「……」
「……」

気不味い。ただただ気不味い。
それは未だかつて感じたことの無い気不味さだった。

それなのに何故、私達はこんな時でも呑気に鯛焼きなんて食べているんだっけ?
これまで義勇さんと共に過ごす時間であれば、この沈黙ですら心地良かった筈なのに、今はどうだ?まるで地獄の様な途方も無い時間に感じてしまう。
せっかく竈門くんの邪魔も入らず、大好きな義勇さんと二人でいられるのに。
その理由は単純だった。
おおよそ一時間程前、私が義勇さんに愛の告白(仮)のような事をしてしまったせいである。
何が嬉しくて間接的に愛の告白なんぞしなければならないのか。本当に、何故。

いつも立ち寄る茶屋にて私は鯛焼きを食べ、傍に座る義勇さんはお茶を飲んでいる。終始無言で。
盗み見る様にチラリと義勇さんへ視線を滑らせ様子を窺うが、驚くほどに普段通り無表情だ。
いつもなら私が一方的に話し掛けているので会話が成立しているが、今回だけはとてもそんな気になれない。
逆に、義勇さんは先程の私の告白紛いをどう受け取ったのだろうか。正直聞いてみたい気持ちはあるが、なにぶん勇気が出ない。

「身体はもう平気なのか?」
「へっ!? あ、はい、お陰様で」
「そうか」

不意に義勇さんが沈黙を破るので、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
しかし、その行為は少なからずこの気まずい空気を緩和してくれたようで、ほっとする。

「あの……どうして義勇さんがそれを?」
「任務でお前が負傷したと聞いた」

それで態々、蝶屋敷へ様子を見に来てくれたのだろうか?
そう言えば、何故あの時義勇さんは蝶屋敷を訪れたのか不思議だった。別段、義勇さんに怪我らしい怪我は見当たらなかったのに、私を見るなりこうして連れ出してくれたから。

……ああそうか。私が最後に義勇さんと会った時、鯛焼きを食べてないと喚いたから、それで。
その優しさに胸がじんわりと暖かくなる。
素直に嬉しいと思った。
きゅうっと胸の奥が締め付けられる様な、それは甘く痺れるような痛みだった。

それなのに私と言ったら竈門くんと擦った揉んだの末にあの結末――叶う事なら爆弾発言の前に戻りたい。
冷静になれと、自分自身を窘めたい。

「炭治郎と仲良くやれている様だな」
「いえ! それに関しては全く」
「違うのか? ……そうか」
「あ、いや、違うと言いますか、やっぱりその……以前よりは話す様になりました」

私が竈門くんを蛇蝎の如く嫌っていた事を気にしていた義勇さんが、蝶屋敷での私達の様子を見て何処に“仲良くやれている状況”に見えたのが甚だ疑問を覚える。
しかし、一瞬嬉しそうに表情を緩めたのに、私の全否定とも取れる発言で気落ちした表情を浮かべるものだから、すかさず言い直す。
こんな時つくづく思うのだった。私はとことん義勇さんに弱いな、と。

「お前の身体の事も炭治郎から聞いた」
「え? 何で竈門くんが……?」
「炭治郎からの文には、お前の事ばかり書いてある」
「……そう、ですか」

そう言う義勇さんは心無しか嬉しそうにしていた。
何がそんなに嬉しいのか、私には分からなかったけれど。
それよりも、竈門くんが義勇さんに送った手紙に私の事ばかりという事実に驚いた。
竈門くんは義勇さん宛ての手紙に何を書いていたのだろう?思い返してみても、嫌味な発言の数々と冷徹な態度ばかりとっていた私だ。一体その手紙に何が認められているのかとても気になる。

「気になるか?」
「それは……はい、とっても」
「なら、本人に直接聞くといい」
「え!? 教えてくれないんですか? ……気が向いたら聞いてみます」

そうしてまた、暫しの沈黙が続く。
いつもなら、話題は尽きないのに、やはり事故だったとはいえ私の中で告白をしてしまったと言う事実が、どうしても気に掛かってしまう。
義勇さんからも切り出す様子が無いし、それこそ今度はいつまた義勇さんと会えるもかも知れない。今を逃してしまえば、次の再会までずっとこのモヤモヤした気持ちを抱えて過ごさなければならないと言う事だ。
そんなのは、どう考えても無理だった。胃に穴が開いてしまう。それこそ竈門くんの手紙でまた義勇さんに伝わってしまうかもしれないじゃないか。
そんなのは御免被る。
ならば、私が取るべき行動は決まっていた。

