「ええええ!! う、嘘でしょ!? なまえ、どうしちゃったのその格好!」
「善逸さん、静かにしてください! 早朝なんですよ!?」

早朝の蝶屋敷は善逸の騒々しい声で満ちていて、それをすかさずアオイちゃんが叱咤するという見慣れた風景の中に私は居た。
善逸の言うところの“どうかしちゃったその格好”にこれと言って可笑しな箇所は無いと思うのだけれど、敢えて口にするのなら、いつものお気に入りの羽織を脱いで、蝶屋敷の皆さんとお揃いの予防衣を身に付けている事ぐらいだ。
そして今日の私はと言うと、お世話される側からする側へと配置換えをした。

とどのつまり――

「突然ですが、なまえさんは今日一日、蝶屋敷のお手伝いをしてくださる事になりました」

そういう事です。
私は、今日一日限定で蝶屋敷の皆さんの仲間入りを果たしたのだった。

「丁度、カナヲが任務に出て不在なので、なまえさんには主に機能回復訓練の相手役と簡単な雑務をお願いしようと思っています」
「仕事を増やさないように頑張ります! 今日一日よろしくお願いします」
「そういう事ですから、特に善逸さん! なまえさんがいらっしゃるからと言ってサボらずに機能回復訓練にもちゃんと参加してくださいね」
「はぁい! 分かってるよ、アオイちゃん」

アオイちゃんがテキパキと状況を説明してくれた後、改めて自分でも簡単に挨拶を済ませた。
歓喜の声を上げ、全身で喜びを表現してくれる弟弟子を微笑ましく思いながら、竈門くんと嘴平くんに後で機能回復訓練の相手をする約束を済ませ、早速与えられた仕事に取り掛かる。
此処へ来てから私に与えられた初仕事は洗濯物を干す事だった。

「よし! 頑張るぞ」

気合いも十分に、てんこ盛りのシーツや衣類を物干し竿へ手際よく掛けてゆく。

私が今日、こうして蝶屋敷を訪れた理由は今更語るまでも無いだろうが、敢えて完結に述べるなら、先日、胡蝶さんから受けた恩を返す為である。
甘露寺さんにふろふき大根の作り方を教えてもらえるように取り計らってくれたのは他でもない胡蝶さんで、その時の恩返しがしたいのだと申し出たところ、それならば……と、今日の話を頂いたのだった。
それに今日は丁度非番だったので、都合も良かった。
毎度毎度お世話になりっぱなしの胡蝶さんや、蝶屋敷の皆さんに少しでも日頃の感謝をこうして返す事が出来たのなら、これ以上に喜ばしい事はない。

自然と緩んでしまう口元を今一度引き締め、気合いを入れ直し、残りわずかになったシーツを物干し竿へ掛けた。

早々とシーツ類を干し終え、空になったカゴを戻しに縁側へと向かう。
実はこう見えて、私は料理以外の家事は存外得意だったりする。
師範の元で善逸や獪岳と一緒に暮らしていた時も、掃除や洗濯は専ら私の役目だったし、料理の腕が壊滅的である為、その他の家事には特化していたのかもしれない。
人は誰しもそれぞれに得手不得手が存在いているものなのだ。

縁側まで行き至った所で、そこには「なまえー!」と、私の名前を呼ぶ患者衣姿の善逸が待ち構えていた。
蝶屋敷で再会を果たした時よりも、その手足は随分と元通りになったようで安心する。
私よりも小さかった身長も手足に比例して、元の背丈に戻ったようだ。涙と鼻水で塗れていた顔も今ではもうすっかり私よりも上にある。

「おつかれさま。ほらほら籠かして! そんで、なまえはこっちね」
「ありがとう。善逸も竈門くん達と一緒に回復訓練しなくていいの? アオイちゃんに怒られちゃうよ?」

私の腕から洗濯籠を取り上げて縁側に腰かけた善逸は、隣に座るよう床板をトントンと叩いて促した。
「心配しなくても後からちゃんとやるよ」と、笑う善逸を視界に捉えて、その様子では絶対やらないなと思い苦笑する。

以前は袖口から覗いていなかった手が、今では私から取り上げた洗濯籠をしっかりと抱えている。
未だに所々毒の影響で変色している善逸の手を、私はそっと包み込む様に握った。

