夜も更けた頃だった。
「し、師範……」なんて、怯え切った声でなまえが部屋の外に立って居たのは。
いつも賑やか過ぎるくらいのなまえがこの怯えようなのだ。ただ事では無いと思い襖を開けてやると、腕に枕を抱いた彼女は縋るような目で俺を見て、言った。

「師範、一生のお願いです」

でた。一生の願い。
俺は彼女の“一生の願い”を今まで幾度となく聞いた覚えがあるが、今回で彼女の人生何周分の願いになるのやら。

「夜遅くに男の部屋を訪ねるなんて、あまり感心しないぞ、なまえ」
「一生のお願いです」
「はぁ……今度はどうしたんだ?」

二度言った。師範である俺の言葉を無視して尚、言った。
そうか、そうか。俺の小言はどうだっていいのか。
まあ、今のなまえに注意したところで右の耳から左の耳だろう。
何より今の彼女はその一生の願いを俺に聞き入れて貰うのに必死なのだから。

「一緒に寝てもいいですか?」
「仕方がないな……今日だけだぞ? 一緒に寝て――んなっ、一緒に寝る!? 駄目だそんなの!」

俺の継子は一体何を考えているのか。その脳内と言ったら、まるで、ちょっとした小宇宙のようだ。実に理解しがたい。
俺は全力で彼女の願いを突っぱねる。流石にその願いは叶えてやれない。

「そんなっ……そ、そこをなんとか!」
「だいたい何で急にそんな話になるんだ!」
「今日昼間に胡蝶さんの怪談話を聞いてしまったんです……!」
「何で聞くんだ!? お前は専ら怪談の類が苦手だろう!」
「昼間だったからいけると思ったんです! お願いです師範、見捨てないで下さいいい!」

その時、ガタタッと風で戸が揺れて、彼女は大袈裟なまでに身を震え上がらせた。
くりくりとした瞳に涙を溜めて震える様を見て、己の弱さを思い知る。
俺はとことんなまえに弱い。

「……今日だけだぞ?」
「師範……! 大好きです!!」
「っ、……はぁ、お前のソレはいつでも大安売りだな」
「?」

そんな軽々しい意味で欲しい言葉じゃないんだが。
けれど、他の男に売られるくらいなら俺が買い占めてしまおう。

俺の部屋だというのに、主人を差し置いてなまえは布団へ潜り込む。
仲良く並べられた枕を見て思った。さあ、試練の始まりだぞ炭治郎。
「師範、早く来てください。寒いです」と、俺の気も知らないで彼女は無邪気な笑顔で誘う。
無邪気とは邪な気が無いと書くが、その行動は邪でしか無い。

せめてもの抵抗に、俺は彼女に背を向けて眠った。
「おやすみなさい」と言って、背に張り付いてきたなまえが意地らしく、そして、堪らなく愛おしい。
直に小さな寝息が耳に届いて、背に温もりを感じながら俺もゆるりと眠りに落ちた。
しのぶさんにほんの少しの感謝をしながら。

20200320


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