「体調の方も良さそうですし、明日から任務に復帰しても問題ありませんよ」
「胡蝶さん、色々とありがとう御座いました」
「いえいえ。今回の任務、大変でしたね」
「はい……色々な意味で」
「あら? 色々な意味だなんてそんな言い方をされると、とっても気になっちゃいますね」

今となっては思い出す事すら嫌な出来事となった竈門くんとの姉弟弟子合同初任務。
少々罰が悪そうに視線を逸らした私の反応は、蟲柱・胡蝶しのぶさんの好奇心を擽ったらしい。胡蝶さんは「ふふふ」と、上品な笑みを浮かべる。
しかし、いくら思い出したくもない出来事だったにせよ、あの後の私達に何があったのか、その仔細を語らなければならないだろう。
事の顛末を、洗いざらい話して綺麗さっぱり忘れたい。その為にも、これから少しばかり私と竈門くんが共に臨んだ任務の後日談を語ろうと思う。

***

血鬼術が解け、眠りから目覚めた私が最初に捉えたのは、ぼやけた視界に広がる木目の天井だった。
生きている。どうやら私は、大嫌いな弟弟子の名前を遺言にする事だけは避けられたらしい。

それは大変喜ばしい事だったが、しかし、凝り固まった身体は鉛のように重だるい。
この症状から察するに、私は少なくとも二、三日くらいは眠っていたのかもしれないと、まだすっきりしない頭であれこれと思考を巡らせた。

それにしても、此処は一体何処だろう?
明らかに倒れた場所とは違う。そればかりか、隊服姿ではなく寝巻きを身に付けているし、ご丁寧に布団まで掛けられていた。
そして、だんだんと意識が鮮明になっていく最中、遅まきながら右手の違和感に気付く。何だかとても心地の良い暖かさが、そこには感じられた。
暖かさの正体を突き止めようと右手へ視線を滑らせると、そこには私の手をぎゅっと握ったまま眠る竈門くんの姿があった。器用に座ったまま睡眠をとっているようだ。

あれからずっと私に付き添っていたのだろうか?

そんな事を頼んだ覚えはこれっぽっちも無いけれど、彼は誠実で義理堅い性分だろうから、感じなくてもいい責任感を勝手に背負い込んで、こうして私の目が覚めるまで傍にいると決めていたに違いない。
まだ少し横になっていたいけれど、如何せん繋がれっぱなしの右手が気になって仕方がない。
あまりに落ち着かないので、直ぐ様繋がれた右手を解こうとするが、手を引いてみても竈門くんの手はビクともしなかった。
抜けない。というか、動かない。
眠っているくせに、何という握力だろう。

「は、離れない……! ちょ、え? 何これ……やだ、何これ」

竈門くんが目を覚ますまでこのままだなんて絶対に嫌だ。
というわけで、力一杯ぶんぶんと腕を揺すって無理矢理に手を振り解こうと試みる。
状況を知らない人がこの場面だけを見れば、“とても仲良く握手をしている私達”の図が出来上がっていた。

ぶんぶんぶんぶん、これでもかと一心不乱に振り回す。
これだけ腕を振り回していたら流石に彼も目を覚ますだろう。
すると漸く待ち侘びた瞬間が訪れる。
「ん……、」と小さく声を漏らして、竈門くんの瞼がピクリと震えた。
それと同時に手の力が緩み、すかさず私は手を引っこ抜いたのだった。

「なまえ、さん? ……なまえさん! 目が覚めたんですね! 良かったぁ……体調はどうですか?」
「だ、大丈夫……」

起きたら起きたでこの騒がしさ。
竈門くんは身を乗り出して再び私の手をぎゅうっと握りしめ、困惑する私を他所に心底安心したような表情を浮かべている。
やっとの思いで解けたというのに、私の手は再び竈門くんの手の中へ逆戻り。
剣ダコだらけの分厚い手。その握り心地と言えば決して良くは無いけれど、彼の今までの努力の証が刻まれているのであろうその掌は、とても暖かかった。

