それは、食材の買い出しを終えて蝶屋敷へと戻る最中だった。
両手に買い物を抱えて、往来を行く私の視界へと飛び込んだのは、久しく見ていなかった伊之助くんの姿。
長期の任務に出ると聞いていたので、彼を見たのは実にひと月振りだ。
つい嬉しくなって、声をかける。

「おーい! 伊之助く……――」

しかし、彼を呼びかける言葉を思わず飲み込んだ。
私は背丈が低い方だから、人混みに紛れて良く見えていなかった。
伊之助くんの姿しか目に入っていなかったが為に、行き交う人が捌けて見通しの良くなった視界には、伊之助くんと、それから――可愛らしい女の子の姿がある。

何処かで見かけた事のある子だなと思って、記憶を巡らせると直に思い至る。嗚呼、よく訪れる甘味屋の娘さんだなと。
可愛らしい子だなと予々思っていて、あの容姿だし、少し言葉を交わした事があるが、とても気立ての良い子だった。
そんな素敵な子と、伊之助くんが話している姿は正に美男美女だなと感じて、似合いだなとも思ってしまって。
割って入ろうだなんて考えにはとてもじゃないが至らなかった。
胸に刺すようなツキンとした小さな痛みが走る。
伊之助くんの隣には私なんかより可愛らしくて、うら若い女性が似合う。
幸い声は聞こえていないようだし、此処は何も見なかった事にして蝶屋敷へ戻るとしよう。

だからきっとこの胸の痛みも、モヤモヤとした感情も全部気のせいだ。
でも、何処かで思っていたのかもしれない。伊之助くんの瞳に映るあの子が羨ましいなって。私が一番に伊之助くんに会いたかったなって。
――私があの場所に居たかったのにって。

「はぁ……何考えてるんだろ。疲れてるのか、な――ぎゃ!?」

突然、腕を掴まれて、思わず此処が往来だという事も忘れていつものように色気もクソもない声を上げてしまった。

「オイ、待てよ!」

振り返るまでもなかった。頭上から降る声が、それが誰であるのかを瞬時に私へ知らしめる。
トクン、と胸が高鳴った。
私に気が付いてくれていたのだという事。それから追いかけてきてくれたという事。
あの子より、私を優先してくれたと言うこと。
嬉しい。純粋に、嬉しかった。

「う、あ、えっと……お帰り! 伊之助くん。……き、奇遇だね」
「おう。……じゃねえ! 何が奇遇だ! お前さっき俺を呼んどいて、どっか行くんじゃねーよ!」
「へっ? ……き、聞こえてた、の?」
「当然だ! 俺様を舐めんなよ!? あんなもん余裕で聞こえるわ!」

「山の王を舐めんじゃねぇ!」と、彼はよく分からない呼称を自慢げにひけらかすものだから、私は「あ、う、うん。凄いね!」なんて、お座なりな返答をしておいた。だって、よく分からないんだもの。

「……でも、その、良かったの?」
「あ? 何がだ」
「だから、さっきの甘味屋の子だよ。仲良さそうに話してたじゃない。伊之助くんだって満更でも無さそうだ、った……っ、!」

そこまで口にして、はたと気付く。私は一体、伊之助くんに何を言っているのだろうかと。
伊之助くんはジッと此方を見ていた。言葉を一言も発する事なく。
無言であるから余計に気まずさが増して、自分の口の滑り具合を痛感する羽目になる。

「な、なんちゃって!」
「なまえ」
「かっ、帰る! さようなら!!」
「はぁ゛ん!? 待ちやがれ!」
「んなっ、ちょ――ぎゃぁああ!」

身を反転させてそそくさと逃げ出そうとした時だった。勿論彼が逃してくれるわけがなく。
伊之助くんは両手に抱えていた荷物ごと私を担ぎ上げる。そう、いつもの米俵スタイルだ。
衆目を集めるけれど、もう諦めた。

「どうせ蝶屋敷に帰るんだろ? この方が早ぇ」
「いや、そうだけど……でも、何で?」
「じゃなきゃお前はまた逃げるだろうが。――聞かせろ。ちゃんと、全部聞かせろ」
「何、を……?」

“何を”なんて、愚問も甚だしいと思った。
担がれているから、伊之助くんの顔が見えない。だからこそ逆に話しやすいのかもしれないけれど。
ぎゅうっと、彼の背の隊服を掴んで、私は観念する。

「ヤキモチを……焼きました」
「おう。それから?」
「そ、それから!?」

それから、それから。何だかんだでもう、伊之助くんは分かっているのだから、狡いなぁと思った。
蚊の鳴く様な声で「伊之助くんの特別は私だけが良いって思いました……」と告げたけれど、きっとしっかり伝わっているだろう。満足そうにフンスと鼻息を荒くしていたから。
だって、山の王なんだものね?


20200506


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