『……なまえ、』

屋敷を出る前、時透くんは何か言いたげに私を見ていた。
私はそれがとても気になったのに、大丈夫だよと伝えて屋敷を発ってしまった。
こういう事が、後々の後悔へと繋がって行くのかもしれないのに、それでも私は振り返る事はしなかった。

「(この街で間違いなさそう)」

鎹鴉の情報によると、この宿場町で年頃の女の子が連日行方知れずなのだという。
宿場町だと言うだけあって、やはり人通りが多く、活気に溢れている。
以前浅草での任務では人の多さも建物の有り様にもそれはそれは魂消たものだったが、しかし、人の多さで言えばこの町も中々負けていないと思う。
何せ田舎者の私はこの人混みで人を交わしながら進む事すら困難だというのに、果たしてこの中に紛れる鬼を討つ事が叶うのだろうか?
任務地についたばかりだと言うのに、早くも先行きが不安でならない。

それにしたって、こんなにも賑わっているこの町で、何人もの人間が行方不明だというのだ。
人が多いということは、即ちその分人の目も多い筈なのに、それを掻い潜り、ろくに目撃情報も上がっていないとなると、この町に潜む鬼は一体どのような手法で人を喰らっているのだろうか?

そればかりでは無い。私はこんなにも不特定多数の人々が行き交う町の中で、鬼に狙われそうな人間に検討をつけなければならないのだ。それは至難の技だった。
至難の技と言うよりも、もはやこれは無理難題では……?

生憎と私には善逸のように、人と鬼の音を聞き分けられる優秀な聴力は持ち合わせていない。
だからといって、打つ手なく今日も善良な市民が鬼に喰われる事を看過するわけにはいかないのだ。

もたついているうちに辺りは陽が落ちて、段々と薄暗くなってくる。
出来るだけ迅速に行動しなければならない。往来で人とぶつかってばかりでは私が此処へ来た意味が無い。
往来を行く不特定多数の人々の中から検討をつけるのは無謀だと踏んだ私は、取り敢えず、消息を絶ったとの話が多く出ている路地へと向かった。

刀袋を肩に掛け直して歩を進める。大丈夫、ちゃんと町娘に見えている筈だ。
時透くんは、この姿を見ても相変わらず無反応だったけれど。

活気に溢れた表通りから路地に入ると、賑わいも一転してこの路地は辺りに明かりも無く、遠くで聞こえる喧騒も此処までは届かない。
成る程。此処なら人目を欺く事も出来、声を上げたところで気付かれない。表通りからそれ程離れていない為、人混みを避けてこの道に入る人もいるかもしれない。
鬼が人を襲うなら、絶好の場所と言うわけだ。

しかし何故、姿を消すのが若い年頃の女の子ばかりなのだろうか?
私はそれが今でも解せないでいた。
まるで選り好んでいるようだ。鬼になる前、何かしらうら若い女性に何か恨みや執着でもあったのだろか……?

辺りを警戒しながら更に奥へ奥へと進んで行く。
やがて行き至った曲がり角を折れた先で、何か気配を感じ取った私は足を止めて静かに刀袋に手を掛ける。
出来るだけ気配を消し、角から少しだけ顔を出して様子を窺うが、そこには鬼は愚か誰も居ない。

「(気のせい……?)」

否、気のせいでは無い。誰か居る。
その姿形こそ視認出来ていないが、地面を擦り歩く足音が僅かに響いている。
一人……いや、二人分だ。
鬼で無いにしろ、この路地を歩くのは危険だ。速やかに此処から離れるよう伝えなければならない。
そして、いつでも不測の事態に対応出来るよう刀の鍔に手を掛けて、角から姿を現した。

しかし、その必要は無かったらしい。
暗がりに慣れた目が捉えた人影は、大人一人と子供一人。
手を引いている様子から、おそらく二人は親子だと見受けられて、ほっと息を吐く。
二人に可笑しな様子は見受けられず、安堵する。
鬼の件もあることだし、一応声を掛けておいた方が良いだろうと判断し、二人へ近付き声をかけた。

「こんばんは。あの、此処は危険ですの、で――」

『早く離れて下さい』そう言いかけて残りの言葉は発する前に飲み込んだ。
今、たった今この瞬間、私の目の前で、子供の手を引く父親とおぼしき“ソレ”はゴキゴキ、グチグチと骨が砕けては組み上がり、肉が断たれ再形成される聞くに耐えない異音と、鼻を覆わずにはいられない激臭を放って変形する。
手を握られていた子供は片腕を高々持ち上げられて、ぶらりと腕一本で宙ずりになった。

そこに、ほんの少し前までの親子の絵面は欠けらも無い。
否、親子では無かったのだ。道に迷ったのか、それとも親と逸れてしまったのか……事の仔細は分からない。
それでも分かる事は、家路についているわけではなく、態と子供をこの路地に連れ込んだのだ。

