『出て行きたかったら好きにすればいいよ』

「そ、それだけはどうかご勘弁を――!」

全身におびただしい量の汗をかきながら、魘される私が絶叫と共に跳ね起きた翌朝、既に時透くんは屋敷を発っていた。
昨日の気不味い雰囲気と言葉を置き土産に、彼はさっさと任務地へ赴いてしまっていた。

夢じゃない。現実だ。私は昨日、大好きな時透くんを怒らせた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
何がいけなかった?何をどう間違えた?

私は、知らず知らずのうちに時透くんに不快な思いをさせてしまっていた……らしい。
そう、“らしい”という言葉からも分かるように、私には昨日の遣り取りのどこに彼をああさせた要因があったのか分かっていなかった。

一体何をしでかしたのかと昨日の出来事を思い返してみるが、蝶屋敷から一緒に帰宅した事しか思い当たらない。
私の何がどの様にして彼の癪に障ったのかは残念ながら分からなかったが、稽古であれ程滅多打ちにされたのは初めてだ。
そして、出て行けばいいなんて、決定的な言葉を吐き捨てられたのも初めてだった。
言ってしまえば、“お前は用無し”なのだと言われたも同然で、此処に居座ったって“一生お前を継子にする気はない”と通達されたも同義。

確かに私は弱い。
剣技の才も無く、時透くんの足元にも遠く及ばない。
けれど、鬼殺隊に入隊してそれなりに経験と実績を残して来たわけで、今までだって散々弱いと言いながらもきちんとした稽古を付けてくれていたのに。
昨日のあれは本当に何だったのだろう?まるで己が憂さを晴らすが如く打ち込み台代わりにされたような感覚さえある。

「……よくわかんないよ、時透くん」

考えても考えても、巡らせても巡らせても。
言ってくれなきゃ分からない。
私は時透くんを分かりたいと思うのに、きっと彼はそうじゃない。
それが何だかとても――寂しい。

そう、“寂しい”。
出て行けと言われ、稽古で滅多撃ちにされ……一体どうすべきかという焦りより、どうしてこんな事をするのかという困惑より、大好きな時透くんと少しずつ縮まった様に感じられた距離が、また開いてしまってとても悲しく、寂しいのだ。

次はいつ帰ってくるだろう?
どんな話が出来るだろうか?

考えたところで、所詮、私は私。
頭を使って答え探しをしたところで的外れな回答しか見つけられないのなら、私の得意分野で最適解を見つける方が幾分もいい。

「よし、やるぞー!」

どんなに凹もうと、へこ垂れようとも、その分浮上するのも早い。それが単細胞の良い所だ。
けれど、最後通告を受けた私に出来る事なんて数える程しかない。
でも、それをしない選択は無いのだ。答えは出ている。私は此処に居たいし、どんなに虐げられ煙たがれても――私は時透くんの継子になりたい。
彼の傍で、その剣技や強さを盗みたいのだ。

* * *

「うーん、申し訳無いですが、私ではみょうじさんのお力にはなれないと思います」
「そ、そんな……! そこをなんとかお願いします……胡蝶さん!」

困った時の蝶屋敷。
身支度を済ませて早々に出向いたこの場所は、今や私の駆け込み寺と化している。
最近では可愛い弟弟子の見舞いが主で訪れる事が多かったけれど、今回ばかりは善逸には心底申し訳無いと思う。善逸の見舞いはついでという位置付けになってしまった事を詫びたい。
しかし、それ程までに私は逼迫していた。

頭を使う事が苦手な私が精一杯思案して、捻り出した挽回策。
それがどんなに無謀であろうとも、時透くんに示す為には避けて通れないのだ。
やるしか無い。もはや、根性論である。
男は度胸、女は愛嬌。私の場合に限っては、男は度胸、女は根性。

そうして今、向かいに座る胡蝶さんに目一杯頭を下げて指南を願い出た事と言えば、私が一番不得手としている事柄である。
しかし、それは胡蝶さんでも手に余る事柄であったらしい。

「私、料理は食べる専門なんです! でも、どうしても作りたい料理があって……」
「そう泣き付かれましても、こればっかりは……」

殆困り果てたと言うように、胡蝶さんは顎に指を当てがいながら思案する。
蝶屋敷の事だけで無く、柱でいらっしゃる多忙な胡蝶さんに平隊士風情が泣き付き懇願するなど言語道断、笑止千万。
怪我をしたわけでも無いのにこんな風に突然押し掛けてしまう私は、己の身分を弁えろと今すぐにでも屋敷から摘み出されてもおかしくない事をしている。
それでも心優しい胡蝶さんは私の悩みに対し、親身になって寄り添ってくれているのだ。
今の私には、胡蝶さんが女神様に見えた。

「ああ、いるじゃないですか適任者!」
「本当ですか!?」
「はい。甘露寺さんにお願いするとしましょう。私からお伝えしておきますよ」
「あ、有難うございます! この御恩は一生忘れません! 御礼は必ずや……!」

胡蝶さんの手を両手で握り締め、感謝の意を伝えると、彼女はくすくすと笑みを零した。
嫣然と微笑む胡蝶さんはとても綺麗だ。
同じ女性でありながら、見惚れてしまう程に。

「ふふ、どういたしまして。それにしても、随分と意地らしいじゃないですか」
「いえ、その、余計な事かなとも思うのですが……」
「いいと思いますよ。誰かを思って作った料理は、きっと普段の何倍も美味しいですから」

誰かを思って作った料理――。
そう言われて、ふと昔の記憶が蘇った。
両親が鬼に殺されて、師範に拾って貰った時、久し振りに誰かと一緒に食べたご飯の味。

「……そうですね。頑張ります!」
「はい。またお話し聞かせてくださいね」
「はい!」

その後、私は少しだけ善逸の元へ顔を出して、町へ向かった。
翌日、両手に大量の大根と、甘味屋で買い占めたお礼の桜餅を抱えて甘露寺さんの御屋敷へと赴いたのだった。

20200211


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