「私、あの後の事を良く覚えてなくて」
「なまえさん、あの後丸二日眠ったままだったんですよ。意識が戻って本当に良かったです」
「そう。ごめん、迷惑かけた」

鬼殺の剣士としての経験も階級も、私の方が上だというのに不甲斐ない結果になってしまい、立つ瀬がない。
その事実は、なんとも情けない物だった。私の落ち度で招いた事態。力不足だった、完全に。

自分一人で戦えばこんな結果にならなかったと思う。しかし、それは裏を返せば不測の事態に対応する能力が欠如している証明にもなる。
鬼との戦闘は、決して一対一の状況ばかりでは無い。人を庇いながら戦う場面も、他の隊士と共闘する状況だってこれから幾らでも出てくるだろう。
合同任務が初めてだったわけでは無い。なら何故、今回はこんな事になってしまったのか……。
簡単な話だ。私情を挟んでしまった。その上で自分が片付けるだなんて大口を叩いた結果がこれだ。未熟以外の何であるのか。

「……いえ、俺が未熟なばかりに、なまえさんの足を引っ張ってしまいました。俺のせいです。迷惑をかけてすみませんでした」
「……」

竈門くんは謝罪の言葉を口にして項垂れた。
すっかり元気を無くし、しゅんとしている彼からは、持ち前の明るさと前向きさは欠片も感じられない。
そこまであからさまに落ち込まれると、調子が狂う。
そんな彼の姿に私は一体何を思ったのか……いや、思ったというより血迷ったのだ、これは。

無意識に伸ばした手は、気が付くと竈門くんの頭をポンポンと軽く撫でていた。
私が鬼殺の剣士になったばかりの頃、失敗続きで落ち込んでいたところを義勇さんに慰めてもらっていた記憶が蘇ったから……かもしれない。
未熟である事を恥じる必要はなく、それを認め、努力すればいいのだと諭してくれた彼の様に。

「え?」
「え? ……――あ゛!?」

きょとんとする竈門くんに、私は自分が何をしでかしたのか、事の重大さを理解した。
慌てて竈門くんの頭から手を退ける。
そして、外方を向いた私が次にした事とと言えば、俄に信じ難い無茶苦茶な言い訳の数々だった。

「ち、違う! 今のは断じて違う! 事故!」
「事故……ですか」
「私、犬が好きだから! そんなに落ち込まれたらそんな風に見えちゃって、何となくそうなっちゃったかって言うか!」
「? なまえさん、犬がお好きなんですね」
「お、お好きですけど何か!? ……だから、その、長女だから!」

もういい。やめよう。聞くに堪えない苦しい弁解の数々は。このまま続けても私の格は下がり続けるばかりだろう。
長女だから何だと言われればそれまでだが、これは酷く混乱し、取り乱す私に出来る精一杯の言い訳だったのだから。

「あ、分かります! 俺も長男だから。つい癖で撫でてしまうんですよね」
「……」

へぇ、分かるんだ……今ので。

下手な鉄砲も数撃ちゃあたるとはよく言ったもので、聞くに堪えない数々の苦しい言い訳も、言い続けていれば意外と何とかなるものらしい。
最も、相手が竈門くんであったから長男長女あるあるが通じたのかもしれないが。

それにしても一番捻らなかった言い訳が効果有りだったとは何だか複雑な心境だった。
そして「深い意味は無いから勘違いしないで」と心底可愛げのない一言も、忘れずに吐き捨てておく。
竈門くんに背を向け、再び布団に包まり、ふて寝を決め込んだ。

「とにかく、もう大丈夫だから。竈門くんは先に戻って」
「はい、分かりました。戻り次第、蝶屋敷に来て欲しいとしのぶさんが仰ってしましたので」
「分かった」

背後では、私の指示に素直に従う竈門くんが身支度を整える音がする。
妹が入っている箱を背負って部屋を出て行く彼は、最後までこんなどうしようも無い私を気遣う律儀な弟弟子だった。

