私の人生、思い返せばいつだって後悔ばかりだ。
もっとああしておけば、こうしておけば――思い返したところで所詮、どうする事も出来ないというのに。

「なまえ、休息ゥ! 直チニ休息セヨォ! カァァアア!!」
「そんな事してる時間無いの……!」

走る度、先の戦闘で負った傷が痛んだ。
身動きが取れない程の深手こそ負ってはいないが、数カ所の裂傷、切創、打撲等、休息を挟むべき程度には負傷している。
傷口が開いて血が滲もうが、走る事で全身に軋むような痛みが伴おうが、関係ない。
夜っぴて私は走り続けた。夜が明けて、太陽が高い位置に登っても、ただただひたすら走り続けた。頭に彼の顔を浮かべながら、蝶屋敷までの道のりを無心で走り続けた。

「竈門くん……っ、」

今の私を突き動かすものは、竈門くんがどうか無事であって欲しいという思いだけだった。
藤の家紋の家で別れたのが最後だなんて、そんなの冗談では無い。あれで最後だなんて絶対に許さない。

鎹鴉の指示にも従わず、私はひたすらに走って蝶屋敷へと向かっていた。

それは、昨夜のことである。
鬼との戦闘を終え、日輪刀を鞘へ納めた時に私の鎹鴉が鳴いたのだ。
宇髄さんと竈門くん、我妻くん、嘴平くんの四人が鬼を撃破したと。それが上弦の陸であったのだと。
上弦の鬼が百年もの間顔ぶれが変わらなかった事を考慮すると、それが鬼殺隊にとってどれだけの快挙であったのかを証明するのに十分過ぎる事柄だった。
しかし、その戦闘での代償も大きかった。
関わった四人は大怪我を負ってしまったらしく、今は蝶屋敷で休養中。
そして、竈門くんも例外なく大怪我を負ってしまったようで、今は意識不明の重体――昏睡状態であると。
その知らせを受けて居ても立っても居られなくなり、私は全身に負った傷の手当すらほっぽって、駆け出したのだった。

***

「失礼します……!」

肩で息をしながら、やっとの思いで蝶屋敷に辿り着いた私は、上がった息を整えつつ一声かけて敷居を跨ぐ。
ちょうど中庭で洗濯物を干していたらしいアオイちゃんは、文字通りボロ雑巾のように草臥れた私を見て、慌てて駆け寄ってくる。

「なまえさん!? ちょっと、一体どうしたんですか! 怪我の手当てもしないで……!」
「私の事はいいから、それより竈門くん達が酷い怪我だって聞いて……!」

私の身体を心配して、支える様に腕を回してくれるアオイちゃんへ、竈門くんの容態を問う。
いつもしっかり者のアオイちゃん。「そんな事よりも貴女の治療が先です!」だとか、いつもの調子で叱り飛ばしてくれたなら、どれ程心強かっただろうか。
しかし、彼女はそうしなかった。出来なかっただけかもしれない。
私の気持ちを汲んでくれたのか、それとも本当に伝令通り、竈門くんは危険な状態なのかもしれない。

「こちらです。炭治郎さんにお会いしたら、その傷の手当をしてくださいね。約束です」
「……うん。わかった」

病室へ通されると、竈門くんの横たわるベッドの周りには、心配そうに彼を見舞うなほちゃん、きよちゃん、すみちゃんの姿がある。
至る場所に包帯が巻かれ、腕からは点滴の管が伸びているその姿は目を逸らしたくなる程に痛々しかった。

「なまえさん……」

私に気付いて、三人は竈門くんの傍へ座れる様に配慮してくれる。
椅子に腰掛け、そっと手を握った。かろうじて呼吸はあるみたいだ。
指の先にまで巻かれた包帯を見て、上弦の陸との戦闘がどれ程過酷なものだったのか伝わってくるようだった。

「炭治郎さん、譫言でなまえさんの名前を呼んでいました……」
「え……?」

なほちゃんの言葉に胸が締め付けられて、堪らなくなる。
昏睡する竈門くんの瞼は一向に開く気配は無く、ただ静かに呼吸をしているだけだった。
あの戦いの中、生きて帰って来てくれた。ただそれだけで十分有難いと思う。命を落としてもおかしくない状況だったのだろうから。
それでも、いつもみたいに、その赤味がかった瞳に私を映して欲しいと思う。溌剌とした声で私の名前を呼んで、剣ダコだらけの手で触れて欲しいと思ってしまうのだ。