「……義勇さん」

無言で此方を向く義勇さんに、遂に私は問いかけた。
緊張から、ぎゅうっと握りしめた掌に爪が食い込んで痛い。
とてもじゃないが、義勇さんの方へ顔を向けられない私は、膝の上で握りしめた拳を一心に見つめながら、続ける。

「蝶屋敷での事なんですが」
「……」
「私は義勇さんを、お慕いして……いま、す」

言った。遂に言ってしまった。
胸が詰まる。声が震える。まるで全身が心臓になったみたいだ。
一度口にした言葉は無かった事には出来ないのだと知った上で、改めて想いを告げた。
取っ掛かりこそあんな事故みたいな伝え方になってしまったけれど、本心である事に違いない。

「まさか、あんな形で伝えてしまう事になるなんて思ってもいませんでしたが、でも、私が義勇さんを慕う気持ちに嘘偽りは有りません」

下唇を噛んで、最後の言葉を紡ぐ。
これを言ってしまえば、きっと私と義勇さんの関係は変わってしまう。良くも悪くも、少なくとも今まで通りでは居られなくなる。
それならいっそ閉じ込めてしまった方がいいのだと、何重にも鍵を掛けて心の奥深くへと仕舞い込んでいた大切な感情。
それでも、本当はその気持ちをずっと義勇さんに伝えたかったのかもしれない。

「……好きです、義勇さん」

好きだった。ずっとずっと、大好きだった――この人が。

「……すまない、なまえ」
「っ、」
「俺は、お前の気持ちには応えられない」

嗚呼、やっぱりそうか。
なんとなく察しはついていたから、義勇さんの返事は存外私の心にすとんと落ちた。
何の飾り気も無い簡素な言葉だった。
しかし、それは義勇さんが私の気持ちに向き合ってくれた誠実な言葉であったと思えたからこそ、素直に受け止められたのだと思う。

「だが、お前の気持ちは嬉しく思う。ありがとう」
「……はい」

俯いたまま、何度もこくこくと頷いて見せる。
暫くの間沈黙を貫いたまま俯いていたからか、隣で義勇さんが困っている様な気配を感じて、私は顔を上げる。
「なまえ?」と私を気遣ってくれる義勇さんを困らせては駄目だなと、私は今出来る精一杯の笑顔を作り、笑って見せた。
義勇さんを困らせたかった訳じゃない。そんなつもりで気持ちを伝えた訳ではないのだから。

「大丈夫です! ……あの、出来たらこれからも今まで通りに接して貰えたら嬉しいです。“妹弟子”として、こんな風に一緒に鯛焼きが食べたいです!」
「ああ」

勿論だ。と、義勇さんは静かに頷いてくれる。
不思議と涙は出なかった。
なんとなく初めからこうなる事が分かっていたからかも知れない。
いつか義勇さんにも大切な人が現れて、そしてそれは私ではない別の誰かであって。
正直、その女性が羨ましいと思った。
だから今は、特別な人が現れるまでは、妹弟子という特権を存分に乱用させてもらうことにしよう。
もう少しだけ義勇さんの隣を私の居場所にさせてほしい。
すっかり冷めてしまった鯛焼きを齧りながら、そんな事を思った。

***

今、何時だろう?
高い位置にあった太陽はいつしか傾きかけていて、西の空が濃い茜色に染まっていた。
カァカァと、鎹鴉か野生の烏かどちらのものとも知れない鳴き声が遠巻きに聞こえる。
烏が鳴くから帰りましょう。いや、でも何処に?

いつもこんな時は義勇さんのお屋敷にお邪魔していて、いつでも勝手に上がっていいと許可は頂いていたが、流石に今の状況ではとてもじゃ無いがそんな気分になれない。
茶屋の主人も店先の長椅子に座りっぱなしの私に困惑の眼差しを投げずには居られないのだろう。先程からチラチラと視線を感じる。
義勇さんはお忙しい御身であるので、あの後直ぐに発ってしまった。

これからどうしたものかと途方に暮れていると、ぼんやりとしていた私の目の前に、鬼殺隊の隊服が広がる。

「なまえさん! 此処にいらっしゃったんですね……!」

嗚呼、何でいつも狙った様に嫌な時ばかり彼は私の前に姿を現すのか。
ハアハアと息を弾ませ、肩で息をする竈門くんは、私の姿を見つけて安堵したように表情を緩めた。
今は生憎と竈門くんを追い払う為の気力も体力も残っていない。
義勇さんに振られて、大丈夫だとか、意外と平気みたいだなんて思っていたけれど、実際それはただ思っていただけで、心は想像以上に傷ついていたようだった。