「あまり無理しないでくださいね。ゆっくり休んでください」

布団に包まる私は、襖が閉まる音を聞きながらぼそりと呟く。
それこそ、竈門くんに聞こえるか聞こえないかの声で。

「……ありがとう」

どこまでも素直になれない私だから、できれば聞こえていても、聞こえない振りをして欲しいと、そんな事を思った。

***

回想終了。
と、まあこういった具合で現在に至るのだった。
「お世話になりました」と頭を下げ、胡蝶さんに一言礼を告げてから部屋を出る。

玄関へと続く長い廊下を歩き、窓から覗く雲一つない晴天を眺めて思う。平和だなぁ……と。
この数日間が濃厚過ぎたが故に、こうして目に入るあらゆる何気無い物事から有難味を感じられる今日この頃。

竈門くんとは、藤の家紋の家を出たきりだった。あれっきり何もないし、顔も合わせていない。
それが輪を掛けて私の心にゆとりと平安をもたらしているのだ。なんて素晴らしい。
普段通り、いつもの日常に戻っていた。これでいい。これがいい。
そもそも私と竈門くんは、これが通常なのだから。関わり合いなどなかったのだ。
胡蝶さんから任務復帰の許可も降りた事だし、早ければ明日にでも任務が来るだろう。
今は鈍った身体を一刻も早く動かしたい気分だった。

しかし、こんな穏やかな時間程、直ぐに終わりを迎えるのがお決まりというもので――。
何やら背後から、バタバタと慌ただしく廊下を駆ける足音が聞こえる。
あろう事か、それは段々と此方に近付いて来るではないか。
そして、とどめとばかりに今一番聞きたく無い声が鼓膜を揺らしたのだ。

「なまえさーん!」
「!?」

嫌な予感程よく当たと言うが、まさかこうも早く心の平穏が脅かされようとは。
名前を呼ばれた私がとった行動と言えば、振り返る事なくただひたすらに歩き続ける事だった。
私は何も聞こえなかったのだ。誰にも呼ばれていない事にして、このまま振り切ってしまえばいい。そうだ、そうしよう。
最低な姉弟子、みょうじなまえとは私のことである。

「(あれ?聞こえなかったのかな?) なまえさーん! 待ってください!」
「っ!」

待つわけがない。だって今の私は何も聞こえない設定で押し通しているのだから。
当然、再度竈門くんに名前を呼ばれても、その意思は変わらない。徹頭徹尾、その姿勢を崩さず歩き続ける。
寧ろ歩く速度を上げた。徒歩から競歩の如く怒涛のスピードアップだった。
それでも竈門くんは諦めず、私の名前を連呼しながら尚も追ってくる。食らいついてくる。
一体何の嫌がらせなのだろう。

「なまえさん待ってください! 何でスピード上げるんですか? 俺ですよ! 竈門炭治郎ですー!」

そんな事は知っている。百も承知だ。だから逃げているのに。

このどうしようもない追いかけっこも、彼相手では通用しないらしい。埒があかないのだ。何故なら逃げた分だけ竈門くんは追いかけてくる。
不毛なやりとりでしかないと諦めて、私は漸く足を止めた。いや、止めざるを得なかった。
何だろう、この言葉にならない敗北感は。

「なまえさん、歩くの早いんですね!」
「何で追いかけてくるの? 明らかに逃げてたの分かるよね!?」

溜まりに溜まった感情をぶつけるかの如く、振り向きざまに声を大にして竈門くんに詰め寄るが、先程から感じる周りの視線にはっとする。

「なまえさん、廊下で大きな声を出すのは良くないですよ」
「あのね、一体誰のせいだと――」

言いかけて、言葉を飲み込んだ。
やはり、どうしても私には竈門炭治郎という人間が理解し難い。

「……何、笑ってるのよ」
「やっとなまえさんと目が合ったなと思ったので」

思わずたじろいだ。堪らず半歩下がってしまった。
相変わらずの無駄に眩しい笑顔と悪意を微塵も感じさせないその言動。
仮にも私は全身全霊で彼を拒絶していて、八つ当たり半分で怒鳴るような人間であるのに。そんな私相手にも関わらず、どうしてそんなに屈託無く笑えるのだろう?

