こんな事を言ってしまえば身も蓋も無いけれど、それでも私は声を大にして言うだろう。
私は、彼の事が嫌いだと。

同じ水の呼吸の剣士で、しかも鱗滝門下で私の弟弟子にあたるのだとしても。
私の幸せを、唯一の楽しみを、尽く取り上げ何食わぬ顔で奪い去るこの弟弟子が筆舌に尽くしがたい程に――竈門炭治郎が大嫌いなのだ。

「義勇さん、義勇さん! お久しぶりです」
「なまえ。息災だったか?」

任務中、休暇中、それはいつ何時であっても半々羽織に身を包んだ姿を見かけると、私は全てをほっぽり出して一直線に駆け出す。

水柱であり、尊敬してやまない兄弟子である義勇さんを、私は心よりお慕いしている。
たとえ義勇さんが私を何とも思っていなくても、ただの妹弟子止まりであったとしても。

こうして足を止め、優しげな表情を浮かべて頭を撫でてくれるだけでこれ以上ない程に幸せだった。
筋張った大きな手。暖かくて優しくて、心地いい。

何を考えているか分からない、無口で接しずらい、無表情で怖いなどと義勇さんを嫌厭している人もいるけれど、こんなにも暖かく情が深い人を私は他に知らない。
本当の義勇さんを知らないなんて勿体無いと思う。でも、その一方で私だけが知っていればいいとも思う。
どう言った間柄であっても彼にとっての特別であれるのなら、これ以上の幸せはない。

「はい! 義勇さんもお元気そうで良かったです。義勇さん、これから任務ですか?」
「いや、もうこの後は――」
「義勇さーん!」

私と義勇さんの会話を遮る声に、私は思わず眉を顰めた。

出た。来た。
溌剌として、無駄によく通るこの声。
黒と緑の市松模様の羽織を着た彼こそが、私から至福の時間を尽く取り上げる人物にして、最大の敵。
最近こうして義勇さんとの時間を過ごしていると必ずと言っていい程、横槍が入るのだ。

「炭治郎」
「こんにちは、義勇さん! あ、お話中だったんですね……すみません」
「いや、別に構わない」

構わないの!?なんて内心ショックを受けつつ、私は不機嫌である様を微塵も隠す事無く義勇さんの背後に回り、羽織をぎゅうっと掴む。
それはまるで、警戒して毛を逆立てる猫の様だった。少しでも此方に手を伸ばそうものなら容赦なく引っ掻いてやるとでも言いたげに。

義勇さんの半々羽織から半分だけ覗かせた険しい顔は、可愛げの欠片も感じられない。
敵意丸出しで弟弟子を睨み付けるどうしようもない十八歳。そう、私の事だ。

「えっと……」
「どうも。みょうじです」
「なまえ、一体何をしている」
「なまえさんと仰るんですね。俺、竈門炭治郎と言います」
「存じております」
「なまえさんも鱗滝さんの――」
「みょうじです」

あまりの豹変ぶりに、竈門くんは困った風に頭を掻いた。
年下の、しかも弟弟子にあたる彼に対して、取るべき態度ではない事ぐらい私にも分かっている。
しかし、私にとって彼は特別だった。度を越している。
頭上から、はぁ……と溜息が降って来て、どうしたものかと言わんばかりに義勇さんは私を静かに窘める。

「炭治郎が困っているだろう? 炭治郎は、お前にとっても弟弟子にあたるんだぞ」
「……知ってます」
「改めろ」
「嫌です」
「!?」

嗚呼、今の私は最高に可愛くない。大好きな義勇さんを困らせてばかりの不出来で聞き分けが悪い妹弟子だ。
でも、嫌なものは嫌で、嫌いなものは嫌い。

この一度だけでは無いのだ。
今回は私が僅差で義勇さんに出会うのが早かったが為にこの結果であって、ここ最近は義勇さんの傍(私の定位置)を竈門くんに奪われてばかりだった。
姿を見つけて声を掛けようにも、無駄に通るその声に私の声は何度も遮られ、掻き消される。
頻繁に義勇さんと会えるわけでは無く、言ってみればこの時間は任務を頑張った自分へのご褒美の様な特別な物だった。
それなのに、それを踏み躙るだなんて……許すまじ、竈門炭治郎。