「どどどどうしたの急にっ……!」
「まだ少し毒の影響が残ってるんだなと思って」
「あー……うん、まあね。でも、ちゃんと感覚はあるし、元通り動くから! 色はちょっと気持ち悪いけどね」
「気持ち悪くないよ。善逸の手が元に戻って本当に良かった」

良かった。本当に。
これ以上大切な人を失う事も、傷付くのを目の当たりにするのも、もう沢山だ。
そんな痛みは、もう十分。

両手で包み込んだ善逸の手を見ながらしみじみ言うと、善逸は良くも悪くも聞こえのいい耳で私の音を聞き取ってしまったらしい。
昔から善逸が相手では隠し立ての一つも通用した試しがなかったっけ。
だから、きっとこの一瞬過ぎった不安さえ彼は絶対聞き逃してはくれない。

「大丈夫だよ、なまえ。心配しなくても、これくらいじゃ俺は死なないから」
「善逸……」
「……まぁ、弱い事に変わりはないんだけどさ。運がいいってだけで何だかんだ生き残っちゃうんだよね、毎回。でも、なまえを一人ぼっちにはしないから! だから、そんな苦しそうな音させないでよね!」
「っ! ありがとう……善逸」

善逸はいつも優しい。
騒がしく、そそっかしい所も相変わらずだが、その優しさが今も変わらず彼に存在している事実が私は心底嬉しかった。
そして、確かに彼の優しさは私を不安から掬い上げてくれたのだ。

気恥ずかしそうに逸らしていた視線を手元に戻した善逸は、不意に視界に飛び込んで来た包帯だらけの私の左手を見て、ぎょっとする。

「ちょっと何これ!? 何があったの!? どうしたのその手! 何が起こったら全部の指に包帯巻くような大惨事になるわけ!?」
「あー……えっと、これは、その……少し料理を」
「そっか、料理か。……料理!? それなまえが一番苦手な事じゃん! よく指付いてたね! 本当に良かったよぉ!」

泣いているのか喚いているのか。多分両方だった。泣き喚いている。
掴み上げた私の左手に頬を擦り寄せながらおんおんと嘆く様に「大袈裟だよ」と、笑って見せた。
しかし、善逸は苦しそうに顔を歪めて、私の手を改めて握り直す。

「こんなの全然大丈夫じゃないよ。……なまえにこんなことさせてんのは、アイツのせいなの?」
「え?」
「――霞柱だよ。この間話してたじゃん」

一瞬、私達の間に流れる空気がピンと張り詰めた様な気がした。
それは多分、いつもヘラヘラした表情の善逸が、珍しく真剣な顔をしているからだ。
その変わりように、思わず気圧される。

「俺は、なまえが霞柱のせいでこんな事になってるんだとしたら見過ごせない。ねぇ、アイツじゃなきゃ駄目なの?」
「善逸?」
「その答えによっては、俺…… ――いっだぁぁああい!!」
「!?」

真剣な場面から一転、突然善逸の悲鳴(汚い高音)が辺り一帯に響き渡った。
何だ何だ、一体何が起こったんだ?
あまりの場面転換ぶりに、驚きのあまり放心して呆気に取られる私と、目に涙を浮かべて真っ赤に腫れた手を擦る善逸。
それこそ文字通り私達の仲を引き裂き、割り入るように、先程まで手が繋がれていた場所には手刀が振り下ろされていた。

「な、ななな何!? 敵襲!?」

身体の寸法より大き目に誂えた特徴的な隊服の袖を辿って見上げた先に、“彼”は居た。

「時透くん……!」
「時透って……か、霞柱!?」

いつの間に背後に立っていたのだろう?全く気が付かなかった。
不機嫌であるのか否かも知れない表情で、時透くんはその場にしゃがみ込む。左右にそれぞれ私と善逸を挟む様にして。
そして、混乱の一途を辿る私達を置き去りにしたまま、時透くんは私の眼前にずいっと手を差し出した。

