後日談になるのだけれど、その後の僕達について少しばかり話をしておくとしよう。
それは、言うまでもなく蝶屋敷での一件についてだ。

僕は確かに『小一時間で起こせ』と伝えた筈なのに、どういうわけか目が覚めると西の空が茜色に染まっていたのだった。
全くどうしてくれようか。
時は金なりと言うくらい時間は大切なものなのだ。特に柱である僕と、平隊士のなまえとでは比べ物にならない程に貴重で、その重みも何倍も違う。
しかも、それだけでは飽き足らず、何やら頬が冷たいなと思っておもむろに触れてみると、そこには透明な液体がべっとりと付着していて……。

「……」

まず、僕は夕刻まで眠ってしまった時点で大いに不満が溜まっていた。それこそ爆発寸前だった。
そして、その不満に輪を掛けるようにべっとりと頬へ垂れたその正体を理解した時、止めを刺されたのだと思う。
なまえの女性らしからぬ硬い硬い膝枕で眠っていた僕の眼前には、珍獣のような不っ細工な寝顔が広がっていて、だらし無く半開いた口からは透明な唾液の糸が一線、僕の頬と繋がっていた。

行き場のない怒りの様な……筆舌に尽くし難いこの感情。
僕にもこんな感情の起伏が見られるのだ。彼女限定であるけれど。
その日、僕はまた彼女を稽古と称してボコボコに、徹底的に、あくまで指導という建前で憂さを存分に晴らしたのだった。

この時、彼女の目に僕という人間“時透無一郎”はどんな風に映ったのだろう?
無一郎の無は無情の無――なんてね。

***

「この辺りで人が相次いで消息を絶っているって話、耳にした事がありますか?」
「ああ、あれか……」
「何かご存じですか?」
「いやぁ、詳しくは知らねぇが、何でも幼子ばかりがいなくなるって言うんで、神隠しだの何だのって言われてるのは聞いたな」
「……そうですか」

僕の管轄下にあるこの地域では、最近不審な失踪事件が相次いでいるのだそうだ。
その一報を受けて、僕はこうして情報収集に駆けずり回っているのだけれど、さっきから聞く情報に一貫性が無い事に少し違和感を覚える。
先程の中年男性の話では、“幼子ばかり”だと言った。
しかしその前に聞いた女性の話では、“年頃の女の子”だと言うし、そのまた前の老婆によれば“何かしら腕に覚えのある青年ばかり”だと言う。

正直、何が何やらと言った感じだった。
何を信じて何を捨て置くべきか――その取捨選択の線引きの判断に頭を悩ませるばかりだ。

そして、この街は宿泊施設が多く軒を連ねる謂わば宿場町の様な地域だ。
温泉も湧いており、地方からも多くの人々が訪れる。
湯治に、道すがら……不特定多数の人々が行き来するこの場所で、多くの行方不明者を出しているのだとすれば、これは見過ごす訳にもいかない。
鬼が関与している可能性は十二分にあり得る。
しかし、一貫性も無く、確かで有益な情報が聴取出来ていない以上、下手に動く事も難しい状況である。
これは少し、解決まで時間が掛かるかもしれない。

頭を悩ませている、まさにその時だった。
向かいの温泉饅頭を売る店から、見慣れた姿が出てきたのは。

店の饅頭を買い占めるかの如く、両手に大量の饅頭の包みを下げてニコニコと嬉しそうにしているその女性は、歩く度に大きな乳房がたわわに揺れていて、行き交う男性の視線を一身に受けていた。
惜しげもなく大きく開いた胸元と、丈の短いスカート形式の隊服に白い羽織。
それから、膝上までの長い靴下と同じ黄緑色と桃色の髪を三又に結っている。

どこに居てもよく目立つ人だ……なんて、ぼんやりと思った。

「あ! 無一郎くん!」
「甘露寺さん。こんにちは」
「そう言えば、この辺りは無一郎くんの管轄だったのね。任務お疲れ様。私はここの温泉よく入りにくるの。このお店の温泉饅頭が大好きでね、幾らでも食べられちゃう」
「そうですか」

別に尋ねてもいないのに、甘露寺さんはペラペラと居合わせるまでの経緯を話してくれた。
彼女の話に耳を傾けながらも、その手に握られた温泉饅頭、なまえも好きそうだなとぼんやり思う。
何で今、僕は彼女の事を考えたのだろうか?
至極自然に無意識に思考してしまった僕は、この間から一体どうしてしまったのだろう。

「ねえねえ、無一郎くん。ふろふき大根は美味しかった?」
「え?」
「この間、どうしてもってなまえちゃんに頼まれて一緒に作ったの! なまえちゃん、料理が大の苦手だって言うから、私が作るよって言ったんだけど、自分で作って無一郎くんに食べてもらいたいって頑張ってたのよ?」

「何度失敗しても諦めなくて……一途な姿にキュンとしちゃう!」なんて言う甘露寺さんの言葉に、僕は何故か今無性に――どうしようも無くなまえの顔が見たくなった。
本当に、どうして。

「甘露寺さん、その温泉饅頭まだお店に残ってますか?」
「!」

言わずとも悟ったかのように、僕の事を微笑ましく見ながら甘露寺さんは何度も頷いて、そのほかにもオススメの菓子があるのだと教えてくれたのだった。

それから僕は、また聞き込みを再開して、甘露寺さんにオススメだと教えて貰った菓子を買い、屋敷に戻った。
その包みを見て、僕は一体何をしに行ったのだろうかと首を傾げずにはいられない程、らしく無い行動をとってしまった事実に苛まれながら家路につく。

「(僕は、情報収集に行った筈なのに……)」

こんな物を買ってしまって。なまえには何て言って渡そうか。
「ただいま」と言って屋敷に入ると、いつも通りなまえはドタバタと慌ただしい足音を伴って僕を出迎えた。
いつも通り?――否。ただ一つ、彼女の身成を除いては。

「お帰り、時透くん!」
「…………ただいま。何? その恰好」

隊服にいつもの三角柄の羽織を着た見慣れた恰好ではなく、矢絣柄の赤い着物に女性袴をはいていた。
上半分を結い上げた髪にはリボンを結んで、手には巾着。ほんのりと嫌味のない程度に施された化粧。
見せびらかす様に、その場でくるりと一回転したなまえは、歳相応の年頃の娘そのものだった。
無邪気で無垢な、可愛らしい女の子といった装いで。
じっと此方を見るなまえから、感想を求められているように感じたが放っておいた。
僕は優しくない。どうでもいいものはどうでもいい。

「これから任務なの」
「その恰好で?」
「そう! なんでもその地域では若い女の子ばかりが失踪してるらしいから、町娘の恰好に扮すれば鬼をおびき寄せれるかなと思って」

町娘――年頃の、女の子。
その言葉に僅かに感じた胸騒ぎ。それは、気付かない程の小さな小さな一抹の不安だった。

「それじゃあ、行ってくるね」
「待って」
「うん?」

入れ違いで出て行こうとするなまえを、僕は引き止める。
細い手首を捕まえて、問いかけた。

「……その任務って、まさか此処から西にある温泉街?」
「そうだよ。よく分かったね! 大丈夫、温泉に入らずにちゃんと任務をこなすから」

「あはは」と呑気に笑って出て行く彼女を、どうして僕はそのまま行かせてしまったのだろう?
何故、もっとこの状況を危惧して引き止めなかったのか。

――何で素直に、その恰好よく似合ってるよって言ってあげられなかったのだろう?

渡しそびれた菓子を握ったまま、僕は彼女を見送ってしまった。

20200224


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