よって、私が彼と親しくする事も、名前呼びに応じる事も無いのだ。これから先も断じて無い。
私があまりに竈門くんを蛇蝎の如く嫌うものだから、同期の隊士に竈門くんは親の仇なのかと問われる程だった。

「あ、あの……俺なら大丈夫ですから。すみません、お邪魔してしまって」

本当だよ。分かったら何処かへ行ってくれ――そんな、姉弟子の風上にも置けない事ばかりを思ってしまう。

お天道様は見ている。良い行いも、悪い行いも総じて見ているものなのだ。
だから、神仏は姉弟子らしからぬ私の行いに天罰を下した。

「なまえ、任務! 任務ゥ! 南南東の村ヘ迎エ! カアアアッ」
「えええええ!? まだ義勇さんと鯛焼き食べに行ってないのに……!」

空気が読めない私の鎹鴉はこのタイミングで任務を告げた。
しかし、こんな私でも鬼殺の剣士。鎹鴉が鳴いた時点で選択の余地は無い。
落胆の色を滲ませ、力なく義勇さんの羽織から手を離した。
あーあ、次は一体いつ会えるのやら。

「……では、行ってきます」
「なまえ、手を出せ」
「……はい?」

意気消沈した私を見かねて、義勇さんはごそごそと懐を漁って、可愛らしい小花柄の小さな包みを取り出すと、私の手にそれを乗せた。
手に乗った包を繁々と見つめる私に「さっき胡蝶から貰った」と義勇さんは言い足す。
そして、私の頭を控えめに撫でた。

「無事に戻って来い」

鯛焼きはまたその時に幾らでも買ってやろう。
口数の少ない義勇さんだから、そんな風に言ってくれたような気がした。
やっぱり、義勇さんは格別だ。魔法使いだ。しょげていた私を一瞬で立ち直らせるのだから。

「は、はい! 行ってきます」

義勇さんから貰った包を後生大事に懐へ仕舞い、駆け出す。
その様を傍で見ていた竈門くんは一体何を思ったのだろう?
だが、そんな事は私が知る必要など無い。
竈門くんが私の気持ちを知る必要が無いのと同じように。
知ったところで、どうこうなるわけではないのだから。

* * *

「カアアア! 待機ィ! 合流シテ共ニ任務ヘ迎エエエ!」
「え? 合流って……次は合同任務ってこと?」

相変わらず人使いの荒い私の鎹鴉は、次から次へと私の元へ任務を運んでくる。
義勇さんと別れた日からこれで怒涛の三連続任務だ。
早く義勇さんに会いたい。会いたいのに、どんどん遠方へと差し向けられる悲しさと言ったら無い。とは言え義勇さんもお忙しい身だろうから、次は何時会えるのか……。

義勇さんへの想いを馳せながら、共に任務へ向かう隊士との合流を待つ。
こういった事例は別段珍しい事ではない。
柱でもない私達平隊士は基本的に共同で任務に当たるものだしな……などと、短絡的な思考に囚われた自分の頬を、数秒後に思いきり引っ叩いてやりたくなるとも思わずに。

「お待たせしてすみません! 一緒に任務に就く竈門炭治郎です――あれ? なまえさん!」
「!?」

忘れるものか、この大嫌いな声を。

か ま ど た ん じ ろ う !

一緒にって、まさか、そんな……冗談でしょう?
嘘だと言って、お願いだから。

ぎぎぎ、と錆びた発条仕掛の絡繰の如くぎこちない動作で振り向く。

「奇遇ですね、なまえさん! 今回の任務ご一緒出来て嬉しいです! 頑張りましょうっ」
「……どうも」

ようやっとの思いで絞り出す事が出来た言葉は、たったの三文字。
太陽のように燦々と降り注ぎ、全てを浄化してしまいそうな笑顔を全面に浴びて尚、鉄壁に閉ざされた私の心は開くことは無い。

この日、私は悟った。この世に神仏なんてものは存在しない。
そして、私達姉弟弟子は決して相容れないのだ。水と油の様に。

「あの、なまえさん――」
「みょうじです」
「ええっと……ははは、……みょうじさん」


20200125




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