「ねえ、なまえ。手当てしてよ」
「え?」

登場の仕方が仕方であったので、一体何を言われるのか彼の一挙手一投足に身構えていたのだけれども、予想外の要求に、私は再び呆気に取られる。
可愛らしく、こてんと首を傾げて手当てを要求する、霞柱・時透無一郎、十四歳。
差し出された手の甲には、確かに擦過傷が見受けられる。
しかし、それは素人目でも手当てなど不要なほどの些細な傷に思えるのだが……。

「鎹鴉が鳴いているわけでもないのに、今朝、随分と慌ただしくしてたから」
「あ! そっか、時透くんには言ってなかったよね。実は今日一日蝶屋敷の手伝いをする事になったんだ。色々あって」
「そうみたいだね。そんな服まで着て」
「折角だから、借りたの。蝶屋敷の皆とお揃いだよ! どうかな? 似合う?」

隊服の上から着用した予防衣を掴んで見せると、時透くんは私をじっと観察した後、口元に指を当てがって、首を傾げた。

「うーん……馬子にも衣装?」
「ありがとう!」
「ちょっと何なの!? 急に現れて手刀かましといて人を置き去りにしないでくんない!? 馬子にも衣装ってそれ褒め言葉じゃないから! 普通にありがとうとか言っちゃ駄目なやつ!」

何事もなかったかの様に進む会話に異議を唱える善逸が居てくれて心底良かったと思う。
ツッコミ不在の会話は収集がつかなくて困ったものだ。

さっさと手当をしろと私に手を差し出したまま、顔だけを向けて善逸を見上げる時透くんは、普段通りの落ち着いた声音で言う。

「君、まだ居たんだ?」
「居たよ! 普通に居るわ! それにその程度の傷なんて手当するまでもないし、唾でも付けときゃ治るじゃん!」
「ちょ、善逸……落ち着いて」
「(……善逸? 金髪……ああ、“これ”が)」

相手の時透くんが柱であると知っていても、善逸は珍しく引き下がる様子は無く、寧ろ食って掛かる。
一体何がそこまで善逸を焚き付けているのか、私には分かりかねる。
ただ、落ち着かない様子で二人の遣り取りを窺うくらいしか出来ずにいた。

「落ち着いてなんていられるか。柱かなんか知んないけどさぁ、なまえは何でこんな子供みたいな奴に構うんだよ!」
「えっと……(でも、歳は善逸と二つしか変わらないんだけど……)」

何度も言うが、仮にも時透くんは鬼殺隊の柱だ。私達平隊士にとって彼は恐れ多い存在なのだ。
そんな時透くんに対して指差しで怒鳴る善逸の暴挙は万死に値するのでは無いだろうか?

「いちいち喚かないでよ、五月蝿いな。別に僕は君に手当を頼んでるわけじゃないし、君が口出しする事でもないと思うけど」
「いいや、あるね! 大ありだよ! なまえをこんな目に合わせるんだから……気だって変わる」

善逸は一体なんの話をして、何に立腹しているのかよく分からなかった。
多分、私の手の怪我を気にしての事なのだろうが……。

「君さぁ、いつまでそうやって姉弟子にベタベタ貼り付いてるつもりなの? そんな事で君は強くなれるの? 療養期間中でも、君にはやるべき事があるんじゃないの? そうやって浮ついた感情に浸っていられる暇が君にはあるんだ? そんな立派な口を聞けるんだったら一体でも多く鬼を狩って鬼殺隊に貢献したらどうなの?」
「……っ!」

無表情だからこそ、時透くんの言葉は重みが増してしまう節があると思う。
決して間違った事は言っていない。ただ、相手の気持ちを慮る事は……欠如しているけれど。
味でも悪意でもなく、ただ純然たる事実を彼は述べただけに過ぎない。
だからこそ、その言葉をぶつけられた本人はきついものがある。

すっかり論破されてしまった善逸は返す言葉も無く、わなわなと打ち震えていた。
そんな二人のやりとりを目の当たりにしてしまった私は狼狽えるだけで何も出来ない。
「善逸……あの、」と、いつもの騒がしさがすっかり無くなって、黙りこくってしまった弟弟子に何と言葉を掛けていいのか分からなくなってしまった。

