あれから俺がとった行動と言えば、血鬼術に掛かって倒れたなまえさんを近くのお堂へ運ぶ事だった。

本当はきちんと身体を休める事が出来る安全な場所へ彼女を運びたかったが、無理に動かす事で容体が悪化する可能性も捨てきれない。それはあまり得策では無いと判断して、今の状況に落ち着いたのだ。
本当は今直ぐにでも彼女を蝶屋敷まで運びたかった。
しのぶさんなら、なまえさんを助ける術を持ち合わせているだろう。しかし、此処から蝶屋敷まではかなりの距離があり、もしも、その間になまえさんの身に何かあれば俺は今度こそ自分自身を許すことが出来なくなる。
満足に看病も出来ず、血鬼術に苦しむ彼女にただ付き添う事しか出来ない現状が歯痒い。
せめてもと、脱いだ羽織を彼女へ掛けて、手拭いで額に滲んだ汗を拭き取った。

「すみません、なまえさん……」

なまえさんがこんな事になってしまったのは自分のせいだ。俺を庇ったばかりに。俺が未熟で、彼女の足を引っ張った。
もしも今回の任務に臨んだのが俺じゃなくて義勇さんだったなら、こんな事になっていない。絶対に。
自分の至らなさと未熟さに唇を噛む。忸怩たる思いで握りしめた掌に小さく痛みが走った。
今も苦しそうに浅い呼吸を繰り返す彼女。こんな時でも俺はただ見ている事しか出来ないのか――なまえさんは身を呈して俺を守ってくれたのに。

空が白んで来た頃、蝶屋敷へ向かわせていた鎹烏が、しのぶさんからの文と薬を足首に巻き付けて戻ってきた。
待ち兼ねたと言わんばかりの表情をした俺の肩へ止まる。

「文と薬……。ありがとう! 助かった」

これでなまえさんを助けられる。
鎹鴉に礼を告げ、しのぶさんからの文に目を通す。
そこには、説明した症状を緩和する薬を飲ませる事と、少し落ち着いたら療養出来る場所へ移動して様子を見るようにとの指示が認められていた。
幸いにも生死に関わるものでは無いだろうとの事だったが、目が醒めるまでは油断が出来ないとも。
兎に角今はあれこれ考えず、この薬をなまえさんに服用させるのが先決だ。

「なまえさん、しのぶさんから薬を頂きましたよ。飲めそうですか?」
「……」

呼びかけても返事がない。
返事が無ければ目を開ける事もない。額に汗を滲ませて、ただただ苦しそうに呼吸をするので精一杯といった様子だ。
薄く開いた唇から「ぎ、ゆ……さん……」と、縋るように思い人の名前が紡がれる。

その譫言から感じ取れるのは、切なくて、焦がれるような……そんな堪らない匂いが彼女から感じ取れて、胸が軋んだ。
こんな時でも、彼女の中には義勇さんがいる。
――いや、こんな時だからこそ、彼女は義勇さんの名前を呼ぶのだろう。
義勇さんしかいない。義勇さんしか駄目で、決して俺では駄目なのだ。
代わりにすら慣れない。今の俺では。

ならばせめて、今俺がなまえさんにしてあげられる事をしなければ。
感傷に浸っている場合ではない。
気持ちを持ち直し、覚悟を決めて、華奢な身体を抱き起こす。
想像していたよりも小さな身体は俺の腕にすっぽりと収まった。
先の戦闘で頼もしく感じたなまえさんの背中。奮闘する彼女の姿が勇ましく感じられていた分、驚いた。こんな小さな体躯で鬼を相手に戦っていたのか……と。

頬が上気して、呼吸が荒い。それに体温も高く、相当苦しそうだ。早くしないと。
後々、大嫌いな俺にこんな事をされたと知ったら、なまえさんは一生口を利いてくれないかもしれない。
けれど、一刻も早くなまえさんを助ける為には、もうこの方法しか思い付かなかった。

