俺は、懐に忍ばせた物を隊服の上からそっと触れて、“ふへっ”とだらしなく表情を緩めた。
それは勿論、愛しい人を思っての事で、自然と屋敷へ戻る足取りも早まる。
嗚呼、早く帰ってこれを彼女に渡したい。そして今日こそ、彼女に伝えたい。
彼女への想いなら、今まで散々伝えて来た。
けれど、今回は特別で、一番大切な事だから……だからどうか一言一句聞き逃さないで聞いて欲しい。

「ただいまー」
「師範、お帰りなさい。早かったですね」
「うん、まあね。見回りの管轄地域でもこれと言って問題は無かったし、任務も入らなかったから」

草履を脱いで屋敷に上がると、そそくさと傍に寄ってくる彼女が一層愛おしく感じられて、頭を撫で、額に口付けを一つ落とした。
今回は彼女の単独任務と重なってしまったから、一緒に管轄の見回りには出られなかった。暫しの間離れていた時を埋めるように彼女を腕に抱く。

嗚呼、なまえの音だ……。
どこまでも澄み渡った、美しく清らかな音。俺が触れると、とたんに華やぐような淡い音が混じる。とても落ち着く音だ。愛おしい音だ。いつまでも聴いていたい、そんな音。
俺は今日も無事にこの場所へ戻って来れた。

「そうそう、なまえにお土産があるんだった!」
「ありがとう御座います、師範。では早速お茶を入れますね」
「ちょ、待って待って! 何でお茶なの?」
「え? だっていつも師範はお菓子を買って来て下さるので。八つ時ですし、丁度いいかと」

俺の土産=食べ物の印象が彼女に刻み込まれていて、ガックリと肩を落とす。
まあ、確かに散々菓子や食べ物関係ばかりを土産だと言って買って帰ったけれども。
しかし、今日は違うのだ。

緊張から心音が乱れている事に気が付いた。
こういう物は、もっと雰囲気を考えた方が良いのかも知れないけれど。
玄関の上がり口では流石に無粋過ぎると思い、取り敢えず肩を抱いて縁側へと彼女を促す。
その間もなまえは幾度もこちらを見上げては「どうしたんですか?」「何だか変ですよ?」と聞いてくる。こんな時に限って特に勘が冴える俺の恋人だった。
こんな時ばかり俺の緊張を煽るのはやめて頂戴。

「あの、師範?」
「なまえ、はい」
「え?」

はい。って……何やってんの俺ェ!!

結局、緊張のあまりいつも通り土産の菓子を渡すノリで懐から取り出した物を彼女に差し出してしまった。
自覚している以上に、俺は緊張を極めているらしかった。
もっとこう、気の利いた言葉と共に渡す筈だったのに。愛の言葉を添えて渡す予定でいたのだ。

ほら見ろ。いつものノリで差し出しちゃったから、彼女もキョトンとして中々受け取ってくれない。
俺は、その、後生大事に包んでいた縮緬の小ぶりな風呂敷を解いて再度彼女に差し出した。
それを目の当たりにした彼女は双眸を見開く。

「ぜ、善逸さん……これは?」
「なまえに似合うと思って。でも、いつかは絶対渡したいと思ってたんだ」

半透明の赤みが混じる綺麗な黄色。
半円を象って、上部に花の装飾を施した鼈甲の櫛を、俺の想いを目一杯込めたそれを、なまえに贈りたい。
彼女は、上等なそれに戸惑いを見せている。でも、彼女が奏でる音はとても嬉しそうな音だった。

「でも、これ……」
「櫛にはね、意味があるんだよ? 知ってる?」
「知りません」
「じゃあ、よく聞いて。俺がこれからなまえに伝える言葉、聞き逃さずにちゃんと聞いていて」

頷くのを見て、俺は言う。
まあ、これも聞いた話で、受け売りで。それこそ昔の話であるし、今の時代ではもうあまり通用しないのかも知れないけれど。

「“苦しい時も共に乗り越えて、死ぬまで添い遂げよう”って意味なんだってさ」
「!」
「だから、俺はこの櫛をなまえに贈りたい。俺にはもうなまえ以上の女の子は現れないし、なまえ以外なんて必要ないんだ。なまえがいい。なまえじゃなきゃ駄目だから、どうか受け取って欲しい」

ただただ静かに全て聞き終えると、彼女はその瞳に涙を浮かべていて、瞬きをする度にそれは大粒の涙となって、ボロボロと零れ落ちた。
一度は忌み嫌った聞こえの良過ぎるこの耳も、こんな時は心底役に立つ。だって、彼女の想いを何一つ聞き溢さなくて済むのだから。

「ぜ、ぜんいつ、さん……」
「受け取って貰える?」
「はい。はい……! 勿論です。嬉しい……」

彼女は両手で後生大事にその櫛を胸に抱いた後、それはそれは涙の滲む極上の笑顔で俺を照らした。
愛おしい以上の感情をどうやって言葉にすれば良いのか分からない。だから俺も笑顔を浮かべて彼女を抱きしめた。
嗚呼、幸せって、塩っぱい味がすんのかな?なんて思ったら、それは彼女と同様、俺の瞳から溢れた涙であったらしい。


20200508


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