「……っ、俺は! アンタが嫌いです!!」
「うん、僕も」
「え!? ぜ、善逸? どこ行くの……?」

口を開いたかと思えば、それは驚くくらいしょうもない子供同士の悪口合戦みたいなものだった。
踵を返して床を踏み鳴らして歩く善逸は、私の呼び掛けに足を止めて振り向く。

「機能回復訓練!!」
「そ、そっか……! 頑張れ善逸!」

急にやる気を出してくれたのは凄く嬉しい。純粋に嬉しい。
少し、怒りの感情みたいな物が漏れ出していたのが気がかりだけれど。

「(私も時透くんの手当てが済んだら道場へ向かおう)」

医務室から救急箱を拝借して、手当をするまでもなさそうな時透くんの手の甲へ消毒を始める。
この程度の傷なら、医療の知識が全く無くとも何とでもなりそうだ。
それこそ、善逸が唾を付けておけばいいと言った程度の、そんな軽度の擦過傷なのだから。

「ねえ、怒ってる?」
「え? 何に怒るの?」
「別に……何でもない」
「そっか」

消毒を施す私に、時透くんは不意にそんな事を口にした。
きっとそれは善逸に対しての事なのだろうと思ったが、敢えて何も気付いていない振りをした。
時透くんには兼ねてから善逸の事を、大切な弟弟子なのだと話していたから。

消毒を終えて、再び私は救急箱の中を漁る。
包帯を手に取るも、流石にこの傷には大袈裟すぎると思い、ガーゼを取り出した。

「今日の朝ごはの煮物」
「あ、どうだった? 見た目は不恰好でも味には自信あったんだけど」
「大きい人参が固すぎて石でも齧ってるのかと思った」
「い、石……! ごめん、味に気を取られて火が通ってるのか確認するのすっかり忘れてた!」

へらりと笑って見せるも、時透くんはいつもの無表情な顔で私を見ている。
先程の善逸みたいに、私も彼の悪意ではない純然たる事実で論破されてしまうのだろうか?
恐る恐るガーゼを手に貼り付けながら、今か今かと断罪の時を待つ。

「……ふろふき大根、美味しかった。ありがとう」
「へ?」

豈図らんや、彼の口から出た言葉は、私の失態に対する数々のお叱りではなく――昨日のふろふき大根の礼だったとは。
それは、いつも鞭ばかりの時透くんから貰った初めての飴だったように思う。
それがとても嬉しくて。嬉しくて嬉しくて、堪らなかった。
満面の笑みを浮かべる私を、時透くんはほんの少しだけ瞳を見開いて見つめていた。

「また作るから食べてね!」
「うん」

「はい、出来たよ」と告げて、私は救急箱を片付けようと立ち上がる。
しかし、何を思ったのか、時透くんは私の隊服の裾を掴んで引き止めた。

「えっと……時透くん?」
「何処に行くの?」
「救急箱を片付けに医務室へ……それから、」
「いいよ。そんなの後からで」

救急箱を片付けた後で道場にも寄ろうと思う――そう告げようとして、思い止まった。
いや、そうするように仕向けられたのだ。時透くんに。
「だから、まだ此処に居てよ」と、続けて言う彼は立ち上がった私を再び着席させる。

そして、在ろう事か――

「と、とととととっ時透くん!?」
「五月蝿い……静かにして。最近ろくに睡眠が取れて無くて、眠いんだ……」
「は、はひ!」

そうする事が当たり前であるかのように、至極自然な動作で時透くんは私の膝に頭を乗せる。
それは所謂、膝枕というやつだった。
突然の膝枕に私は呼吸をする事だけで一杯一杯だ。
「一時間くらい経ったら起こしてね」と、瞳を閉じる彼の言いつけに、私はただ大人しく従う事しか出来ないくらいには混乱していたと思う。
そして、暫くして直ぐにスウスウと和やかな吐息が聞こえてきた。
まさか、あの時透くんが本当に眠ってしまったらしい。こんなにも無防備に。
この際、眠りに落ちる直前に「思ってたより硬いなぁ」と吐き捨てられた言葉は聞こえなかった事にしておこうと思う。

「……おやすみ、時透くん」

髪を撫でながら呟いた言葉は果たして彼に届いただろうか?
幼さの残るあどけない寝顔が可愛らしいと思った事は、勿論内緒だ。

20200223


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