「私は、君のそういうところが嫌い……」

そうだ。私は竈門くんの事が嫌いなのだ。
私から唯一の楽しみと幸せを掻っ攫うこの少年が。
それなのに、この間の任務後から私は何だかんだ言いながらも、こうして関係を持ってしまっているのも事実。
ほぼ竈門くんの一方的な好意で無理矢理であれ、ほんの少しだけ、私の中に起きている竈門くんに対する気持ちの変化に気付いていない程鈍感ではない。
だからこそ、この笑顔の前に屈するわけにはいかないのだ。

「はい! でも、俺はなまえさんの事が好きです」
「はいはい。それはどうも」
「名前で呼んでくれた事も、頭を撫でてくれた事も、少し恥ずかしかったけど……嬉しかったです」
「あれは事故だから! 一刻も早く忘れたい出来事なの!」

そんな事を言っても無駄だ、竈門炭治郎。私は絶対に籠絡されない。
相変わらずの一方通行。先日同様、私の鉄壁に閉ざされた心は開かない。
打者と投手の私達の間には会話が成立しない。歩み寄ろうとする意思が無い限りは。

「そういえば、お身体の調子はどうですか?」
「もう平気」
「そうですか! それは良かったです!」
「そうです。という事でさようなら」

早々に会話を切り上げて立ち去る。
しかし、何故か竈門くんはこの後に及んで後を追ってくる。
もう声を荒げるのも疲れた私は、再度足を止めて溜息を吐きながらゆらりと振り返る。

「……まだ何か?」
「なまえさん、良かったらこれから一緒に鯛焼きを食べに行きませんか?」
「行きません」
「折角会えたんだし、俺、もっとなまえさんとお話しがしたいです!」
「私は竈門くんと話す事なんてありません」

一体何なんだ。何でこんなにしつこいんだ。
本当はその持ち前の嗅覚で分かっているくせに。私がどんな気持ちの“匂い”をさせながら竈門くんと向き合っているのか。

「分かってるんでしょ? その便利な鼻で、私の気持ち。私は竈門くんが嫌いなの! 私が好きなのは義勇さんなの! 今一番会いたいのも、一緒に鯛焼きを食べたいのも義勇さんなの!」
「知ってます」
「いい? あのね、好きっていうのは人としてとか兄弟子としてとか人間愛って意味じゃないの。私はね、」
「あ、ちょっ、なまえさん……!」

竈門くんがこれ以上白を切り続けるというのなら、もうこの際はっきりさせてやろうと、私はここぞとばかりに本心を吐露する。
その最中、何かを感じ取ったらしい竈門くんは、くんと鼻を鳴らした。
そして、すかさず私の言葉を遮ろうとしたけれど、それは時すでに遅し。
言いながら私は、玄関の戸へ手を掛けていたからだ。

その先に誰が待ち受けていたのかも知らずに。

「私は! 一人の男性として、義勇さんをお慕いしてるの!」

『だから、これ以上君と仲良くするつもりは無いし、大好きな義勇さんとの時間も邪魔をしないでね』そう言いかけた私は、その言葉全てを吐き出す前に固まってしまう。

嗚呼――なんと言う事でしょう。
まるでそれは、始めから仕組まれていたかのような完璧なタイミングだった。
そこには今し方私が間接的に愛の告白をしてしまった張本人である義勇さんが立っていたのだから。

これでもかという程に双眸を見開いて固まる義勇さんを私は未だかつて見たことがない。
その発言が、どれ程大事であったのかを証明するには十分過ぎた。
サーッと全身の血の気が引く。

さようなら、私の初恋。

「ぎ、ゆう……さん」

残念ながらどんなに悔やんでも、一度口を衝いて出た言葉は元に戻らない。
弟弟子?竈門くんに対する気持ちの変化?冗談じゃない。前言撤回だ。
やっぱり、私にとって竈門くんは仇でしかない。


20200130




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