現場ではないので。
時透くんと手を握っているように見えたのだろうか?彼の事が大好きな銀子ちゃんの癪に障ってしまったらしい。
結局時透くんが言いかけた言葉は分からず仕舞い。
そして、私はまた今日から額に包帯を巻く日々に逆戻りしたのだった。

*** 

あれから直ぐに、時透くんは任務の為に屋敷を発ってしまった。
私と言えば特にすることも思い当たらず、汗を流して取り敢えず町へと繰り出したわけだが、時透くんのスパルタ稽古後だったせいで先程から私の腹の虫が鳴きっぱなしだ。
よって、私の向かう先は食事処で決定。

そんな時、不意に背後から羽織を鷲掴まれて、強制的に歩みを止められた。
何事だと振り返れば、以前にも共に任務をこなした同期の隊士が私の羽織を掴んでいた。
あの任務以来の再会だったので、随分と久し振りだった。

「お、おまっ……お前って奴は本当に……!」
「おお、久しぶり!」
「久しぶりじゃねぇわ! 何なんだよ死にかけたって聞いたぞ俺は! 歩き回って大丈夫なのかよ!?」

泣きそうな顔で捲し立てられて、思わず面食らう。
泣きたいのか、怒りたいのか、一体どちらなのだろう?と、小首を傾げる。
きっと、今の彼の心境から察するに両方だったのだろう。
無事でよかった。無茶しやがって――そんな風に。

私は、彼の気持ちに嬉しくなって、いつものようにニカっと笑って見せた。
この通りだから、心配はいらないよとばかりに。

「三途の川渡りかけて帰ってきちゃった」
「帰ってきちゃったじゃないだろーが! どれだけ心配したと思ってんだ!」
「ありがとう。もうすっかり回復したから」
「そのわりに、まだ頭に包帯巻いてるけどな」

その問には、何も言わずに菩薩のような笑みで返すと、彼は何か悟ったように視線を外した。
「四方八方から……苦労が絶えないな、お前」と、哀れみの言葉を添えて。

「あ! ねえ、これから任務?」
「いや、今日はまだ任務が入ってないな」
「じゃあ、一緒にご飯どう? 奢るよ。心配させたお詫び」
「行く! いつもの定食屋な」
「勿論!」

それから近況報告をしながら行きつけの定食屋までの道のりを歩き、暖簾をくぐった。
いつも食べるお決まりの定食をそれぞれ注文し、お茶でも飲んで一息つこうかとした矢先、またもや私の安寧を妨げる行為が一つ。
今日はやけに忙しい日だなと思わずにはいられない。

「や、やめてください! 困ります……放してください!」
「ああ!? うるせぇな! 態々食いに来てやったんだから、少しくらい付き合えよ」

斜め向の席で何やら揉め事が起きているようだ。

酒に酔った大柄の男が、嫌がる若い女性店員の腕を掴み、何やら喚いていた。
詳しい事情は知らなが、先程の会話を聞く限りでは一方的に男が理不尽な要求を彼女に押し付けているのは明白だった。
周辺の席に座る男性客達は、自分が巻き添えを食うのが恐ろしくて、助けたくても助けられないといった様子で視線を逸らす者、気まずそうな表情で俯いている者ばかりだ。

酒に酔った大柄の男の蛮行も、見て見ぬ振りを決め込む意気地の無い男性客にも。いよいよ私は我慢ならなくなって席を立つ。

「あ、おい……なまえ!? 待てって!」
「ちょっと行ってくる。ああいうの、我慢出来なくて」

「待てって! 落ち着けよ!」と背後で声を上げる同期の言葉を背に受けながら、私は二人の元まで行き至る。

「あの、少しよろしいですか? 此処では迷惑になるので、表に出ましょう。話なら私が聞きますから。あと、その手は放してあげませんか?」
「ああ? なんだてめぇは! すっこんでろ!」

酔っ払いは、横槍を入れた私が気に食わなかったらしい。
机の上の湯飲みを腕で払いのけて暴れると、落ちた湯飲みが床でパリンと音を立てて割れた。
女性定員がビクリと震えて、その拍子に捕まれた手に力が加わったのか、苦痛に顔を歪める。

「そういうわけにはいきません。私、今すっごくお腹が空いていて機嫌が悪いので、ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てられると我慢の限界が来ちゃいます」
「んたこと知る、か…… ――う゛ぐ!?」

私は、男の手首を捻り上げた。
見た目は非力な女に見えるかもしれないが、私は、鬼殺の剣士。
そこら辺の男性より、腕力も握力も自信がある。

「汚い手を離してください」
「い゛ぁ゛……わ、わかった! 離、す!」

一層力を込めて、ぎちぎちと骨が軋む音を聞きながら問うと、男は言葉通り女性定員の細い手首から手を離して、倒けつ転びつ店を出ていく。

「おま、ちょ、やり過ぎるなって……! 悪目立ちするなよ」
「ごめん、お腹空いちゃってて……つい」

そういう同期の彼だって、ちゃっかり定員さんに寄り添って、自分が助けました的な美味しいとこ取りをしているじゃないかと言いわずにはいられない絵面だった。

今日は本当に予想外な出来事が多い。
そう、例えば偶々同期の隊士と再会して、昼食を共にしようと入った行きつけの定食屋で揉め事が起きていて、その一部始終を偶々店で居合わせた“彼”に目撃されていた――だとか。

だって、誰が想像しただろうか、こんな事。

「身を呈して弱い者を守る。実にいい心がけだ! 柱の身でありながら、すっかり出そびれてしまった。不甲斐なし! 一本取られてしまったな!」
「へ?」

豈図らんや、そこに居合わせたのが炎柱様だったとは。

「君、どうだろう? 俺の継子になってみないか!」
「……へ!?」

炎柱の煉獄さんは、耳鳴りがしそうな程大声で言った。
時透くんに対してあれだけ頼み込んで縋り付いても叶わなかった継子志願。

時透くん、私は貴方の知らない所で炎柱様の継子になってしまいそうです。どうしよう。

20200311


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