目を覚まして、私の気持ちを聞いてほしい。
気恥ずかしいけれど、今度こそ逃げずに竈門くんに私の気持ちを一切合切、洗いざらい、はぐらかさずに伝えると約束するから。

「早く目を覚ましてね。君に伝えたい言葉が沢山あるんだから」

顔にまで及んだ包帯の上から頬を撫で、額に触れるだけの口付けを落とした。

***

それからひと月が経っても竈門くんは眠り続けた。
任務と任務の合間を縫って蝶屋敷を訪れ、時間の許す限り私は竈門くんの傍に寄り添った。
こんなにも長く彼の声を聞かずにいた事も、触れられなかった事もない。
改めて自分がどれ程竈門くんに絆されていたのか実感するには、それは十分な時間だったと思う。

そして、それはふた月経った今日も例外なく、竈門くんの体温を懐かしく思いながら過ごすのだろうと蝶屋敷の敷居を跨いだ時だった。

「あ、なまえさん! お待ちしてました!」
「こっちです! 急いでください!」
「炭治郎さんが!」

私を待ち受けていた、なほちゃん、きよちゃん、すみちゃんが順番に代わる代わる口を開いて私の手を引き蝶屋敷の中へと招き入れる。

「竈門くんがどうかしたの? ……もしかして、」

その希望に満ちた予感を肯定するかの様に、三人は私を見上げて何度も頷く。瞳に薄っすらと涙を浮かべ「炭治郎さん、やっと目が覚めましたよ!」と嬉しそうに笑ってくれた。

「竈門、くん……?」
「っ! なまえさん……!」

まだ上半身を起こすのがやっとという様子ではあるが、確かに今、酷く懐かしく感じられたその声が私の名前を呼んだのだ。
ろくに返事もせず、私は真っ直ぐ竈門くんの元へ駆け出す。
そして、彼の身体の事など考慮する余裕もなく、ただただ恋しくて仕方がなかった温もりに縋る様に抱き付いた。

「わっ……! どうしたんですか、なまえさ――」
「どうしたもこうしたもない……!! 目が覚めて本当に良かった……良かったよぉ……!」

うわーん!と、年甲斐も無くただ泣いて、愛しいこの温もりを感じて、私はまた泣く。
竈門くんの鼓動が、声が、匂いが、息遣いも全部、もう二度と感じられないのかと思うと、どうしようもなく怖かった。
堪えていたものが全て溢れ出てしまった瞬間だった。
そんな様々な思いが入り混じった感情を嗅覚で感じとったのか、竈門くんも私をぎゅうっと抱き締め返す。
息苦しく感じるこの包容が、今は甚く心地よかった。

「竈門くんの馬鹿! 無茶し過ぎ!!」
「……心配かけて、ごめんなさい」
「竈門くんの大馬鹿!」
「いたた! ちょ、なまえさん、ペムペムしないで下さい」
「うるさいっ! 本当に……もう、このまま目を覚まさなかったらどうしようって思って……」
「なまえさん?」
「不安で……すごくすごく、怖かった……」
「……」
「竈門くん、竈門くんっ……」
「……はい」
「もう一度こうやって、竈門くんに抱き締めてもらいたかったの……」

一応病み上がりだというのに、私はボカスカ感情のままに竈門くんを叩く。それでも自分の心境を吐露するに連れて、だんだんと張り上げていた声は窄んでゆく。
最後にはただ貴方の温もりが恋しくて堪らなかったのだと、どうしようもない気持ちを独り言ちた。

何を思ったのか、竈門くんは徐に私を持ち上げる。そして、対面になる様、自分の膝に乗せると、鼻水を啜る私を愛おしそうに見つめた。
私の目尻に溜まった涙を指で拭いながら、竈門くんは言う。その声は何処までも優しい色を帯びていた。