――この子供を喰らう為に。

「うわああああ! た、助けて――っ」

成人男性の姿から6尺程まで大きく変形した鬼はその子供を喰らわんと大きく口を開けた。

「雷の呼吸壱ノ型 霹靂一閃」

それは、子供を掴み上げる鬼の腕を目掛け、目にも止まらぬ速さで切り抜ける。
速さこそ善逸には及ばないが、この鬼に対しては私の速さでも十二分に通用する。

切り落とした鬼の腕がぼとりと地面に落ちて、私は腕に抱き留めた男の子を下に降ろした。

「大丈夫?」
「お、お姉ちゃん……誰?」
「君を助けに来たの。びっくりしたね。怖かったでしょう?」

子供と目線が合うようにしゃがみ込んで頭を撫でると、男の子はわんわんと声を上げて泣き出した。
酷く怖かった事だろう……怯え、震える男の子を今一度ぎゅうっと抱き締めた後、その小さな身体の向きを反転させて促す。

「あの悪い奴はお姉ちゃんが倒すから、君は逃げて。そこの細い道を真っ直ぐ行けば大きな道に出るから。出来るね?」
「う、うん……でも、お姉ちゃんは?」
「お姉ちゃんは大丈夫。頑張るから! だから、怖いかもしれないけど君も頑張って」

しっかりと頷いたのを見届けて、小さな背中を押して走り出すよう促した。

「おい女、よくも俺の食事の邪魔をしてくれたな」
「食事? 笑わせないで。ここら一帯で人が消えてるいのもお前のせい?」

雷の呼吸に適性を示した黄色い刃を鬼に突きつけて問うと、鬼は何が可笑しいのか、ゲラゲラと声を上げて笑う。

「俺はお前みたいな生臭そうな小娘になんぞ興味は無い。俺はなぁ……子供の柔らかくて甘い血肉を喰らうのが大好きなんだよ」
「下衆め」

鬼の強さは人を喰った数。それを物語る腐臭。
この鬼はどれだけの幼子を喰らって来たのだろう?
もはや弁解の余地はない。

「まあいい。目障りだ。喰ってはやらんが、殺してやる。俺の食事を邪魔したんだからな」

言い様のない怒りが全身を巡って、地面を踏み込む足に力がこもった。

「雷の呼吸壱ノ型――」

シィィィィ……と、呼吸音を漏らして技を繰り出そうと身を屈めた直後、地面を蹴る。
先程私が繰り出した攻撃を警戒してか、鬼は素早く上に跳び上がる。直線的な攻撃だからと軸をずらしたつもりなのだろう。
しかし、そんな緩い考えと安易な行動が通用するわけがない。寧ろ、仇となった事に気付いていない。
私は素早く攻撃を繰り出す瞬間に型を変えた。

「伍ノ型 熱界雷」
「っ!?」

上に飛び上がった鬼目掛けて刀を振り上げる。
放った斬撃は、寸分違わず頭上に在る鬼の首を切り落とした。

足元へと転がって来た鬼の首と、間を置かずに泣き別れた胴体が落下する。
ズドンと土埃を上げて落下したソレは、首をはねられた為にパラパラと灰になって燃え、跡形もなく消えた。
次いで頸部を断裂された頭が足元で何かを喚いているが、知った事では無い。
この鬼も人間だった。しかし、とてもじゃないが憐れむ事は出来なかった。
いつだって、殺めた鬼の数だけその背景には数えられない命が散っている。
せめて、あの男の子だけでも救えた事が、私の唯一の救いだった。

「……終わった」

焼ける匂いを嗅覚で感じ取りながら刀を鞘へと収めるも、しかし、直にそれはまだ終わっていないのだと悟る。そして、それは始まりに過ぎないのだとも。
消えず残ったままの禍々しい殺気が――先程よりも強く、濃く、私に纏わりつく。

「(何処から?)」

息苦しい程の殺気と、それから憎悪。怨嗟。
先程との鬼とはまるで違うその空気感に、頬を一筋の汗が伝った。
頬を流れ、顎を伝った汗が地面に落ちる時、感じ取る。

「なっ、下――!?」

それはまるで、地面の底に引きずり込まんと私を目掛けて伸びてくる。
少しでも反応が遅れていれば、私はその手に捕まっていただろう。

地面を蹴って宙に舞った直後、負けじと技を繰り出し、応戦する。

「雷の呼吸肆ノ型 遠雷」

足元一帯に斬撃を放って鬼を牽制する。
距離を取って着地した後、地面からぬらりと姿を表した鬼を見て、遅れ馳せながらに私はこの状況を理解したのだった。

「憎い……お前みたいに若くて、美しい小娘が……」
「……っ、」
「鬼狩りか……小娘、お前を喰って、私は美しくなりたい。寄越せ……お前の血肉を、その若さを」

おそらく鬼は二体いた。
そして、目前のソレこそが、本来私の任務であった討伐すべき鬼だ。
女の容姿をしたその鬼は上等な着物に身を包んでいた。しかし、先程の発言と言い、異常なほど若さと美しさに執拗に執着しているように見受けられる。
だから、着飾った若い娘ばかりが失踪していた。そして私の扮装は鬼を誘き寄せる事に成功したのだ。
後は退治するのみ。
しかし、先程鬼を一体倒したしばかりの私は、少なからず体力を削られている。