「すみません、なまえさん。目が覚めたら、幾らでも俺を責めていいですから……失礼します」

水と薬を口内に含んで、なまえさんの顎へ指を掛け、上向かせる。
薄く開いた唇へ、自分のそれを重ねた。
口に含んだ薬を全て口腔内へと流し込んで、コクン、と喉が鳴るのを確認してから唇を離した。
濡れた口角を指の腹で拭って、華奢な身体を床に横たえる。
後は彼女の容態が落ち着くのを待てばいい。俺の役目はここまでだ。
そして、俺がなまえさんに触れていいのもここまで。

本当に?それでいいのか?
俺の本心は、もっと――

「ん……」
「……――っ!」

小さく呻いたなまえさんの声で我に返る。
どうやら無意識のうちに伸ばしていた手は、なまえさんの頬へ触れていた。
頬を包み、あろうことか親指は薄く色付いた唇をなぞっているではないか。
慌てて手を退ける。

俺は今、何をしようとしていた?
何をしたいと思っていた?

先程の口移しの行為は、決して邪な感情を抱いて行ったわけじゃない。
あれは必要な処置だった。なまえさんは、自力で薬を飲めなかったのだから、ああするしか他に方法が無かったのだ。

それなのに“唇が柔らかかったなぁ”だとか、“もう一度触れてみたい”だとか。
欠片でもそんな感情が腹の奥底で燻っているのかもしれない。
それこそ小さな小さな芽だ。
ならば、育つ前に。こんな感情が心に根を張る前に、早急に刈り取らなければならないのでは――?

そして、俺は葛藤する。良心と欲望の狭間で。

相手は病人なんだぞ炭治郎!
どさくさに紛れて手を出そうとするなんて……お前は長男だろう!
相手は尊敬する姉弟子だ!あわよくばとか、なまえさんは眠っているんだし、などと一瞬でも卑劣な感情を抱いて恥ずかしく無いのか!

「本っっっ当に……すみませんでした!」

直ぐさま自分自身を喝破して、ゴチン!と床に頭を勢いよく打ち付けながら眠ったままのなまえさんにお詫びした。

少し驚いた。自分にこんな感情が潜んでいたなんて。
いつも自分を嫌う彼女。
街で顔を合わせる度、蛇蝎の如く嫌う態度を全く隠す素ぶりも見せず、どころか敵意を剥き出しにして俺を全力で拒む彼女が気になった。

もう、白状しよう。
今まで嫌われていると分かって尚も、何故彼女と関わりを持ちたかったのか。
嫌厭され続けるのが不思議であったのと同時に、義勇さんだけに向けられる笑顔や表情、その眼差しが――羨ましかったのだ、俺は。

「だからって、どうしろって言うんだ……こんなの」

認めてしまったら、もっと彼女の事を知りたくなるし、傍に居たくなる。
きっと俺は、これからどんどん欲張りになってしまうから。
それが、少し怖いと思った。

当のなまえさんはというと、薬が効いてきたのか先程よりも容態が落ち着いてきたようで、呼吸も安らかだ。
再び頬に触れると、体温も下がっているようだった。
完全に夜が明けたら近くの町へ向かおう。
なまえさんをちゃんとした場所で休養させてあげたい。

「熱も下がったみたいだし、良かった……へ?」

安堵の息をついた直後、あまりの衝撃で俺は固まる。
あろう事か、彼女が頬へ添えた俺の手に甘えるような仕草ですり寄ってきたではないか。
いつもあんなに素っ気なく、ツンケンしている彼女の、この甘え様。

これは、なんと言うか……かなりくる!
卑怯千万な不意打ちは俺の語彙力を奪い去った。

「(我慢!我慢だ炭治郎!)」

また再び葛藤が始まった。しかし、このまま手を退けるのは惜しいと思う。
落ち着かず、キョロキョロと辺りを確認する。別に疾しい事があるわけでも無いのに。
……いや、少しはあるのか。

「なまえさん、その、すみません……!」

謝るぐらいならするんじゃ無い。なんて、彼女に怒られそうだなと思いながらも、身を屈める。
片手に乗った体重で床が小さく軋む音を聞きながら、俺は彼女の額に触れるだけの口付けを落としたのだった。


20200127




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