「俺は、なまえさんを残して死んだりしないですよ」
「……グスッ……そうなりかけたじゃない」
「そうですけど、もう、無茶しないです。……出来るだけ!」
「出来るだけ!?」

竈門くんは「だから、」と続けて言う。
いつも私を見下ろす瞳が、今回は此方を見上げていた。

「俺が無茶しないように、なまえさんがずっと傍で見ていてください」
「っ、その言い方……ずるい」
「そうですか? 俺は、貴女のその表情の方が……ずるく感じます」

後頭部に回った手に促されるまま身を屈め、瞳を閉じた。
拒む理由などない。それは即ち私も貴方と同じ気持ちでいるのだと肯定しているに等しい。
どちらとも無く引き寄せられる様に、たどたどしく重なった唇は、互いの気持ちを確かめるのに十分過ぎるぐらいに幸せで、離れるのが名残惜しく感じた。

「なまえさん……もっとしたいです」
「だ、駄目! 病み上がりでしょ!? ……だから早く治して」

「治ったら……い、幾らでもしていい……から」なんて、ごにょごにょと吃りながら、視線を逸らす。
それが相当嬉しかったのか、子供の様な満面の笑みを浮かべた竈門くんは「早く治します!」と息巻いた。

「ところでなまえさん、俺まだ聞いてません。約束でしたよね」
「な、何が……」
「告白の返事です!」
「っ!」

きた。やはり忘れていなかった、この少年は。
ここふた月の間、竈門くんが目覚めたら絶対に伝えるのだと決めていたのに、いざとなれば容易にその決心が揺らいでしまう。
だって、こんな近い距離で。貴方が好きですだなんて面と向かって言葉にするなんて。

嗚呼、期待を帯びた視線が痛い。
待っている。竈門くんが、今か今かと全力で待機している。
逃げられないように、がっしり私の腰を引き寄せる周到ぶりだった。
もう、私に出来る事は腹を括る――この一択しか無い。
バクバクと心臓が暴れる音を聞きながら、私は漸く口を開いた。

「好き、だよ……竈門くんの、事……」
「あ、すみません! 折角なので、炭治郎って呼んで下さい!」
「……」

この餓鬼。
私の頭に浮かんだのはこの一言に限る。
今、ありったけの勇気を振り絞って、素直じゃ無い私にとっての渾身の告白をしたのだ。
それなのにリテイクが入った。しかも被せ気味のリテイクが。

「もう言わない!!」
「え!? 何でですか!? 約束が違います!」
「約束もクソも無いでしょ!? 聞こえたよね? 私の告白、聞こえてたよね!?」
「き、聞こえてません……」
「……」

竈門くんはびっくりするくらい嘘をつくのが下手くそだった。
その顔に私は怒りも何もかもすっ飛ぶ程の衝撃を受けたのだ。

その直後、窓枠に止まった私の鎹鴉が任務だと鳴くものだから、私は竈門くんの膝からそそくさと降りる。
鬼殺隊の一員であるから、竈門くんも今この状況で何を一番優先すべきか理解してくれたらしい。竈門くんの事を“炭治郎”と呼ぶ事よりも、鬼退治が最優先。
任務であるのだから仕方がないと言いたげに、しょぼくれている竈門くんを横目に見ながら、私は小さく溜息を吐いた。
それは、しょぼくれた竈門くんに対してなのか、それとも自分自身の素直でない性分に対してなのか――いや、多分両方だ。

「それじゃあ、もう行くから」
「……はい。お気をつけ――て、」

そして、竈門くんは私が素直では無いことの他に、意地っ張りで、負けず嫌いである事も知っている筈だ。
やられっぱなしでは気が済まない――そんな性分であると。

不意打ちで竈門くんの着ている服の胸ぐらを掴みグイッと引き寄せる。
驚いて双眸を見開いた竈門くんに、私は今までで一番とびきりの笑顔を向けると、触れるだけの口付けを贈った。

「行ってきます、炭治郎」
「……っ! い、行ってらっしゃいなまえさん!!」

願わくは、これから先もこの騒がしくも愛おしい時間が続きますように。
そして、いつまでも君が傍に居てくれたなら、それは重畳。


Fin.
20200206




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