こんな事では鍛錬不足だとお叱りを受けそうだなと思い、小さく笑った。
僕が貴重な時間を割いて態々稽古をつけてあげたのに、君は一体何を学んできたの?なんて。

不意に時透くんの顔が脳裏に浮かんだ。
こんな時まで、私は時透くんの事を考えてしまうのか……理由は分からないが、でも、早く任務を完了させて時透くんに会いたいと思った。

呼吸を整えて、刀を構え直す。
先程よりも強敵であっても、体力が消耗していても、諦める理由にはならない。
咄嗟に繰り出した技だったとは言え、この鬼は先程の遠雷の攻撃を交わした。無傷だ。
最初に倒した鬼より強い――確実に。
どんな血鬼術を仕掛けてくるかもしれない以上、無闇に距離を詰めるのは危険だ。
ならばどうする?

もう一度遠雷で牽制しつつ相手の出方を窺う。

迷っている暇などない。
その僅かな迷いと隙が命取りとなる瞬間をこの目で何度も見てきた。
鬼が、味方の隊士が、そうなる様を。

「雷の呼吸肆ノ型――」

迷わず技を出しかけた、その時だった。
気が付けば、辺り一帯に私を包み込む様に広がる霧のようなこれは――幻惑?

「(しまった、血鬼術……!)」

一瞬、動きを止めてしまった。
もうその時点で私はしくじってしまったに等しい。
そして、私は在ろう事か鬼と対峙しているというのに、構えていた刀を下ろしてしまったのだ。

構え続けていられなかった。
霞む視界にゆらりと現れたその人に、私は、刀を向けるなんて出来ない。

『なまえ』
「時、透くん……何で?」

私の眼前には鬼ではなく、私が全幅の信頼を寄せてやまない時透くんが立っていたのだから。
どうして此処に?私は一体何で時透くんと向かい合って、しかも斬り合わんとしているのか。

『なまえ、よく頑張ってるね』
「っ、」
『こっちにおいでよ。褒めてあげる』

たまらず、私は一歩。また一歩とその距離を縮める。
覚束ない足取りで、けれど確実に時透くんの元へと歩を進めてしまう。
そうせずには、いられない。

「と、きと……くん――うぐっ!?」

刹那、私は腹に鋭い痛みを受ける。
そこには鬼の指先が突き立てられていた。
ゴポ、と口から吹き出した血液がボタボタと零れ落ちて、地面を赤く染めた。

「憐れな鬼狩りだ……お前がその男と結ばれることなんて一生涯無いとも知らないで」
「う、がはっ……」

嗚呼、油断した。よりにもよって、時透くんの幻覚だなんて。
それにまんまと惑わされてしまった。

結ばれない?そんな事は知っている。
彼は私の事なんて何とも思っていない。
愛だの恋だのと言ったくだらない感情は邪魔なだけと吐き捨てられるだろう。

じゃあ、私は?
私も彼と同じように、吐き捨てる事が出来るのだろうか?

「そん、な……事、言われなくても、知ってる……!」

渾身の力を込めて、鬼の首を目掛けて刃を振るう。
しかし、瀕死状態である私の渾身の力なんて知れていた。
首を切り落とす事など到底出来ず、首の半ばまでも刃は届かず、私は脱力する。
意識が朦朧として、視界が狭窄し、感覚が無くなり始める。

「(どうにか、呼吸で……止血、を……)」

薄れる意識の中で、脳内を巡る様々な思い出。
この世に生を受けた時、楽しかった幼少時代、裕福ではなかったが家族仲良く暮らしていた思い出、善逸と獪岳と共に修行に明け暮れた日々、最終選別を突破して支給された隊服と日輪刀――。
鬼から庇われた時、視界に飛び込んだ時透くんの背中。

嗚呼、これは走馬灯か。私は死ぬんだ、このまま。

こんな時まで、脳内にこびりついたどうしようもない記憶は茫洋とした瞳で私を見つめる時透くん、その人だった。
酷く瞼が重く感じられて、瞳を閉じてしまう。目尻から零れた涙が、頬を一筋伝って流れた。

「とき、と……くん」

時透くん、時透くん、時透くん。

最後まで私は、決して届きはしない貴方を思い、その背を追っていた。

20200303


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