「あの……なまえさん、鯛焼き食べないんですか? なんていうか、もうその鯛焼きカピカピしてますよ? 新しいの頼みますか?」

私に何の了承も得ず、こうする事が当然であるかのように隣へ腰を下ろした竈門くんは、店主に「すみませーん!」と手を上げ、注文をしようとする。
そんな竈門くんを、私は無言のまま隊服を掴んで引き止めた。
不思議そうにこちらを見る竈門くんに反して、私はただ真っ直ぐ正面を向いたまま、ようやっと口を開いた。

「私、本当は鯛焼きなんて好物じゃないの」
「え?」
「義勇さんと一緒にいたいが為の口実」

流石にこのカミングアウトには、竈門くんも驚いた様で双眸を瞬かせる。

「そんな狡い女だから、義勇さんの特別にはなれなかったのかもね」
「なまえさん……」

今の一言で、蝶屋敷を出てから私と義勇さんの間で何があったのか、竈門くんは全て悟ったらしかった。
今、私からはどんな匂いがしているんだろうか?
今まで竈門くんには散々ぞんざいな態度で接してきたのだ、いっそのこと、ざまあみろと罵って欲しいとさえ思う。

「じゃあ、なまえさんの本当の好物は何ですか?」
「は?」
「鯛焼きじゃ無いなら、本当は何が好きなのか教えて欲しいです」

何でいつも彼は暖かい表情で私を見るのだろう?柔らかな声音で私に問うのだろう?
相変わらず、今それ聞くの?と突っ込みを入れたくなる様な質問をしてくる竈門くんだけれど、なんだか今はそれに甚く救われた気がした。

「……おにぎり。梅干しの奴」
「へぇ! 俺も好きです。美味しいですもんね、おにぎり! あ、そうだ。俺、今度おにぎり作って来ますね!」
「は? え?」
「俺、お米を炊くの得意なんですよ! 炭焼きの仕事をしてたので。料理は火加減って言うじゃないですか」

そりゃ言うけれども、と心の中で突っ込んだ。
米を炊くのが上手いからと言って、ちゃっかりおにぎりを作ってくる約束まで取り付けようとしているんだ、この弟弟子は。
あれよあれよと話が進み、混乱する私を竈門くんは今日も今日とて置いてきぼりにしてくれる。
さも当然の様に話は進んでいくが、私は一言も了承していない。

急に黙った竈門くんは此方に向き直った。
先程とは打って変わって、少し心配そうな表情をしていた。

「なまえさん、今は我慢しなくてもいいと思います」
「何言ってんの……」
「長女でも、泣きたい時は泣いてもいいです」
「長女とか……今関係なくない? 心配してくれなくても、平気だってば」
「ずっとなまえさんから辛そうな匂いがしているので」
「……」

幾ら誤魔化しても、竈門くんの嗅覚の前では全て無駄な足掻きだった。
幾ら平気なふりをしていても、強がって見せても、本心から滲み出た感情は消して隠しきれない。
確かにあの時、義勇さんに振られた時は平気だったのだ。涙は出なかった。
でも、心は悲鳴を上げていたのに、無意識に蓋をした。

「なまえさん、」
「その鼻嫌だ、本当こんな時ばっかり……っ、!」

どうせ今も竈門くんは分かっている。私以上に私の心の機微を。
素直になれない面倒臭い私の事を。
弱味なんて見せてたまるか。

立ち上がって逃げ出そうとするより早く、私の腕を竈門くんの手が掴んだ。
そのままぐんと引っ張られ、呆気なく私は彼の腕の中に囚われる。

「ほら、ね? これなら見えませんから。なまえさんの表情も弱味も何もわからないままに出来るから」
「……――っ、ぅ」

本当に狡い。よしよし、と背中を撫でてくれる竈門くんの暖かさと安心感に私は一気に涙腺が緩んでしまった。
溢れる直前まで堪えていた感情は、堰を切ったように止め処なく溢れ出す。
気が付けば年甲斐もなくわんわん声を上げて泣いて、泣いて、泣き明かした私を竈門くんが一体どんな顔でどんな気持ちで受け止めてくれたのかは分からない。
ただ一つ言える事は、私をどん底から掬い上げてくれたのは、他の誰でもない。大嫌いで仕方なかった竈門くんであったのだ。


20200131




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